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おろかなひと  作者: K.Taka
16/39

#15

/15


 マリアはマンションの自室で、じっと鏡の前に立ち尽くしていた。

 メイクも済ませ、着替えも終わっている。今着ているのは、半年ほど前にルカリオが買ってくれた有名ブランドのドレスである。こんな高価な物を着ていくような場所がない、と固辞したマリアに、ならベッドでそれを脱がすのを楽しませてくれればいい、などと答えたのを思い出す。

 意識しすぎだと思うが、これを着ていることでルカリオに妙な思いを抱かせるのではないかと不安になったマリアは、やはり別のドレスにしようかとクローゼットを開いた。

 だが時計の針は迎えが来る時刻をそろそろ指し示しそうであり、これ以上は時間的にも無理だろう。そう考えてマリアはため息を一つ吐く。

 不意に気配を感じ、マリアは顔を上げる。振り返ったマリアの目には、ドアの所にたたずむルカリオが映った。


「……ルカリオ」

「これはこれは。よく似合ってるよ、奥さん」


 腕組みをして壁にもたれかかっていたルカリオが、ゆっくりと近づいて来る。その姿がどこか獲物を狙うライオンのように思えて、マリアは無意識に後ずさっていた。


「あの、あなたが迎えに?」

「ああ。何か疑問が?」

「いえ……。誰か、他の人を使いによこすのだとばかり思っていたものだから」


 そう口にしたマリアは、困ったように眉を寄せて笑う。それを見てルカリオは言いしれぬ苛立ちが湧き上がった。


「どうして? 僕は自分の妻を食事に誘ったんだ。僕が迎えに行くのが当然だろう?」


 すぐ傍らに立って手を差し出すルカリオ。その手をおずおずと掴むマリアは、困り顔のまま微笑む。


「そう。そうね。……ごめんなさい。あまり外出して食事って、慣れていないものだから」


 そう言ってルカリオの視線を避けるように、マリアは俯いた。


「行きましょう? アルマンのお店も久しぶりね」


 そして次に顔を上げた時には、朗らかに微笑んで見せる。その表情の変化に、ルカリオは息を呑んだ。

 彼が知っているマリアは、いつでもこの笑顔を浮かべていた。

 その前まで見せていた戸惑いや憂いといった物が、一切消えている笑顔にルカリオは困惑する。だがすぐに気を取り直し、マリアを促して部屋を出た。




    ◇




「やあ、久しぶりだね、お二人さん!」


 アルマンは陽気な中年男性であり、その陽気さはマリアにとっては懐かしさすら感じさせてくれた。彼はルカリオとは少年時代からの幼なじみであり、アルマンが現在の店を開いた後も、ルカリオがアジャーニの会長となった後も、頻度は減ったとはいえ親交を重ねている仲だった。

 マリアもまた、ルカリオと同居するようになってから何度か連れてこられている。自分のパートナーだと紹介するたびに、アルマンはルカリオを頼むと器用にウィンクしてみせてくれていた。

 アルマンが通してくれたのは店の奥まった場所にある別室で、他の客には見られないようになっている個室だった。そこに通された事にマリアは戸惑い、思わず足を止めて振り返ってしまう。

 背後に立っていたルカリオは、気むずかしい表情のまま進むように促してきた。


「……あの、ここなの?」

「ああ。久しぶりだし、君とゆっくり静かに過ごしたかった。なにせここ数日、満足に家に帰ってすらいなかったからね」


 そう言われれば、だったら部屋で二人きりで過ごしたほうが良かったんじゃないか。そう考えてしまうマリアである。

 とはいえ、こうして食事に誘ってくれたのもルカリオなりの気遣いなのだろうと考え、「そうね」と頷き返すのが精一杯だ。

 ルカリオは答えにほんの僅かな間が空いた事に気付かなかったようで、マリアを席に座らせると自分も席に着く。


「ワインでいいかい?」


 ルカリオの問いに、マリアは困ったように首を横に振った。


「あの、妊娠しているからアルコールは避けてるの。ミネラルウォーターか、ジュースを」

「……そうか。じゃあすまないが何かジュースを。それと僕には、いつものワインを」


 ウェイターが頷いて立ち去ると、ルカリオはまじまじと目の前に座るマリアを見下ろした。

 ほっそりとした――というよりは、痩せぎすな身体に身につけたドレス。確かに痩せたが、それでもまだルカリオは性的な興奮を引き起こされていた。あらわになった胸元は、妊娠のせいか膨らんだのかも知れない。まだ味わっていないが、彼女の身体を味わい尽くしたいという欲望は、マリアを部屋へ迎えに行った時からずっと彼の中で暴れ回っていた。

 ルカリオの無遠慮な視線に気付いたのだろう。マリアが気まずげに身じろぎする。タイミング良くワインとジュースを運んできたウェイターに視線を移し、ルカリオはグラスを掲げた。


「では乾杯しようか」

「……何に?」


 そう問い返すマリアの表情は、まだ冴えない。それを気付きながら、ルカリオはグラスの中のワインに視線を落とした。


「今、僕らがこうしてここに居ることに」


 一度はマリアを追い出した自分が、そんな事を口にするなど皮肉以外の何物でもないだろう。ルカリオはそう考えて唇をゆがめる。

 そしてマリアもまた、その言葉にびくりと身体を震わせていた。

 だがそれはルカリオが思っているような理由ではなく、ただただひたすらに、彼が何を考えているのかが分からない、という理由からだった。

 不意に優しくされる。その時には、言葉を尽くして愛していると囁かれる。だがその割に、彼はまだ一度も自分を抱こうとはしない。妊娠初期で安定しない事を気にしているのだろうか。だがそれならそれで、意思を示して欲しい。結局のところ、マリアの考えはそれに尽きていた。


 しばし久方ぶりのアルマンの料理を堪能した二人だが、食卓に会話らしい会話は無い。時折交わされるのは、仕事がどうの、天気がどうのといった世間話程度のものでしかない。

 そこでルカリオは抱えていた案件を、ここで話す事にした。


「……ああ、そうだ。君には僕の祖父に会って貰う」

「お祖父さん? ルカリオの?」

「ああ。アンジェロ・アジャーニ。今は本家の屋敷にいるよ」

「お体の具合は良くなられたの?」


 マリアの言葉に、ルカリオは首を傾げた。なぜ今の話で、そんな話になる?


「だって、あなた、一年間もいたのに私には一度も会わせようとはしなかったでしょう? だからご病気か何かで人に会わせたくなかったのかと思って……」


 ルカリオの表情を読んだマリアの答えに、成る程と頷いたルカリオは、けれども顔を顰めた。


「いや。残念ながらその逆だよ。祖父の具合はどんどん悪くなっている。……だからこそ、今のうちに会わせておきたい」


 その言葉はマリアにとってはある種の福音に聞こえた。

 アンジェロ・アジャーニは現在のアジャーニ一族の隆盛を作り上げた稀代の企業家である。つまるところ一族の中でももっとも発言権のある人物だ。そんな人物に、自分を会わせてくれるというのならば、ルカリオは少しは自分を信用してくれているのだろう。

 そう考えるマリアは、ルカリオがじっと自分を推し量るような目で見ていた事に、気付かなかった。




2011/02/24 21:51 誤字訂正

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