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1.

 偶然は、けれど、きっと、必然で。時が満ちるのを刃を研ぐように待っているんだろう。


 淡い光とは裏腹の、冷たさを孕む月の如く。




「アイツ、やっぱり無理してたのか……」

 受け取ったメールの送り主は刑部(おさかべ)くん。(けい)の同僚である『プログラムコンディショナー』だ。圭の同僚で友人で、今の恋人たる正乃(しょうの)の、先輩で……。メールの中身には、然り気なく正乃が体調を壊していたのと圭が考え込んでいたと言う内容が書いて在った。圭が、考え込んでいた。

「……」

 あんな、話のあとに? ……だから、何だと言うのだろう。いや、刑部くんのメールは正直助かる。今は正乃の、昔は圭の、調子とか把握するのにこれ以上有り難い繋がりは無い。

「……」

 携帯端末をポケットに仕舞った。思いの外呆気なく早く終わった出張に、今はもう帰路に就いていた。端末を仕舞いながら、駅から出る。この時間はどこも混んでいた。夕暮れ時、都市をすっぽり覆う透明でドーム型の膜を介し見上げた空は青紫色で、細い三日月が浮かんでいた。


 駅を出て足早に自宅へ向かう。正乃へメールを打ちながら。“具合が悪かったんじゃない? 大丈夫?” ────当たり障り無いように、責める文面にならないように。これが圭だったなら、十中八九俺は責めただろう。“何で体調崩したって言わなかったんだ。早く帰れるようにチーフに掛け合えよ”─────メールじゃなくて、電話で。それで出張なんかさっさと切り上げて迎えに行ってどっちかの部屋に連れて帰って、それから繊細な宝石か何かみたいに扱うんだ。知ってる。自分は圭をそうやって甘やかして閉じ込めるんだ。今ごろ、こんな場所にはいない。圭をベッドに寝かせてずっと不満に膨らんだ頬を撫でて宥めている。ふと、自嘲気味になって足を止め掛けた。少し口の端を上げてそれでも歩く。俺は何を考えているんだ。もう有り得ない空想だ。絶対に、来ない未来。

 今日、確定したじゃないか。


「良かったね、おめでとう」


 俺が、手放した未来だった。誰かが、手に入れたらしい現在だった。今日の出張前。圭とやっと話せた。何か話したいと思った訳じゃない。ただ、施設の通路でばったり出くわしたんだ。顔を見たら、声を掛けずにいられなくて。俺を避けて逃げる圭をしつこく追い掛けた。

 どうしても声が聴きたかった。嫌そうな顔をされた。わかっている。わかっていたのに。

「雅彦」

 胸が痛んで、けど。

「あっち行こう。人が気になるし」

 応じてくれた圭に目を見開いた。うれしかった。そう。

「世間話、付き合いなさい」

 うれしかったんだ。俺は。

 でも、これは終わりの序奏で。続いたのは近況と世間話。今の恋人の話題。強くなる痛みに傷んで酸素が薄くなって行った。

 そうして。

「……圭は、」

「んー?」

「そう言う人、出来たの?」


「うん」


 完全な、関係の終焉。幕引きはとっくに自分がさせたのに。自分勝手に涙が滲みそうになった。「……たいせつなひと、か」圭は、出来たらしい。そうだろう。俺に正乃がいるように、圭だって新しい恋をするに決まってる。だのに、多分、俺は期待したんだ。応じた圭が、俺に未練を見せてくれることを。自分が、切ったくせに。

 正乃からの返信に繰り返しレスポンスしつつ、俺はさくさく足を早めた。夕方の今はそんな人がたくさん道路を縦横して、自身の進行方向に急がなければ支える人波に睨まれてしまう。見舞いも考えたが正乃は実家暮らしだった。俺はまだ挨拶に行ったことが無いから、気軽に行く訳には行かない。圭は今独り暮らしだけれど、実家暮らしでも俺はこう言う遠慮はしなかっただろう。圭の両親とは圭とより先に面識が在ったから。




 死んだ親父の仕事仲間だった。親父は『ドール』の研究開発者で、翅白(しじろ)さん───圭の親父さんは『ドール』の『マインドプログラマー』だった。あれは、『ドール』の正式発表記念式典のパーティか何かじゃなかっただろうか。やたら広い敷地に大勢の人間が犇めいた。政財界や各界の著名人、関係者が所狭しと立って談話していた。あのころはまだ親父が生きていて、翅白さんも生きていた。俺はガキじゃなかったけれど、親父に誘われて気紛れを起こしたんだ。手近な女がそのときたまたまいなくて、イイ女がいたらな、なんて邪な勘定を頭でして、久し振りの親子外出でにこにこ無邪気に笑う親父のあとを、ついて行った。

 そこで出会った。圭に。


「まぁ、雅彦(まさひこ)くん大きくなったわね!」

 親父が別の場所で挨拶をしているとき、俺の目の前で明るくまるで、可愛らしい少女のように騒いだのは奏己(そうこ)さん。頬の辺で切り揃えられた、真っ直ぐな短めの黒髪が艶めいて揺れた。

「こんなに大きくなるなんて。初めて会ったときはまだまだ幼子だったのにびっくりだわぁ」

 彼女が圭の母親だった。小さいころ親父に連れられて研究所に来たことが在る俺を少々知るせいか、そんなことをしみじみ口にして来た。

「そうだね。もう僕の背を軽々越えてしまって。時が経つのは早いよ」

 同意と頷いたのは奏己さんの隣の男性。青年と呼ぶには薹が立っているが、そう呼んでも遜色無さそうな瑞々しさが在る。この人が翅白さん。圭の父親で下の名前は光輪(みわ)さん。繊細な印象を裏切らない静かな人だった。

