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パラレルなキミ ーある雷の夜、自分とそっくりな少女?が現れたー

雷の夜、押し入れの中から現れた“もう一人の自分”。

ふたつの世界をつなぐ少年と少女の約束が、未来を救う――

交錯する心が奇跡を呼ぶ、青春SFパラレルワールド・ストーリー。



〈主要登場人物〉

名前年齢・立場特徴・関係

阿部祐樹あべ ゆうき・・・13歳・中学1年。本作の主人公。父を事故で亡くし、母と二人暮らし。偶然パラレルワールドの少女「ユッコ」と出会う。理科好きで心優しい。

阿部ゆうユッコ・・・13歳・中学1年祐樹とそっくりの顔をした“もう一人の自分”。別の世界=パラレルワールドから落雷を通じて現れる。勇敢で聡明。

阿部ママ・・・40歳前後・歯科医仕事熱心なシングルマザー。息子思い。二人の「ユウキ/ユッコ」に戸惑いながらも愛情深く受け入れる。

阿部祐太朗おじさん・・・50代・元大学教授祐樹の父の兄。パラレルワールド研究の第一人者。大学を追われたが、実家の地下で研究を続けている。

ユッコの世界の阿部祐太朗・・・現役教授ユッコの世界で研究を続ける科学者。彼の装置によって世界がつながる。

神戸るみ・・・12歳・祐樹の小学校の同級生国立感染症研究機構教授の姪。祐樹とユッコに協力し、ワクチンデータを渡す。明るく頭の良い少女。

神戸教授・・・40代後半るみの叔父で感染症研究の権威。アロナウイルスのワクチンを開発した。

磯谷春彦・・・19歳・近所の大学生コンビニのバイト。祐樹の知人で少しだらしない兄貴分。

横鳥慎之介教授・・・50代おじさんの元部下。研究成果を奪った裏切り者。事件の黒幕となる。

まさ男/まさ子・・・ゴールデンレトリバー阿部家の犬。実は世界を超えて入れ替わっていた。物語の癒し担当。




第1章 雷の夜、もう一人のボク


 二年前、世界をふるえ上がらせたアロナウイルスの流行から、ようやく人々の暮らしが落ち着きを取り戻していた。

 そのころ小学六年生だった**阿部祐樹あべ・ゆうき**は、ちょうど中学受験の勉強で手一杯の時期に、突如あらわれた未知のウイルスのせいで塾にも行けず、思うように勉強できなかった。

 けれど一年後、日本の研究チームがワクチンを完成させたおかげで、世界中の人々が救われた。あのニュースを見たとき、祐樹は「日本、すごい」と心の底から思った。

 そして今年の春。

 努力のかいあって、祐樹は第一志望の私立中学校・遊星学園中等部に合格した。

 とはいえ、周りには受験で苦労した友人も多い。とくに、同じマンションに住む**磯谷春彦いそがい・はるひこ**さんのことは、なんだか他人事とは思えなかった。

 春彦さんは大学生で、一階のコンビニでバイトしている。コロナのころ、オンラインゲームに夢中になってしまい、大学に入ってもあまり通っていないらしい。明るくて面倒見のいい兄貴分だったのに、最近はちょっと元気がない。

 祐樹の家は、東京郊外の犬山駅近くにある十階建てのマンションの十階。

 お母さんは歯医者さんで、都内の二つの歯科医院をかけもちしている。朝は早く、夜は遅い。

 十年前、祐樹が三歳のころに父親が事故で亡くなってからは、母子ふたりきりの生活だ。

 仕事で疲れて帰ってきても笑顔を絶やさない母の背中を見て、祐樹はときどき思う。

 ――ぼくも早く立派な大人になって、ママを楽にしてあげたいな。

 でも、そんな気持ちはすぐに日常に流されて、また忘れてしまう。

 七月二日。

 梅雨が明ける前の東京は、湿気をたっぷりふくんだ重たい空気に包まれていた。

 昼すぎからにわか雨が何度も降り、風はぬるく、雷の音が遠くでごろごろと鳴っている。夕方には空が紫がかって光り、どうやら本格的な嵐が近づいていた。

 放課後。

 祐樹はいつものように家に帰り、机に向かって宿題をすませると、好きな動画サイト「ワイチューブ」を開いた。

 お気に入りは昔のロボットアニメ。変形合体したり、腕が飛んでパンチを放ったり――古いけれど、そのシンプルな迫力がたまらない。

 主人公の決めゼリフをまねして、思わず声を上げた。

 「ミサイルパンチッ!」

 その瞬間だった。

 ――ドォン!

 まるで本物のミサイルが落ちたような、激しい爆音とともに部屋の壁がゆれた。

 光が目の前で弾け、天井の照明が一瞬消える。

 「うわああっ!」

 祐樹は思わず机の下にもぐりこむ。

 外では、嵐の雷がついにこの街へやって来たのだ。

 耳をつんざく雷鳴のあと、部屋の空気が静かになった。

 そのとき――。

 押し入れのふすまが、すうっと勝手に開いた。

 中から、ぼんやりと白い光がこぼれている。

 まるで霧のような光。その中に、誰かの影がゆっくりと立ちあがった。

 「うわあっ!」

 祐樹は再び叫んだ。

 だが、次の瞬間、声を失う。

 光の中にいたのは――自分自身だった。

 いや、正確には、自分とそっくりな「女の子」だった。

 同じ顔。けれど、ショートカットで少し茶色がかった髪。白いジャケットに赤いリボン、紺のスカート。

 その子は、驚いたように祐樹を見つめている。

 「……ぼく、なの?」

 「……わたし、なの?」

 ふたりの声が重なった。

 鏡の前で会話しているような、不思議な感覚。

 やがて、少女の方が先にマスクを外し、やわらかく笑った。

 「はじめまして。わたし、阿部ゆう子。私立恒星学園中等部の一年生」

 「ぼくは、阿部祐樹。私立遊星学園中等部の一年生」

 ――名前まで同じ。

 頭が混乱する祐樹に、ゆう子は「ユッコって呼んで」と微笑んだ。

 そして、ふたりは自然と向かい合った。

 押し入れの中の光はしだいに消え、部屋は再び夕闇に包まれた。

 ふすまをのぞくと、そこにはいつもの押し入れ。寝床代わりの布団と、たたまれていない洗濯物の山。

 「どうして……キミは、ぼくと同じ顔をしてるの?」

 祐樹が息をのむように聞くと、ユッコは少し考えてから答えた。

 「わたしも、同じことを聞きたい。……でも、たぶん説明できると思う」

 ユッコは、家庭教師が座っていた椅子に腰を下ろし、拳で軽くこめかみをたたいた。

 「えっとね、今日、学校の帰りにおじさんの研究所に寄ったの。おじさんは大学の教授で、パラレルワールド――つまり、並行世界の研究をしているの。で、その装置にうっかり触れちゃって……気がついたら、ここにいたの」

