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眼前で震えるマリアを見上げ、ルカリオは少々やり過ぎたことに気付いた。
今ここでマリアを放り出す訳にはいかないのだ。アンジェロのためにも、彼女には無事に子供を産んでもらわなくてはならない。
しかも、ルカリオ・アジャーニの子供を、である。
それが真実かどうかは、この際問題ではない。アンジェロにとって、ルカリオの子供――つまりひ孫が産まれたという事実だけが必要なのだ。
そのためにも、自分がマリアを疑っているという事は知られる訳にはいかなかった。そのつもりだったのだが、表情を変えずに自分の話を聞いていたマリアが腹立たしく、ついぶちまけてしまった。
「どういう事なの、ルカリオ」
「……何がだ」
震える声のマリアに、ばつが悪くなりながら答える。
「貴方は、私があなた以外の男とベッドを共にしたと、まだ疑っているというの? あの時、リズの前であなたが口にした謝罪は嘘だったの?」
「……嘘じゃない。だが君の不誠実な行動については、新しい証言のせいで再び浮上しただけだ」
「新しい証言?」
「君がアントニオ・ガゼットの愛人だ、という証言さ。それに1年前にガゼットを辞める時にも、彼に強く慰留されたそうじゃないか。――その頃から恋人だったんだろう?」
「――な」
言葉もなく震えるマリアを見て、ルカリオは鼻を鳴らした。
ここまで知られているとは思っていなかったのだろう。そう考えて、ルカリオはにやりと笑って見せる。
「幸い、僕と結婚してからは切れていたようじゃないか。おまけに彼は結婚した。これで僕も、ようやく一安心だ」
晴れやかに笑うルカリオは、けれどもその目は笑っていなかった。氷のように冷たい目が、じっとマリアを観察している。その視線に気付いて、マリアはもう一度ぶるりと震えた。
「……あなたは、私を信じていないの?」
「信じるに足る行動を君は取ったかい?」
「――そもそも疑われるような行動を取った覚えがないわ!」
「君の言葉は信じられない。調査の結果は、全てが君の言葉と正反対の事実を示しているんだからな」
勝ち誇ったように笑うルカリオを、マリアは睨み付ける。
「だったら、どうして私と結婚したの」
「君を信じたかったからさ。もちろん」
ルカリオの悦に入った表情を見て、マリアはカッと頭の中が真っ赤になった。
「ふざけないで。私は何もしていないわ。あなたが私を疑う理由すら、私には理解できない。アントニオが私を慰留してくれたのは、私があの時にそれなりに大きな仕事を任せられていたからだわ。私がアントニオの愛人ですって? そんな根も葉もない中傷を、本気で信じているの?」
「だが、証言は証言だ」
「その証言の裏は取ったのかしら。そんな手間を惜しむような無能な探偵、さっさと切ったほうが身のためよ!」
マリアはそう叫ぶと、身を翻して自分の部屋に飛び込んでいった。
ガチャリと音を立てて鍵がかけられるのを見て、ルカリオはフンと鼻を鳴らした。
賢しげな事を言う。そう思いながらも、確かにあの新顔の探偵が裏を取ったかどうかは確認しなかった事を思い出す。だが、あの探偵社とは長い付き合いで、その調査結果も信頼の置けるものだとルカリオは考えていた。
不意に携帯電話が着信を伝える。ディスプレイに映った番号を見て、ルカリオは小さく舌打ちをしてそれに出た。
「僕だ。どうした」
耳元で甘く囁かれる声は、ルカリオの股間を熱くさせる。
「――これからか?」
誘いの言葉に、ちらりとマリアの部屋を見る。彼女はドアを閉じたまま、出てくる様子もない。
「良いだろう。これから準備して向かう」
満足げに笑う声を聞きながら、ルカリオはゆっくりと立ち上がった。
彼女はマリアと違って、自分を不愉快にさせることが無い。
サンドラ・イルケ。かつてルカリオが妻にしたいと切望した女でありながら、その彼を捨てて姿を消した女。
そして、再び自分の前に現れた女だった。
その容色は衰えるどころか、さらに磨きがかけられている。今や、彼女はただそこにいるだけで周囲の男を蕩けさせるような色香を発していた。
マリアが自分を裏切ったと知った日から、ルカリオにとって彼女と結婚したとしても貞節を守る理由など皆無だった。だからサンドラがオフィスに現れた時、むしろ積極的に彼女を抱いた。
あの頃、若かった自分が堪能したサンドラの身体は、今も素晴らしいものだった。
溺れるなどという言葉は自分には似合わないが、それでもこうして時間を惜しんで彼女と会おうとする自分は、あきらめの悪い人間なのだろう。
ずっと彼女を妻にしたかった。どうしても頷かない彼女に、既成事実でもって結婚を迫るために、彼女に同意を得ずに避妊せずにセックスをした。
そこで知った自身の不妊体質が、ルカリオのプライドを粉々に砕いた。そして彼女は自分の前から去り、某国の大公に見初められたのだという。何番目かの妻になったそうだが、その大公が死んだのを機に再び舞い戻ってきたのだと言っていた。
今も彼女の身体を思い出すだけで、ルカリオは身体が熱くなる。
テーブルの上の料理を一瞥して、着替えるために自室に戻る。そしてその足で、ルカリオは部屋に籠もっているマリアに一言も告げることなく、出て行くのだった。