 二人が並ぶと、何だか穏やかな気分になれるようで、俺はこの二人にはめずらしく俗な打算無しで懐いていた。二人はにこにこ俺と会話していたが、やがて何かに気付いたように首を周りに振り始めた。何かを探していた。いや、誰か、を、捜していたんだ。親父は真っ先に翅白さんたちに会っているから親父じゃないのはわかっていた。じゃあ誰か、と言うと。

「……どうかされましたか?」

「え? ああ、雅彦くん。圭はどこに行ったかな? 見なかったかい?」

「“けい”?」

 翅白さんから問われた、聞き慣れない人名と思しき単語を鸚鵡返しする。怪訝な俺の表情に二人もふと思い当たったようだ。

「……ちょっと。もしかしてあの子、崎河(さきかわ)さんが来たときにはもういなかったんじゃない?」

「そうみたいだね……崎河さんは圭を知っているから紹介しなかったし気が付かなかったよ」

「嫌だ、あの子ったら!」

「え、あの……」

「所長に挨拶したから、もう良いと思ってどこかへ行っちゃったのかもね……子供にはつまらない立食パーティだし。ああ、ごめんね、雅彦くん」

 理解が及ばず些か困惑を隠せない俺に、感付いた翅白さんが苦笑を向けた。派手ではない清楚さ漂う顔立ちは、男にしては華奢で婀娜っぽく女性だったら放って置かないのにな、なんて密かに考えたのはないしょだ。さすがに知人に変な気を起こしたりするつもりは更々無いし、変な誤解もされたくない。俺ヘテロだし。殊、翅白さんは特に。

 俺の思考なんか知らない翅白さんは『けい』について説明を始めた。

「圭って言うのはね、僕らの娘なんだ。来年高等学校を卒業するんだよ。……そうか、雅彦くんは圭に会ったこと無かったんだね」

 長いこと同じ職場にいると誰に会わせて誰に会ったこと無かったかわからなくなるね。言いながら笑う翅白さんに娘がいることは昔から聞いていたし、別段気にもしなかった。けれど、興味はこのときふっと湧いた。

 この二人の娘────どんな子だろう、と。

 翅白さんに似た、あっさりと清楚な、だけど艶やかな子なのか。はたまた、奏己さんのように可愛らしく明朗快活なのか。

「あ、圭」

「───」想像した瞬間現れた現物に、あやふやなイメージは一蹴され霧散した。「───はじめまして」

「……どうも」

 にこりと笑った俺に、一切興味は無いような、無表情で温度を感じさせない眼差しの返し。

「……」

 正直苛付いた。

 翅白さんも奏己さんも、俺をきちんと見るから。相手を見て話すから。これは物質的な話の問題ではない。精神論だ。向き合うとか、認め合うとか言う類いの。

 圭は、誰も見ていなかった。両親の翅白さんたちは例外としても、他は、他人は、琴線に指先も触れたりしないと。

 女性に、不自由したことはない。相手は無駄に俺を欲しがる。容姿が容姿だったし俺は自分の価値をきちんと熟知していた。圭は、女として以前に、人間として俺を見ていなかった。眼中に無い。まさにそうだった。

 集る女なんか腐る程いた。それこそ、腐っても良いくらい。なのに、何でかな。

 大勢が俺を見るのに、圭が俺を見ない事実が、俺を必要以上に苛立たせた。




「こんにちは」

「……こんにちは」

「圭、おかえりなさい。早く着替えていらっしゃい。雅彦くんがケーキを買って来てくれたわよー」

 キッチンに引っ込む奏己さん。その姿とリビングのソファに座る俺とを交互に眺め瞠目する圭。少し胸が空く思いがした、なんて我ながら呆れる幼稚さだった。

「圭は」

 奏己さんの言い付けに素直に従って着替えて来た圭へ呼び掛けた。びっくりした顔の圭に俺はああ、と思った。言い直す。圭ちゃんは、と。俺の家は親父も家を出た母親も外人の血が強かった。今のこの国で純粋な日本人は無きに等しくめずらしくないことだったのだが、ウチは親父本人がロシアとフランスのハーフで帰化人だった。つまり、完全に欧州文化の家だったのだ。名前は呼び捨てにするのが普通だった。親父は翅白さんもファーストネームで呼んでいたし。俺はまだ、この国の形骸しつつも残る日本文化を元にした社会へ順応していたけれど。ゆえに翅白さんと呼んでいるのだから。

 だけども、やっぱり基本的には名前呼びのほうがしっくり来た。なのでうっかり圭も呼び捨てにしてしまったのだけども。呼び方を正して続けようとする俺の言を、おとなしく待つ圭は躾の行き届いた犬のように見えた。躾が良いのは翅白さんの教育の賜物だろう。人柄を知っているから納得する。

「圭ちゃんはさ、日常楽しい?」

「……」

 俺の唐突な質問に、今度はぞわりと毛を逆立てた猫に見えた。目を真ん丸にして俺を凝視している。眉間の皺を眺め内でほくそ笑む。圭は、先日は無表情、今日は吃驚顔ばっかりだ。そして俺は先日は苛付き今日は愉悦に浸っている。不思議だった。

 相手は確か自分より十は下だった。この時点で俺が二十代後半。圭は未だ十代。十代の少女に張り合っている俺。

 奇妙だった。同じ目線で、俺がいることが。

 圭が俺を認識している。訳もわからず、満足している、俺がいることが。






 

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