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「今夜はありがとう。助かったよ」
「いえ。あくまで秘書としてご一緒しただけですから」
ドレス姿のマリアを傍らに置いて、アントニオは苦い笑みを浮かべている。企業家によるパーティーは人脈作りには有益だが、同時に独身で未来の有望な男性を狙う女性――はたまた、その逆もまた多くいる場所だった。
そんな中、アントニオ・ガゼットは一人の女性を伴って現れた。これまでのパーティーでは特定のパートナーを持っていなかった彼が、珍しく連れてきた女性。それはパーティー参加者の好奇心を強く刺激したようだった。
肩を丸出しにしたドレスは、まだお腹の目立たないマリアのほっそりとした体型に良く似合っていた。
「車が回されるまで時間がかかりそうだな。大丈夫かい?」
「ええ。今夜は暖かいですから」
肩にかけたショールを直しながら応えるマリアに、アントニオも笑う。
「そうか。家までは車で送るから安心してくれ」
「ふふ。ありがとうございます」
微笑みながら玄関前に回された車にエスコートするアントニオ。そんな扱いを受けるマリアは、どう見ても彼のプライベートなパートナーと見えていただろう。
事実、それを目にした男はそう考えていた。
出張に出る寸前に問題が発生し、その対処のために入国が遅れたルカリオ・アジャーニである。彼はホテルのフロントでチェックインを行っている最中、大勢の着飾った人々が現れるのを目にした。
「何かあったのかな?」
「ええ。本日は当ホテルにて、フランジル社の創立記念パーティーがありましたので。そちらのお客様かと」
ルカリオも名の聞いた事のある老舗デパートグループの名を聞いて、なるほどと頷く。どうりで見た事のある顔が並んでいるはずだと得心し、そこに一人の女性の姿を見いだした。
着飾ったドレスは、自分が買い与えたそれに比べれば安物も良いところだろう。身につけているアクセサリーとて、見劣りのする品だ。ドレスの値段からすれば、レンタル品かも知れない。だがそれでも、彼女は周囲の人間達からひときわ目立っているように見えた。
思わず名を呼びそうになって、彼女の傍らに立つ男に気がついた。
マリアの腰に手を回し、親しげに顔を寄せて話をしている。恐らくは車を待っているのだろう。その姿に言いしれぬ苛立ちを感じる。
男の言葉に、マリアが笑う。明るく優しい笑み。それはかつて、ルカリオが向けられていたものだった。
この頃はマリアのことを考えなくなっていた。だがそれは忘れた訳ではなかった。ただ意識して『考えなくしていた』のだ。目に映る二人はルカリオの視線に気付くことなく、停まった車に乗り込んでいく。マリアに続いて男も乗り込んだ所を見て、ルカリオの胸に久しぶりに怒りの炎が灯った。
「あの、ミスタ?」
「……ああ、すまない」
フロントの男が恐る恐る訊ねるのに振り返り、ルカリオはサインを済ませるとポーターに荷物を持たせて歩き出す。
その頭の中では、先日考えついた計画を現実にするために、様々なプランを練り始めていた。
◇
「アントニオ・ガゼット? ああ、あの不動産屋か?」
「それだけではありませんが、まあ、ミスタ・アジャーニに比べればどんな実業家でも小物扱いされるのでしょうな」
ルカリオが普段から使っている探偵社の人間が、そう応えて資料を差し出した。少々若く、野心的な匂いがする男はルカリオも見た事のない男だった。とはいえ、探偵社に雇われているという事は、それだけの能力があるのだろう。個人はともかく会社を信頼するルカリオは、その個々のメンバーがどうであれ気にせずにいる事にしていた。
「こちらが調査の結果です。ミス・ウォートンは半年ほど前にガゼット社に採用されています。以前にも勤めていたようですが、改めて社長秘書として入社しています」
「前の秘書はどうしたんだ?」
「結婚を機に退職したとの事です」
「――フン。なるほど」
手にした資料には、現在のマリアの住所や同居人の名前が書かれている。リジー・ダーシー。名前からも分かるが、添付された写真には女性が映っている。
「それで。そのアントニオについては?」
「はい。社員の一部に聞き込みをしてみましたが、興味深いことが聞けました」
「ほう?」
ルカリオが姿勢を直すのを見て、探偵は身を乗り出して見せた。
「……マリア・ウォートンが社長の愛人である、という噂です」
「愛人?」
ピクリと眉を動かしたルカリオに満足したように、探偵が頷き返す。
「はい。それに、前任の秘書も結婚退職などではなく、マリアを側に置くために社長が辞めさせたのだ――と」
「しかし、他の聞き込みの結果では、そのような内容は上がっていないようだが?」
「ええ。どうやら古い社員は社長とも馴染みが深いようで、口が重たいのです。今回の情報は入社してそれほどでもない人間からの情報ですから――」
「なるほど? 社長を思って口を閉ざすような輩からは聞けない情報がでてくる、と?」
「――左様です」
したり顔を浮かべる探偵を前に、ルカリオは資料に目を通す。
そして、内心で歯ぎしりを浮かべていた。愛人。つまりマリアが通じていた男とは、このアントニオ・ガゼットだということなのだろうか。
「付き合いの長さは?」
「それについては、あまり詳しくは。ただ以前に会社を辞める時にも、社長は随分と彼女を慰留したそうです」
「……ふん。その頃からの付き合いということか?」
マリアを自分のマンションに住まわせた時。あの頃から、彼女は自分とアントニオを天秤にかけていたという事なのだろう。そう思うと、それだけでアントニオとマリアの首を絞めてしまいたくなる。
だが、そんな内心を表情に出すことなく、ルカリオは探偵から受け取った資料に目を通し続ける。
「ご苦労だった。代金は、いつも通りに支払おう」
「ありがとうございます。それでは、またご用命があれば」
「ああ。そうさせてもらおう」
頷くと探偵は退出していく。若さが鼻につくが、腕は良さそうだ。ルカリオはそう考えると、今度こそ自分の思考に沈んでいくのだった。
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