第陸話
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私にとって女学校は、好きだけれど気が重くなる場所だった。
伯爵家、子爵家の子女が、貴族の花嫁の心得を学ぶために作られたのが女学校。
姑となるかたに趣味を合わせられるように、生け花やお茶、ヴァイオリンなどを学ぶ。なので平民の女生徒はもともと少なかった。
表向きは博愛をうたう格式ある学び舎でも、陰では貴族の家同士の確執や身分で、生徒の中にも上下意識があり、とても平民の少女が耐えられるものではなかった。
『琴子さまのことを嫌いになったとか、そういうわけではないのです。……でも……ごめんなさい』
『私、父の転勤が決まって……学校も辞めることになりました。琴子さま、今まで良くしてくださり、ありがとうございます』
中等部では私と仲良くしていた商家や銀行家などの友人たちも、お父さま……川島伯爵家に買収や圧力をかけられ、退学を余儀なくされたり、離れていってしまった。
寂しかった。
私はただ、女の子同士仲良くしたかったのに。
優しい先輩、可愛い後輩と、放課後にはお買い物したり、勉強会をしたり、お茶を飲んでお喋りしたかった。
少女小説みたいな女の子同士の交流のある学校生活に憧れたけど、夢だから、実現しないからこそ憧れなのだと、諦めていた。
けれど、高等部に進学して出会った彼女は、違った。
「お姑さまの趣味が、お花やお茶ばかりとは限らないわ。私なら、お姑さまをシルク・ドゥ・カンパリの舞台にお連れしようかな」
新興の財前商会のお嬢さんである姿子さまは、男性なら誰もが振り返るような可憐なレディだ。
けれど、手弱女という意味のレディではない。
艶のある長い黒髪を赤の組紐で結わえ、着物ではなく袴で、下駄ではなくブーツで通学する。
まるで男子生徒のようなお姿に、女性らしさを求める先生たちは眉をひそめたけれど、憧れる女生徒は多かった。
私を含めて。
「シルク・ドゥ・カンパリって……あの、白い虎を連れたポスターの?」
「あ、琴子さまもご存知? そうよ、私、もう何度あの舞台を観に行ったか! 卒業したらお嫁に行かずに、あの劇団に就職したいくらいよ」
「え、……えええ!?」
無理よ、という言葉は飲み込んでいた。
彼女の瞳は、「できないなんて決めつけないで」と、きらきらと輝いていた。
何故、私は『無理』と思ったんだろう。
そんな職業は男性のものだから、だ。
じゃあ何故『無理』という言葉を飲み込んだのだろう。
姿子さまは笑って言った。
「挑戦する女性がいなかっただけ。やれば案外できちゃうかもよ?」
姿子さまには、異国人のお義兄さまがいるらしい。
お義兄さまは姿子さまにお洒落を教え、喧嘩を教えた。
この国の男性たちのように「三歩下がって男のうしろを歩け」なんて教えなかったそうだ。
「デミトリにも、お父さまにも『やめろ』とは言われたことないわね。『やってみろ』なら言われるけど。……でもさすがに、シルク・ドゥ・カンパリに入るのは止められそうかな」
「はしたないから?」
「いいえ、財前商会の宣伝だと思われるからよ」
「まあっ」
燕尾服にステッキをさげた姿子さまが、シルクハットから『財前商会』と書かれた旗を出すところを想像して、ふきだしてしまった。
似合う。というか、やりそう。
「やらないわよ!?」
「いいえ、是非やって。姿子さまならできるわ」
「えー……じゃあ、琴子さまも同じ舞台に立って下さる?」
「え?」
「私、学校でそれをやりたいの。演劇部を作りたい。女の子だけの舞台、作ってみたい」
姿子さまに『無理』なんて言葉は似合わない。
誰かのうしろを歩くのも。
実現しないからこそ憧れる、そんな諦めも。
姿子さまが歩くのは、うしろではなく……宙。
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ドレスを突き破り出てきたのは、黒い鋭利な骨。
三本目、四本目の腕に似たその骨の間に、無数の葉脈が走り、傘を拡げたような幕が張る。
コウモリの羽根に似ていた。
「お前……!」
尚将さまの驚いた声が聞こえた気がしたが、役立たずの相手をしてる暇はない。
私の脚が玄関の車寄せを蹴る。
宙を駆ける。
自分よりも大きくなった羽根で、バサリと夜空へ浮かび上がる。
シンメトリーの山椿が波のように過ぎてゆく。
伯爵家の馬車の天井に、私は降り立った。
ガン、とブーツの踵が屋根を穿つ。
御者が振り返って「ひいいっ」と金切り声をあげる。
「しっかり手綱を握ってなさい。馬車を揺らして琴子さまにケガでもさせたら……あんたもぶつわよ」