 「パラレル……ワールド?」

 祐樹はアニメの話のように聞いていたが、不思議と信じられた。

 自分の目の前に“もう一人の自分”がいるのだから。

 「おじさんの名前は?」

 「阿部祐太朗。父の兄で、わたしの父親代わり。……甘党で、よくおなか壊すの」

 「えっ、それ……ぼくのおじさんと同じ名前だ」

 ふたりは目を見合わせた。偶然にしてはできすぎている。

 世界はふたつあって、それぞれに「阿部家」がある――。

 そう考えたとき、部屋のドアが静かに開いた。

 ふさふさの毛並みのゴールデンレトリバー、まさ男が、よたよたと入ってきた。

 十歳の老犬だ。

 しかし、まさ男は祐樹のそばを通り過ぎ、まっすぐユッコの膝にすり寄った。

 「くぅん……」

 「かわいい!」

 ユッコが頬をすり寄せると、まさ男は尻尾をぶんぶん振ってうれしそうに鳴いた。

 「おまえもかわいい子が好きなのか、こら」

 祐樹がむくれると、ユッコがくすっと笑った。

 そのとき、ぐうぅ……と音が鳴った。

 ユッコのおなかだ。

 続けて、まさ男のおなかも鳴る。

 ふたりは顔を見合わせて笑った。

 「じゃあ、コンビニで何か買ってくるよ」

 「わたしも行く!」

 押し入れの奥から祐樹の服を引っぱり出したユッコは、白いシャツとチノパンを身につけ、広島カープのキャップをかぶった。

 鏡に映った姿は、もうほとんど祐樹そのものだった。

 「うん、それなら平気。……ぼくにしか見えない」

 「ふふ、そっちの世界では、わたしの方が“男装”なのね」

 十階のエレベーターを降り、一階のコンビニ「セブンス」へ。

 レジの奥には、あの磯谷春彦さんがいた。

 「おっ、祐樹。なんか、雰囲気ちがうな」

 「そ、そう?」

 「肌、つやつやしてる……恋でもしたか?」

 ユッコは困ったように笑って、会計をすませた。

 塩焼きそばとおでん、そしてカップケーキ。祐樹には豚ラーメンとコーラを選んだ。

 マンションに戻ると、ふたりは並んで食事をした。

 犬のまさ男も足もとでドッグフードをがつがつ食べている。

 午後十時。

 動画を見ながら笑い合っていると、玄関の鍵がガチャガチャと回った。

 「やばっ、ママだ!」

 祐樹は慌ててユッコを押し入れの上段に押し込み、ふすまを閉めた。

 「歯磨きしたい」

 「一日だけ、がまん!」

 ドアの向こうから、母の声が聞こえた。

 「祐樹、ごはん食べた? ……あー疲れた。お風呂入って寝るわね」

 そのあとに、いつもの決まり文句。

 「寝る前にフロスして、うがいも忘れないでねー」

 ――やっぱり、歯医者だな。

 祐樹は小さく笑って、押し入れを見上げた。

 そこから、かすかにユッコのくしゃみの音が聞こえた。

 こうして、ふたりの奇妙な夜がはじまったのだった。



第2章 ふたつの世界と、おじさんの秘密


 翌朝。

 窓の外は雨上がりの薄い光に包まれていた。七月のはじめとはいえ、まだ朝の空気には少し冷たさが残っている。

 キッチンには、母が作り置いた卵焼きの香りが漂っていた。

 押し入れの上段から、もぞもぞと音がする。

 「……おはよう」

 祐樹が声をかけると、毛布の山の中からユッコが顔を出した。髪が寝ぐせであちこちにはねている。

 「ここ、けっこう寝心地いいね」

 「そりゃ、ぼくのベッドだから」

 祐樹は笑いながら食パンをトースターに入れた。

 インスタントコーヒーを用意し、テレビをつけると、ニュースのアナウンサーが言った。

 ――『昨夜の雷雨により、都内では一時停電が発生しました』

 画面の下には、犬山駅周辺も含まれている。

 まさに、ユッコが現れたあの時間だ。

 「ねぇ、ユウキ」

 トーストをかじりながらユッコが言う。

 「わたし、こっちの世界のこと、まだあんまり知らないんだ。……おじさんに会ってみたい」

 その言葉に、祐樹の心臓が少し速く打った。

 父の兄――阿部祐太朗あべ・ゆうたろう

 元・早田大学の理工学部教授。半年前、部下の裏切りで大学を追われて以来、実家の地下室で研究を続けている。

 「おじさんなら、きっと何かわかるかもしれない」

 祐樹はそう言って、駅へ向かう支度をはじめた。

________________________________________

 電車に揺られて二駅先のトキワダイ駅に着くと、ユッコは驚いたように辺りを見回した。

 「こっちの駅、わたしの世界とすごく似てる。でも……ちょっと違う」

 「たぶん同じ場所に、似たような街があるんだね」

 「ふしぎ……まるで、コピーみたい」

 北口の坂道を上ると、静かな住宅街が広がっていた。

 古い洋館のような建物が並ぶその一角に、緑青の浮いた銅板看板が下がる家がある。

 “阿部醫院”――かつて祖父母が開いた医院の名残だ。

 祐樹がチャイムを押すと、

 「どうぞ」と、太く落ち着いた声が返ってきた。

 玄関を開けると、白衣姿のおじさんが立っていた。

 その視線の先に、祐樹が二人。

 さすがの科学者も、言葉を失う。

 「……なるほど。パラレルワールドから来たんだね」

 おじさんは一拍おいてうなずき、二人を地下の研究室へ案内した。

________________________________________

 階段を降りると、ひんやりとした空気と機械油の匂いが混じった空間に出た。

 広い部屋の中央には、銀色の装置がうねるように並び、パソコンのモニターが青白く光っている。

 壁には数式や電波の図形がびっしり書かれたホワイトボード。

 「こっちの世界の“阿部祐太朗”です」

 ユッコがぺこりと頭を下げた。

 おじさんは苦笑しながら「うん、知ってる」とつぶやいた。

 ユッコは、自分の世界の出来事を話しはじめた。

 「わたしの世界でも、おじさん――つまり、そっちの阿部祐太朗が、パラレルワールドの研究をしています。昨日、研究所に行ったとき、誕生日ケーキの残りを食べたおじさんがトイレに行ってる間に、わたしがスイッチを押してしまって……」

 「なるほど。装置が起動して、こちらの世界とつながった、というわけか」

 祐樹は思わず感嘆の息をもらした。

 おじさんの目が鋭く光る。

 「君のおじさん――いや、わしの“もう一人”は、まだ大学にいるのだな?」

 「はい。優秀で、学生にも人気があります」

 おじさんは苦い顔をした。

 「そうか……こちらでは、研究を奪われて追われる身さ。わしの論文も、装置の設計データも、すべて“横鳥慎之介”という男に盗まれた」

 その名を聞いたユッコは、はっと顔を上げた。

 「横鳥准教授……! こっちの世界でも、いるんですね」

 「君の世界では、まだ大人しいかもしれん。だが、気をつけなさい。あいつは自分の利益のためなら何でもする」

 おじさんの手が、机の上のコーヒーカップをぎゅっと握りしめた。

________________________________________

 そのとき、ユッコのポケットでスマホが震えた。

 「……え?」

 画面には見慣れないアイコン。“パラレル・ライン”。

 そこには、むこうの世界のおじさんからのメッセージが届いていた。

 > 『無事に別の世界へ移動できたようだね。装置は成功した。だが、お願いがある。

 > そちらの世界で開発されたアロナウイルスのワクチンの情報を入手してほしい』

 「ワクチン……?」

 祐樹がつぶやく。

 おじさんが眉をひそめた。

 「向こうの世界では、ワクチン開発が失敗したのか」

 「みたいです。感染が広がって、社会が崩壊しかけてるって」

 そこで祐樹はハッと気づいた。

 「そういえば、ぼくのスマホがなくなってたんだ。もしかして――」

 おじさんがうなずく。

 「ゲートが開いたとき、君のスマホとユッコさんのスマホが入れ替わったんだろう。向こうの阿部教授は、君のスマホを通じて、こちらの世界の情報を知ったのだ」

 ユッコは唇をかみしめた。

 「向こうの人たちを助けたい。……わたしの世界を救えるのは、こっちのワクチンしかない」

 おじさんは静かに頷いた。

 「科学者として、放ってはおけんな」

________________________________________

 そのころ。

 高田馬場の早田大学・物理学研究室。

 革張りの椅子にもたれかかりながら、横鳥慎之介教授はモニターを見つめていた。

 画面には、阿部祐太朗の地下研究室の映像が映し出されている。

 ――壁に掛けられた古い家族写真。その父親の“右目”に、小型カメラを仕込んでいたのだ。

 「ふん……ワクチンを持ち帰るだと? そんなこと、させるものか」

 横鳥は歪んだ笑みを浮かべ、スマホを手にした。

 電話の相手は、裏社会でつながっている男たち。

 「頼みたいことがある。……押し入れを閉じろ」

 受話器の向こうで、低い声が笑った。

 「へい、教授。久しぶりだな」

________________________________________

 午後。

 研究室を出た祐樹とユッコは、駅前のラーメン屋に入った。

 「こっちの世界の味、しょっぱいけどおいしいね」

 ユッコは替え玉を頼み、にこにこしながら麺をすする。

 その笑顔を見ていると、祐樹はなぜか胸の奥がくすぐったくなった。

 ――もし、この子が本当に“もう一人の自分”だとしても。

 ぼくは、ユッコを守りたい。

 祐樹は心の中で、そう決意した。

________________________________________

 夕方、家に戻ると、空がふたたび曇ってきた。

 遠くで雷が鳴っている。

 窓を閉めようとした祐樹がふと外を見ると、マンションの駐車場の陰に黒いワゴン車が止まっていた。

 見たことのないナンバー。運転席には黒い帽子の男が座っている。

 ――嫌な予感がした。

 「ユッコ、今夜は嵐になるかも。……外に出ないほうがいい」

 「うん」

 そのとき、またスマホが震えた。

 パラレルラインに、むこうのおじさんからの短いメッセージ。

 > 『今夜の零時、積乱雲が発生する。

 > その瞬間に実験を行う。ゲートが開く可能性がある』

 ユッコが小さく息をのむ。

 祐樹は頷いた。

 「今夜が、運命の夜になるかもしれない」

 その言葉を聞きながら、窓の外では稲光が白く街を照らしていた。

 やがて、その雷が――ふたりの未来を、大きく変えていくことになる。



第3章 誘拐とワクチンの秘密

________________________________________

 夜の犬山駅前は、昼間とはまるで別の街のようだった。

 商店街のネオンが雨ににじみ、アスファルトの上に赤や青の光を映している。

 焼き鳥の匂いが漂う中、居酒屋からは笑い声が聞こえた。

 そんな喧噪のなかを、祐樹とユッコは肩を並べて歩いていた。

 「こっちの世界も、人は楽しそうだね」

 「うん。でも、向こうの世界は今、外出制限が続いてるんだろ?」

 「うん……。みんな、マスクと手袋をしてて、笑顔も見えないの」

 ユッコの声は少し沈んだ。

 祐樹は無言でうなずき、横断歩道を渡る。

 「大丈夫。必ずワクチンを届けよう。きっと助けられる」

 その言葉に、ユッコは小さくほほえんだ。

 ふたりは商店街の端にあるラーメン屋に入り、湯気の立つとんこつラーメンをすすった。

 「ねぇ、ユウキ」

 「うん?」

 「もしわたしが元の世界に帰ったら……ユウキ、さみしくなる?」

 唐突な質問に、祐樹はむせそうになった。

 「そ、そりゃ……なるけど。でも、キミの世界を救うほうが大事だろ」

 「……そっか」

 ユッコは笑ったが、その笑顔の奥に、ほんの少しの涙が光っていた。

________________________________________

 午後九時。

 雨脚が強くなり、風がガラスをたたく。

 祐樹のマンションに戻ったふたりは、濡れた服をタオルでぬぐってリビングのソファに腰を下ろした。

 「ふぅ……」

 ユッコが深呼吸したそのとき、玄関のチャイムが鳴った。

 「宅配かな?」

 祐樹が立ち上がってドアを開けた瞬間――。

 ドカッ!

 黒い帽子に黒いマスクをつけた大柄な男たちが、無理やり押し入ってきた。

 「静かにしろ!」

 怒鳴り声と同時に、祐樹の腹に鋭い拳がめり込む。

 「ぐっ……!」

 祐樹は床に倒れ込み、息ができない。

 「やめて!」

 ユッコが叫ぶが、もう一人の男がハンカチを口に押し当てた。甘い薬品のにおいが鼻を突く。

 ユッコの視界がぐるりと回転し、意識が暗闇に沈んだ。

 廊下の端では、老犬のまさ男がキャンキャン吠えていた。

 だが、男たちが差し出したハンバーガーを鼻先に出すと、たちまち静かになり、尻尾を振りながら食べ始めた。

 「チョロい犬だな」

 男たちは鼻で笑い、ユッコを大きなスーツケースに押し込むと、あっという間に部屋を出ていった。

 残された祐樹は、よろよろと起き上がったが、意識が遠のく。

 「ユッコ……!」

 声を出そうとした瞬間、また視界が暗くなった。

________________________________________

 どれくらい時間がたったのか。

 目を覚ましたとき、部屋は静まり返っていた。

 外では雨がやんで、遠くで雷鳴だけが鳴り続けている。

 ソファに倒れたままの祐樹は、痛む腹を押さえながら起き上がった。

 「……ユッコ!」

 どこを探してもいない。押し入れも、浴室も、キッチンも。

 そのとき、ベランダの外の駐車場に、黒いワゴン車が走り去っていくのが見えた。

 後部座席の窓の隙間に、見覚えのあるスカートのすそがちらりと揺れた。

 「連れ去られた……!」

 祐樹はスマホを探した。が、ない。

 思わず床をたたいた。

 「くそっ、ぼくのスマホ、向こうの世界にあるんだった!」

 そこへ、ちょうど母が仕事から帰ってきた。

 「祐樹!? その顔どうしたの!?」

 頬は腫れ、目の下に青いあざができていた。

 「だ、大丈夫……それより、ユッコが!」

 祐樹は事情を説明した。

 母は混乱した様子だったが、すぐに警察へ通報した。

 「警察が来るまで、動かないで!」

 そう言いながら、母はベランダのカーテンを閉め、玄関の鍵を二重にかけた。

________________________________________

 一方そのころ、

 ユッコは薄暗いビルの一室で目を覚ました。

 手足はしばられ、隣の机には、あの横鳥教授が立っていた。

 「お目覚めかな、お嬢さん」

 「……あなた、何をする気?」

 「簡単なことだよ。君がいなくなれば、ワクチンは向こうの世界に届かない」

 ユッコの顔がこわばった。

 「どうしてそんなことを!」

 「パラレルワールドは共存できない。どちらかが滅びれば、もう一方が安定する。これは科学だ」

 横鳥は冷たく言い放ち、スーツのポケットからナイフのような器具を取り出した。

 「だから――君には、消えてもらう」

 「やめて!」

 ユッコは椅子を蹴って立ち上がろうとしたが、縄が食い込んで動けない。

 そのとき、ドアの外から怒鳴り声がした。

 「教授、やりすぎだろ!」

 荒っぽい男たち――誘拐を実行したならず者たちが入ってきた。

 「殺すなんて聞いてねぇぞ」

 「金だけもらえりゃいいと思ってたのに……」

 横鳥は顔をしかめた。

 「黙れ。これは人類のためだ」

 「人類のため? バカ言え!」

 もみ合いになる中、ユッコは必死に縄をこすり合わせ、腕をほどいた。

 教授が振り向いたときには、もう遅い。

 ユッコは机の角を蹴り、ドアへ突進した。

 「待てっ!」

 教授の叫びを背に、階段を駆け下りる。

 五階、四階、三階――。

 だが、足をすべらせて踊り場から転げ落ちた。

 膝が痛み、息が切れる。

 それでも、止まれない。

 ――十二時の雷までに、戻らなきゃ。

 ユッコはよろよろと立ち上がり、外の通りへ飛び出した。

________________________________________

 一階の八百屋の灯りがまだついていた。

 ユッコはドアを押し開け、倒れこむように入った。

 「だ、大丈夫!?」

 おかみさんが驚いて駆け寄る。

 「た、助けて……誘拐……」

 その言葉を聞くなり、おかみさんは電話を手に取った。

 「警察!? すぐ来て! 女の子が!」

 数分後、パトカーのサイレンが鳴り響いた。

 駆けつけた警察官たちは五階へ突入し、気絶した横鳥教授を発見。

 彼は手下と口論の末、殴られて倒れていたのだ。

 教授は逮捕され、誘拐に関わった男たちは逃走した。

 だが、ユッコは無事に保護された。

________________________________________

 夜更け、祐樹の家のインターホンが鳴った。

 母と祐樹がドアを開けると、そこには婦警さんに付き添われたユッコの姿があった。

 髪は乱れ、膝には絆創膏。

 だが、しっかりと立っていた。

 「ユッコ!」

 祐樹が駆け寄ると、ユッコは安心したように笑った。

 その後ろで、母は彼女の顔を見て――気を失った。

 「……ママ!?」

 数分後、母が目を覚ますと、祐樹が必死に説明した。

 だが、双子のような二人を見比べても、母はまだ夢を見ているような表情をしていた。

 「祐樹、頭を打ったんじゃないの?」

 「ちがうよ! 本当にこの子は別の世界から来たんだ!」

 母はため息をついたが、やがて小さくうなずいた。

 「……信じるしかないわね」

 そして、優しくユッコを抱きしめた。

 「怖かったでしょう。もう大丈夫よ」

 ユッコの頬を、母の涙が濡らした。

________________________________________

 夜が明けるころ、警察が去ったあと、祐樹は机に向かった。

 「どうするの?」

 「神戸教授に連絡する。るみの叔父さんだ」

 神戸教授――アロナウイルスのワクチンを開発した研究者。

 祐樹は小学校のとき、同級生の神戸るみからその話を聞いていた。

 「るみちゃんなら、教授に会わせてくれるはずだ」

 祐樹は家の電話を取り、るみの番号を押した。

 深夜にもかかわらず、電話の向こうから元気な声が返ってきた。

 「えっ、ユウキ? どうしたの、こんな時間に!」

 「大事なことなんだ。命がかかってる」

 るみは一瞬黙り、そして言った。

 「わかった。夜の七時、目白駅で待ってる」

 祐樹は受話器を置き、窓の外を見上げた。

 東の空が、わずかに白み始めている。

 新しい一日が始まる。

 そして――二人の世界を救うための、本当の戦いも。

________________________________________


第4章 ワクチンを託された夜


 午後七時。

 夕焼けの名残がわずかに街を染め、山手線・目白駅のロータリーには、通勤帰りの人々が行き交っていた。

 車のライトが濡れた舗道に反射して、夜のはじまりを告げている。

 「ここが目白駅かぁ……」

 ユッコが見上げた駅舎は、むこうの世界とそっくりだった。

 「ちょっと緊張するね」

 「うん。でも、神戸教授に会えたら、きっと道が開ける」

 祐樹は自分に言い聞かせるようにうなずいた。

 ホームから改札へ上がる階段の途中で、元気な声が響いた。

 「ユウキー! こっちこっち!」

 手を振っていたのは、小柄な女の子。

 くるくるした髪を二つに結び、赤いリュックを背負っている。

 「るみ!」

 祐樹が駆け寄ると、るみは目を丸くした。

 「えっ……二人!?」

 ユッコを見て、ぽかんと口を開けたまま固まっている。

 「ええと……説明すると長いんだけど、かいつまんで言うと――」

 「パラレルワールドね?」

 「え?」

 「だって、うちの叔父さん、昔からその研究してるもん」

 るみは、あっさりと受け入れた。

 「さすが理系の家族……」

 祐樹は脱力して笑った。

________________________________________

 三人はタクシーに乗り、郊外の小高い丘の上に建つ「国立感染症研究機構」へ向かった。

 道の両脇には森が続き、夜の闇に街灯が点々と浮かぶ。

 「本当にこんな場所に研究所があるの?」

 ユッコが不安そうに尋ねる。

 「うん。警備が厳しいけど、叔父さんに話してあるから大丈夫」

 るみは頼もしく言った。

 到着した研究所は三十階建てのガラス張りの高層ビルだった。

 入口には警備員が立っている。

 るみが事情を話すと、警備員は一瞬眉を上げたが、電話確認のあとで通してくれた。

 「すごいね、るみちゃん」

 「ふふん、伊達に博士の姪やってないから」

 エレベーターが静かに上昇する。

 二十階で扉が開くと、白衣を着た男性が待っていた。

 背が高く、やさしそうな目をしている。

 「神戸教授!」

 祐樹とユッコが同時に頭を下げた。

 教授は二人の顔を見て、目を丸くした。

 「これは……双子かな?」

 「いえ、違うんです」

 祐樹がこれまでの経緯を話した。雷の夜、押し入れから現れたユッコのこと。

 おじさんが研究していたパラレルワールドの装置。

 そして、向こうの世界がアロナウイルスで崩壊しかけていること。

 話を聞き終えると、教授はゆっくりと腕を組んだ。

 「なるほど。理論的にはありえるな。私の旧友、阿部祐太朗くんらしい」

 「えっ、おじさんと知り合いなんですか?」

祐樹が目を丸くした。

 「彼とは大学時代の同期だよ。いつも“パラレルワールド”の話ばかりしていてね。まさか本当に成功させるとは……」

 教授は感心したように笑った。

________________________________________

 「それで、君たちはワクチンを取りに来たんだね」

 「はい。向こうの世界では、ワクチンの開発がうまくいかなくて……たくさんの人が苦しんでいます」

 ユッコの声は少し震えていた。

 教授は静かにうなずいた。

 「ならば、これを持っていきなさい」

 机の引き出しを開け、教授は小さなプラスチックケースを取り出した。

 中には銀色のUSBメモリと、小さなアンプルが入っている。

 「USBにはワクチンの設計データ、アンプルには原液サンプルが入っている。これさえあれば、向こうの世界でも製造できるはずだ」

 ユッコは両手でそれを受け取り、深く頭を下げた。

 「ありがとうございます……! これで、みんなを救えます」

 「ただし、気をつけなさい」

 教授の声が低くなった。

 「研究データは極秘だ。もし悪意のある者の手に渡れば、世界は再び混乱する」

 「わかっています。責任をもって、わたしの世界に届けます」

 祐樹が横で拳を握りしめた。

 「ぼくも手伝います。絶対に守ってみせます!」

 教授は優しく微笑んだ。

 「その意気だ。……君のお父さんも、きっと同じことを言っただろうな」

 その一言に、祐樹の胸が熱くなった。

 亡き父の姿が、ぼんやりと心に浮かぶ。

________________________________________

 研究所を出ると、夜風が少し冷たかった。

 街の灯りの向こうで、雷雲がゆっくりと広がっていく。

 「また嵐が来そうだね」

 「うん。……でも、今度の嵐はチャンスかもしれない」

 パラレルラインから、向こうのおじさんからのメッセージが届いた。

 > 『今夜の零時、積乱雲が東京上空を通過する。

 > そのとき、レーザー照射でゲートを再び開く。

 > ワクチンを持って帰る準備をしてくれ』

 「零時……」

 ユッコがつぶやく。

 「あと五時間か」

 「家に戻ろう。準備しなくちゃ」

________________________________________

 夜十時。

 祐樹の部屋には、母、ユッコ、そしておじさんの阿部祐太朗がそろっていた。

 机の上には、USBとアンプルを収めたケース。

 「本当に、これを持って帰れば救えるんですね?」

 母が心配そうに聞く。

 「うむ。わしが見た限り、神戸教授のデータは完全だ。向こうの世界でも製造可能だろう」

 窓の外では風が唸り、雷が遠くで光った。

 「時間が近い……」

 ユッコは押し入れの前に立った。

 白いジャケットに赤いリボン。恒星学園の制服に着替えている。

 「この服で帰りたいの。だって、あっちの世界ではこれが“わたし”だから」

 「……ユッコ」

 祐樹は、喉が詰まるような気持ちで名前を呼んだ。

 「ユウキ、ありがと。あなたに会えてよかった」

 「ぼくだって。キミがいたから、強くなれた」

 ふすまを閉める前、ユッコは小さく手を振った。

 「また、会えるよね?」

 「もちろん。また嵐の夜に」

 そのとき、パラレルラインからメッセージが届いた。

 > 『実験開始!』

 部屋が白く光り、激しい雷鳴が轟く。

 ――ドガァァァンッ!

 壁が揺れ、机の上のコップが倒れた。

 光が収まったあと、祐樹たちは押し入れを見つめた。

 静寂。

 「……だめか?」

 おじさんがふすまを開けると、そこにはまだユッコがいた。

 「やっぱり、行けないみたい」

 ユッコが悲しそうにうつむいた。

 母がアルバムを取り出し、落ちた写真を拾った。

 それは、祐樹がお腹にいたころの超音波エコー写真。

 「懐かしい……」

 だが、次の瞬間、全員が息をのんだ。

 写真の中に――「男の子」を示す影がなかったのだ。

 「……これ、どういうこと?」

 母がつぶやく。

 おじさんはゆっくりと立ち上がった。

 「そうか……十三年前の雷の日、二つの世界が干渉して入れ替わったんだ。

  本来は、祐樹が“むこう”に、ユッコが“こちら”に生まれるはずだった」

 静まり返る部屋。

 ユッコは祐樹の手を握りしめた。

 「じゃあ、わたしがここにいること自体が、間違い……?」

 「違うよ」祐樹は首を振った。

 「ぼくは、キミに会うために生まれたんだ」

 雷の音が、再び夜空を裂いた。

________________________________________

 時刻はまもなく零時半。

 ユッコのスマホに通知が届く。

 > 『再チャレンジ、三十分後。落雷確率八十パーセント』

 「次の雷で、きっと行ける」

 おじさんがモニターを操作し、ゲートのエネルギーを再調整する。

 祐樹はユッコの肩を掴んだ。

 「もしうまくいかなかったら、今度はぼくが行く」

 「えっ……?」

 「向こうを救うのは、もう“ぼくの役目”かもしれない」

 ユッコの瞳が大きく揺れた。

 「ユウキ……」

 雷鳴がふたたび鳴り響く。

 窓の外、稲妻が夜空を引き裂いた。

 運命の瞬間が、近づいていた――。



 第5章 雷のゲート、そして別れ


 夜の十二時三十分。

 窓の外では、稲光がまるで空を裂くように走っていた。

 風がベランダの鉢植えを倒し、雨がガラスを叩きつけている。

 まるで世界そのものが呼吸を荒くしているようだった。

 「くる……もうすぐだ」

 おじさんの声が緊張に震えた。

 机の上のモニターには、積乱雲の映像と雷の軌道データが映し出されている。

 「エネルギー値、上昇中。次の落雷が、最大のチャンスだ」

 祐樹は押し入れの前に立ち、ふすまに手をかけた。

 その姿を見て、母が小さく息をのんだ。

 「ユウキ、まさか――」

 祐樹は母をまっすぐに見つめ、静かに言った。

 「ぼくが行くよ。ユッコを守るって、約束したから」

 ユッコは首を横に振った。

 「だめ! これはわたしの世界の問題。あなたが行くことない!」

 「でも、もうわかってるんだ」

 祐樹は、拳を胸の前で握りしめた。

 「ぼくとキミは、入れ替わって生まれた。本当は、ぼくがあっちの世界に生きるはずだったんだろ?

 だったら、今度こそ正しい場所に戻るよ」

 「……そんなの、いやだ」

 ユッコの目に涙が浮かぶ。

 「ねぇ、ユウキ。わたし、こっちの世界が好きになったの。ママも、まさ男も、みんな優しくて――あなたと過ごした時間が宝物なんだよ」

 「ぼくも同じだよ。でも、誰かが向こうを救わなきゃ。ワクチンが届かなかったら、たくさんの人が……」

 そのとき、モニターに赤い警告ランプが点滅した。

 「来るぞ!」おじさんが叫ぶ。

 「積乱雲直上にエネルギー集中! 最大級の雷だ!」

 祐樹は白いマスクを手に取り、顔にかけた。

 ユッコが思わずその手を掴んだ。

 「行かないで……お願い」

 祐樹は一瞬、迷った。

 けれど、その瞳の奥に映るユッコの涙を見て、逆に決意が固まった。

 「大丈夫。必ず戻ってくる」

 「約束して」

 「うん、約束だ」

 祐樹は押し入れの中に足を踏み入れ、深呼吸した。

 ふすまの向こうから、白い光が漏れ出してくる。

 おじさんが操作盤のスイッチを押す。

 「実験開始!」

 ――ドゴォォォォォン!

 すさまじい光と音。

 床が揺れ、部屋の照明が一瞬にして消えた。

 母が悲鳴を上げ、ユッコが叫ぶ。

 「ユウキィーー!」

 激しい光が収まったとき、押し入れは静まり返っていた。

 おじさんがゆっくりとふすまを開ける。

 そこには、祐樹の姿はもうなかった。

 代わりに、押し入れの中は白い霧のような光で満たされ、かすかに風が吹き出している。

 「……成功した」

 おじさんがつぶやいた。

 ユッコはその場に膝をつき、泣き崩れた。

 「ユウキ……!」

 母が彼女の肩を抱いた。

 「きっと大丈夫よ。あの子は、強い子だから」

________________________________________

 一方そのころ――。

 祐樹は、まばゆい光の渦の中にいた。

 耳鳴りとともに、身体が浮き上がる。

 時間も空間もわからない。

 ただ、白い風が全身を包み、どこか遠くへ引き寄せられていく。

 目を開けると、そこは見知らぬ研究所のような場所だった。

 壁には見慣れた数式と、奇妙な機械装置。

 そして、その中央で、白衣姿の男性が祐樹を見つめていた。

 「……成功したか。ようこそ、もう一つの世界へ」

 その声は、たしかにおじさん――いや、向こうの世界の阿部祐太朗教授のものだった。

 「おじさん……ぼく、来ました」

 「うむ、よくやった。ユッコの代わりに来てくれたのだな」

 「はい。これを……」

 祐樹は胸ポケットから小さなケースを取り出した。

 USBメモリとワクチンの原液アンプル。

 「これが、ワクチンのすべてです」

 教授は目を見開いた。

 「これで救える……!」

 祐樹の手を取り、強く握りしめた。

 「君が来なければ、この世界は滅びていた。ありがとう」

 祐樹は微笑んだ。

 「ぼくは、ただ約束を守っただけです。ユッコと――約束したから」

________________________________________

 その夜。

 パラレルラインで通信がつながった。

 画面の向こうには、涙を浮かべたユッコの顔。

 「ユウキ! 無事なのね!?」

「うん。ちゃんと着いたよ。向こうの世界のおじさんも元気だ。すぐにワクチンを作り始めるって」

 「よかった……本当によかった……!」

 ユッコの声は震えていた。

 おじさんが後ろから祐樹の肩をたたいた。

 「この世界を救ったら、また戻ってきなさい。ゲートは安定してきている。いずれ往復もできるはずだ」

 「はい。……必ず戻ります」

 通信が途切れる直前、ユッコが笑って言った。

 「待ってるからね。約束だよ」

 「うん、約束」

 その言葉が、白い光の中に消えていった。

________________________________________

 翌朝。

 ユッコは祐樹の部屋で目を覚ました。

 まぶしい朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいる。

 押し入れの前に座り込み、ふすまに手を当てた。

 「ユウキ……ちゃんと着いたんだね」

 まさ男が隣にやってきて、ユッコの手をなめた。

 「ありがと、まさ男。……わたし、がんばるよ」

 ユッコは立ち上がり、制服のスカートを軽くはたいた。

 「今日から、ユウキとして生きるんだ」

 鏡に映る自分を見て、少し笑った。

 学校へ行く準備をしながら、ふと心の中でつぶやく。

 ――きっと、あの人も空の向こうで頑張ってる。

 だから、わたしも負けない。

 外では、嵐の夜が嘘のように青空が広がっていた。

 そしてその空のどこかで、祐樹も同じ空を見上げている。

________________________________________

 押し入れの奥では、まだわずかに光が揺れていた。

 ふたつの世界を結ぶ“ゲート”は、確かに存在している。

 それは、約束の証のように――静かに、やさしく、光っていた。



第6章 もう一つの空の下で


 目を覚ましたとき、祐樹は金属の匂いに包まれていた。

 部屋の天井は灰色の鉄板で、蛍光灯がちらちらと点滅している。

 外からは、低く唸るような風の音。

 どうやら、地下施設のようだった。

 「……ここが、ユッコの世界か」

 そうつぶやくと、背後から声がした。

 「おはよう。よく眠れたかい?」

 振り返ると、白衣を着た男性――向こうの世界の阿部祐太朗教授が立っていた。

 同じ顔、同じ声。けれど、どこか疲れたような目をしている。

 「君が来てくれたおかげで、この世界は希望を取り戻した」

 教授はそう言って、コンピュータ画面を操作した。

 スクリーンには世界地図が映し出されている。

 赤い点がいくつも点滅していた。

 「アロナウイルスは、アジアからヨーロッパまで広がった。ワクチン開発は失敗し、人々は互いを疑い、都市は封鎖された。

 ……だが、君が持ってきたデータがあれば、まだ間に合う」

 祐樹は黙ってうなずいた。

 彼の心には、ユッコの「みんなを救って」という言葉が、何度もよみがえっていた。

________________________________________

 研究所の外に出ると、空はどんよりと濁った灰色をしていた。

 太陽は雲に隠れ、街全体が薄暗い。

 通りを歩く人々はマスクを二重につけ、ゴーグルまでしている。

 どこからか消毒薬のにおいが漂ってきた。

 「ここが……ユッコのいた世界?」

 祐樹は息をのんだ。

 看板には「恒星学園中等部」と書かれている。

 だが、校門の前には「感染警戒区域」の立札が立ち、誰もいない。

 風に乗って、かすかにチャイムの音が響いた。

 「まるで、時間が止まったみたいだ」

 祐樹はつぶやいた。

 そのとき、後ろから小さな声がした。

 「……きみ、誰?」

 振り向くと、防護マスクをした少女が立っていた。

 黒いショートヘアに、少し鋭い目。どこかユッコに似ている。

 「ぼくは……阿部祐樹。別の世界から来た」

 「は?」

 少女は怪訝そうに眉をひそめた。

 「まさか、また新しい妄想者? この街にはもう“別世界の住人”を名乗る人が何人もいるのよ」

 「ほんとなんだ!」

 祐樹は必死に説明した。

 雷の夜、押し入れ、装置、ワクチン――。

 少女はしばらく無言で祐樹を見つめていたが、やがてため息をついた。

 「……変な子。でも、目はウソをついてないね」

 「きみは?」

 「ナギサ・フタバ。恒星学園の生徒だったけど、今はボランティアで避難所を回ってるの」

 「避難所?」

 「感染で家族を亡くした子どもたちを保護してるの。私も、その一人」

 ナギサの声は静かだったが、瞳の奥には強い光があった。

 「この世界では、泣いてるだけじゃ何も変わらない。だから私は動く。誰かがやらなきゃ」

 その言葉に、祐樹の胸が熱くなった。

 ――ユッコと同じだ。

________________________________________

 その夜、祐樹はナギサに連れられて地下の避難施設へ行った。

 広いホールにベッドが並び、マスクをつけた人々が静かに横たわっている。

 小さな子どもをあやす母親、咳き込む老人、黙って毛布をかけるボランティアの学生たち。

 ナギサが言った。

 「ワクチンを作るって話、本当?」

 「うん。向こうの世界では完成してる。おじさんが準備を進めてる」

 「なら、私も手伝う」

 祐樹は驚いた。

 「きみが?」

 「医学部志望だからね。……それに、死ぬのを待ってるだけなんて、まっぴら」

 ナギサの手は細かったが、力強かった。

 「一緒にやろう」

 「うん」

________________________________________

 それからの日々、祐樹は教授の研究チームに加わり、ナギサとともに夜遅くまで実験を続けた。

 培養器の中で細胞が増え、試験管の中で液体が変色していく。

 少しずつ、希望の光が見えてきた。

 ある夜、教授が報告した。

 「臨床試験の準備が整った。成功すれば、この世界の感染は止まる」

 祐樹とナギサは顔を見合わせ、思わず笑った。

 「やった……!」

 だがその喜びは、長くは続かなかった。

 モニターに警告が表示されたのだ。

 > “施設内に侵入者あり”

 警報が鳴り響く。

 「誰だ!?」教授が叫ぶ。

 モニターに映ったのは、あの横鳥慎之介――こちらの世界でも暗躍していた。

 「装置をよこせ! 二つの世界が共存するなど不可能だ!」

 横鳥の怒鳴り声がスピーカーから響いた。

 「このままでは両方の世界が崩壊する!」

 ナギサが拳を握った。

 「そんなの、信じない!」

 祐樹は彼女をかばいながら立ち上がった。

 「ぼくらは救うために来たんだ! どちらの世界も!」

 横鳥が手榴弾のようなものを投げつけた。

 「やめろっ!」教授の叫び。

 爆発音と同時に、白い光がはじけた――。

________________________________________

 気がつくと、祐樹は瓦礫の上に倒れていた。

 耳がじんじんする。

 周囲は煙に包まれ、機械が火花を散らしている。

 「ナギサ!」

 声を上げると、少し離れたところで彼女が動いた。

 額から血がにじんでいるが、まだ生きていた。

 「……大丈夫?」

 「平気。……でも、教授が」

 祐樹が振り返ると、教授は機械の下敷きになっていた。

 「おじさん!」

 駆け寄ると、教授はかすかに笑った。

 「祐樹……ワクチンのデータは、守られた。

 あとは……君に託す」

 教授の手が、ゆっくりと祐樹の胸に触れた。

 「ありがとう……君が来てくれて、本当によかった」

 そう言って、彼は静かに目を閉じた。

 祐樹は膝をつき、拳を握った。

 「おじさん……必ず、完成させます」

 ナギサがそっと肩に手を置いた。

 「……きっと、見てるよ」

 灰色の空に、一筋の光が差した。

 それは夜明けの兆しのように、世界を静かに照らしていた。

________________________________________

 祐樹は立ち上がり、ナギサとともに再び研究所へ戻った。

 焼け焦げた部屋の中で、壊れた装置の一部がかすかに光っている。

 パラレルライン――ユッコのスマホからの通信信号だ。

 画面の中で、ユッコが叫んでいた。

 「ユウキ! 無事なの!?」

 「うん。こっちは大変だけど、もう少しでワクチンが完成する!」

 「よかった……本当に、よかった……!」

 その声を聞いて、祐樹はほっと笑った。

 「もうすぐ終わる。……そしたら、必ず戻るから」

 「うん、待ってる」

 通信が切れたあと、ナギサが小さく笑った。

 「彼女、きれいな声してるね」

 「うん。ぼくに似てるんだ」

 「変なこと言うなぁ」

 ふたりは顔を見合わせて、笑った。

 その笑い声が、静まり返った研究所の中にやさしく響いた。

________________________________________

 外に出ると、灰色だった空が少しだけ青く見えた。

 雲の切れ間から、わずかに太陽の光がこぼれている。

 ナギサが手をかざし、つぶやいた。

 「ねぇ、祐樹。きっとこの空の向こうにも、同じ太陽があるんだよね」

 「うん。ぼくの世界にも、キミの世界にも、同じ光が届いてる」

 ふたりはその光を見つめた。

 それは、遠く離れたもう一つの世界――ユッコのいる青空へと続いていた。

________________________________________


第7章 ふたつの約束


 ワクチン試作から五日後。

 パラレルワールドの空は、ようやく晴れ間を見せていた。

 祐樹は研究所の屋上に立ち、風に吹かれていた。

 風は冷たく、けれどどこか優しい。

 目を細めると、雲の向こうに青の光が差している。

 「これが……ユッコの世界とつながってる空」

 つぶやいた声は、風に溶けていった。

 後ろから足音がして、ナギサがやってきた。

 白いマスクを外し、風を吸いこむように深呼吸する。

 「空気、きれいになったね」

 「うん。感染者も減ってきてる。もうすぐ終わるよ」

 「あなたのおかげだね」

 祐樹は首を振った。

 「ぼく一人じゃ何もできなかった。教授も、君も、そして――ユッコも。

 みんながいたから、ここまで来られたんだ」

 ナギサはふっと笑って、ポケットから小さな写真を取り出した。

 それは、子どものころの彼女が母と並んで写っている写真だった。

 「これ、感染で亡くなったお母さん。最後に言われたの。

 “人を救う人になりなさい”って。……ずっと、忘れられなくて」

 祐樹は静かにうなずいた。

 「その想い、ちゃんと届いてるよ」

 ナギサは照れたように笑い、空を見上げた。

 「ねぇ祐樹。ワクチンが完成したら、あなたはどうするの?」

 「ユッコの世界に帰るよ。……約束したから」

 「そう。きっと彼女、待ってるね」

 ナギサは少し寂しそうに微笑んだ。

 「じゃあ、約束の世界に帰るその日まで、私はここでがんばる」

 「ありがとう、ナギサ」

 二人は手を握り合った。

 それは別れの約束でもあり、友情の証でもあった。

________________________________________

 一方そのころ――。

 ユッコは、祐樹の世界での生活を続けていた。

 外見は祐樹そのもの。

 けれど、心の中ではいつも「彼」との記憶が生きていた。

 「ユウキ、今日はちゃんと朝ごはん食べた?」

 キッチンから聞こえる母の声に、ユッコは「うん」と答えた。

 味噌汁の香りが懐かしく感じる。

 “お母さん”と呼ぶことにも、少しずつ慣れてきた。

 学校では、クラスメイトの明るい声が迎えてくれた。

 「阿部、昨日のテストどうだった?」

 「まぁまぁ、かな」

 少しとぼけたように笑うと、周りも笑った。

 放課後、校舎の屋上に出ると、風が頬をなでた。

 西の空には、夕焼けのオレンジ色が広がっている。

 ユッコは両手を胸の前で組み、目を閉じた。

 ――ユウキ、そっちは元気?

 ――ちゃんと食べてる?

 ――わたし、あなたがいないと寂しいけど、がんばるね。

 風が吹いて、髪が揺れる。

 どこからか、かすかな声が聞こえたような気がした。

 > 「……ユッコ……聞こえる……?」

 はっとして、ユッコは空を見上げた。

 「ユウキ!?」

 風がふわりと頬を撫で、空の雲が形を変える。

 その中に、一瞬だけ祐樹の顔が浮かんだ。

 「……うそ……」

 涙があふれた。

 「ユウキ……! 本当に……!」

 > 「ワクチン、もうすぐ完成するよ。みんな助かる。

 > それが終わったら、きっと戻る。だから……待ってて」

 風の中に、祐樹の声が消えていく。

 ユッコは涙をぬぐい、強くうなずいた。

 「うん。約束だよ。……絶対に帰ってきて」

________________________________________

 夜。

 ユッコは祐樹の机の上にノートを広げた。

 表紙には、祐樹の字でこう書かれている。

 > 『いつか、もう一つの世界に行ってみたい』

 その下に、ユッコは新しくペンで書き加えた。

 > 『いま、わたしたちはつながってる。

 > どんなに遠くても、心は同じ空の下にある。』

 そして、ページの隅に小さく――

 > 『祐樹へ。あなたの約束、ちゃんと届いたよ。ユッコより。』

 と書いた。

________________________________________

 数日後。

 ニュースでは「アロナウイルス完全終息」の速報が流れた。

 世界中の街で人々がマスクを外し、笑顔を取り戻している。

 テレビの映像を見ながら、ユッコは小さくつぶやいた。

 「やったね、ユウキ」

 その夜、ベランダの空にひときわ明るい星が光っていた。

 それはまるで、遠いもう一つの世界から祐樹が微笑んでいるようだった。

________________________________________

 同じ星空の下、

 祐樹もまた夜空を見上げていた。

 隣に立つナギサがそっと言った。

 「ねぇ、あの星、きれいだね」

 「うん。あの光の向こうに、もう一つの世界がある」

 祐樹は胸のポケットから、ユッコが残してくれた赤いリボンを取り出した。

 風に揺れるリボンが、月明かりを受けてやさしく輝く。

 「ユッコ、約束は守るよ。必ず戻る」

 風が吹き、空に流れ星が一筋走った。

 それは、ふたつの世界を結ぶ光の糸のようだった。



終章 青い鳥の帰る場所


 春の光が、街をやさしく包んでいた。

 灰色だった空は澄み渡り、どこまでも青く広がっている。

 鳥たちがさえずり、人々がマスクを外して笑い合っていた。

 その青空の下――。

 パラレルワールドの東京でも、人々がようやく外に出られるようになっていた。

 ワクチン接種が進み、感染者の数はほとんどゼロに近づいている。

 ニュースのキャスターが、涙ぐみながら伝えていた。

 > 「この奇跡的なワクチンデータをもたらしたのは、

 > ある少年だといわれています――」

 名前は明かされない。

 けれど、祐樹は静かにその画面を見つめ、リモコンを置いた。

 「もう、ぼくの役目は終わったんだね」

 隣のベッドには、怪我から回復したナギサが座っていた。

 包帯の下の額にはまだ小さな傷が残っている。

 「終わったなんて言わないで。あなたが来なかったら、私たちは生きてない」

 「でも……もう帰らなきゃ」

 祐樹は、ポケットから小さな赤いリボンを取り出した。

 ユッコが残したもの――祐樹が最も大切にしている宝物だった。

 ナギサはそのリボンを見て、静かにうなずいた。

 「帰る場所があるって、いいね」

 「ナギサ……ありがとう。きみがいたから、ぼくはここまで来られた」

 ナギサは笑って言った。

 「もう泣かないでね。……また、会えるよ」

 祐樹は彼女に手を振り、研究所の地下へと向かった。

________________________________________

 そこでは、おじさん――この世界の阿部祐太朗教授のデータを引き継いだAI装置が稼働していた。

 スクリーンには、柔らかな光の文字が浮かんでいる。

 > 『ゲート再起動まで、残り五分』

 装置の中心には、白く光る円形のポータル。

 初めてここに来たときと同じ、あの光景だった。

 祐樹は深呼吸をし、ポケットのリボンを強く握った。

 「ユッコ……ぼく、帰るよ」

 カウントが始まる。

 > 「3……2……1……」

 ――ドオォォォン!

 雷鳴が空を裂き、光が部屋を包んだ。

 祐樹の身体が宙に浮く。

 何度も経験した白い渦。

 でも今度は、恐怖ではなく懐かしさがあった。

 「ユッコ……!」

 まぶしい光の中に、やわらかな声が聞こえた。

 > 「おかえり……ユウキ」

________________________________________

 目を開けると、そこは――あの部屋だった。

 見慣れた天井、机、まさ男の尻尾が目の前でゆれている。

 外からは春の風が吹きこみ、桜の花びらがカーテンの隙間から舞い込んだ。

 「……帰ってきた」

 押し入れの前には、ユッコが立っていた。

 彼女は涙を浮かべながら、祐樹に駆け寄った。

 「ユウキ!」

 「ユッコ!」

 ふたりは強く抱き合った。

 あたたかい体温。

 その瞬間、胸の奥の不安や寂しさがすべて溶けていった。

 「本当に……戻ってきたんだね」

 「うん。ワクチンも成功した。みんな助かったよ」

 「よかった……本当によかった……」

 涙をぬぐうユッコの手を、祐樹が包んだ。

 「ありがとう。キミがぼくに“信じて”って言ってくれたから、ここまで来られた」

 「信じてた。だって、ユウキだもん」

 ふたりは顔を見合わせ、笑った。

________________________________________

 その夜。

 おじさんと母も帰宅し、食卓には久しぶりに四人――いえ、“二人のユウキ”が並んだ。

 母は笑いながら、味噌汁をおかわりした。

 「これじゃ、まるで双子ね」

 ユッコは照れ笑いをし、祐樹も肩をすくめた。

 まさ男はテーブルの下で、二人の足元をうろうろしている。

 「まさ男も混乱してるかもね」

 「どっちがどっちだかわかんないもんね」

 みんなが笑った。

 その笑い声が、夜の部屋いっぱいに広がっていった。

________________________________________

 夜更け。

 ユッコはベランダに出て、夜空を見上げた。

 満天の星。

 その中で、ひときわ青く光る星があった。

 「ユウキ、見える? ナギサさんの世界も、きっとこの星の下だよね」

 祐樹が隣に立って、うなずいた。

 「うん。ぼくたちは、もう同じ空を見てる」

 そのとき、押し入れの奥からかすかな音がした。

 ふすまのすき間から、淡い光がもれている。

 おじさんが部屋に入ってきた。

 「装置の反応だ。まだゲートが完全には閉じていない」

 「つまり……」

 「行き来できる可能性が、残っている」

 ユッコと祐樹は目を見合わせた。

 どちらも言葉はなかったが、心は同じだった。

 ――この世界と、あの世界。

 もう二度と壊したくない。

 でも、いつかきっと再びつながれる日が来る。

 その“希望”を、ふたりは胸に刻んだ。

________________________________________

 翌朝。

 陽の光が部屋いっぱいに差しこんだ。

 祐樹は制服に袖を通し、鏡の前でリボンを結んだユッコと笑い合った。

 「さぁ、行こう。今日からまた、同じ空の下で生きるんだ」

 「うん!」

 ふたりは並んで玄関を出た。

 春の風が、ふわりと吹き抜ける。

 桜の花びらが舞い、青空の下を鳥が横切った。

 その鳥は――小さな青い鳥だった。

 まるでふたりを祝福するように、くるりと空を舞い、光の中へ消えていった。

________________________________________

 祐樹はふと、胸の中でつぶやいた。

 > 「パラレルな世界があっても、心はひとつ。

 > ぼくたちは、同じ空を見て生きている。」

 その声は風に溶け、空の彼方へと届いていった。

 ――そして、物語は静かに幕を下ろす。

 けれどふたりの旅は、まだ終わってはいなかった。

 この空のどこかで、またいつか。

 青い鳥が、ふたつの世界をつないでくれる日まで――。


                             完



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