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第夜話

 頭を鉄塊で殴られたような衝撃だった。


「……いま、何と……?」


 尚将さまに、無礼に当たる直答(じきとう)をしてしまったのは、無意識だ。耳を疑った。

 父が娘の純潔を奪ったと?

 ホールの視線が驚愕と軽蔑の色を濃くした。


 「なんておぞましい……!」


 あからさまに吐き気をもよおした仕草をする婦人がたもいらっしゃる。

 当然だ。それくらいの告発だ。

 尚将さまはうしろに控える父に「感謝する」とひとこと伝えると、ホールを見渡し、伝達する。


「お気付きのことと思うが、今宵の夜会は、腐敗した伯爵家およびその一派の罪状を知らしめるためのもの。財前商会には多大な協力を頂いた。只今より、川島伯爵家当主、川島長五郎の断罪を行う」


 ずらりと尚将さまの背後に黒い軍服の集団が現れた。すごい、ニンジャみたい!


「何を、何を証拠にそのような……」


 その白い顔が何よりの証拠でしょうに。

 川島伯爵は尚将さまの詮議から逃れようと、ちらりちらりと周囲を見回す。

 けれど、援護しようとなさるかたなど、いるわけがなかった。皆、汚物を観る目で遠巻きにしている。


「夢魔とは、罪を被せるにはうってつけだな」


 尚将さまは殺気すらまとっている。


「正に侯爵家が受けていた相談がそれだ。女学校の生徒で、妊娠を理由に退学願いを届け出る者が近年、増えている。そのほとんどが、夢魔の仕業と答えるのだと」


 川島伯爵の、ひゅっと喉が詰まる音がした。


「貴方と同じように、たとえ身籠っても被害の声を上げられない、立場の弱い女学生を欲望の捌け口とし、それを夢魔の仕業としている者が多いのだと判断した」


 尚将さまの手に、背後の軍服のひとりが書類を手渡した。何やら分厚い書き付けのような。

 書類に目を落とした尚将さまは、淡々と事柄を列挙する。


「ここにあるのは、我が侯爵家の密偵の記録と、貴方の家の使用人たちの証言だ。

『琴子嬢の誕生日会を別邸で催す。終了後、夫人のみ馬車で帰宅。琴子嬢と伯爵は翌日まで別邸に滞在』

『十二月九日、零時四十分、旦那さまがお嬢さまの寝室へ御渡りになる。口止め料として銀ニ朱を頂く』

『旦那さまより、お嬢さまのお飲物にブランデーを入れるよう御沙汰があった。お嬢さまはお酒に弱いためお断りを申し上げると、解雇すると叱責されたため、止むを得ず承諾』

……まだ読み上げても良いが?」


 一枚、一枚と紙がめくられる度、ホールの空気が澱んでいく内容だった。私なら、口に出したくもない報告の数々。

 疑惑の域を出ないけれど、限りなく黒に近いグレーだ。

 貴族の品格より、欲の発散を優先させたのね。異国のかたのせいにして。


「きッたない男」


 思わず、吐き捨てていた。

 無礼にも当たる私の声は、ホールにざわめきを生んだ。でも、咎める人はいない。


「姿子、正直すぎ」


 隣でデミトリがくっくと笑っている。そして義兄は、誰も相手にしない伯爵の元へと歩を進めた。

 揺れる銀髪が人を見下すように嗤っていた。


「異国の者なら誰もが知っていることをお教えしましょうか、川島伯爵」


 意地が悪いほど愉しげに、鼻先と指先を伯爵に突きつける。


「夢魔なんて化物は、いないんですよ」

「……な、馬鹿なっ!?」


 伯爵は寄る辺を否定され、真っ赤になった。

 ホールからも少なからず驚きの声が上がる。

 尚将さまも目を見開き、眉を寄せてデミトリを凝視している。私も初耳だ。


「デミトリ、本当なの?」


 私の問いにウインクを返し、吸血鬼は謳うように夢魔の真実を明かす。


「貴方がしたように、娘やメイドのベッドに忍び込み、孕ませてしまった男主人が作り出した、自分の罪を擦り付けるための悪魔。それがインキュバスです。夢の中にしか現れない悪魔なんて、いい設定を創り上げたものですよねぇ。女性は恥じて口を割らない。貴方にも好都合だったでしょう?」


 皮肉と棘をこれでもかと盛り込んだデミトリの講釈に、川島伯爵は開いた口が塞がらない。


「それに、レディに言うのは失礼だったので黙ってましたけど、お嬢さんから臭ったんですよ。くっさい貴方の臭いがね」

「…………!」


 私だけに聴こえた小さな声。

 今度こそ伯爵は、その場にガクリとうなだれた。

 それが一番の動かぬ証拠となっただろう。

 琴子さまは、ご自分を襲ったのが実の父親だとご存知だったのかしら。

 ホールから出る直前に私に向けた、すがるようなあの目は、何を訴えていたのかしら。


 『夢魔じゃない、犯人は別にいる』

 『私を、嫌いにならないで』


 ……どちらも合ってる気がする。

 どんなにか怖かっただろう。私とは違う意味で、無理やり体を作り変えられたのだ。

 いま思えば、玄関でお出迎えしたとき。

 川島伯爵の整髪料の臭いが酷くて、それは伯爵からだけ匂ってきているのだと思ってた。

 あの時も、琴子さまには伯爵の臭いが染み付いていたのだ。

 デミトリはきっと、あの時点で琴子さまと伯爵の関係を疑ったからこそ、お腹の子にも気付けた。

 ごめんね、琴子さま。

 私がもっと、鼻を利かせていれば。

 ちゃんとした吸血鬼だったなら。

 もしかしたらもっと早く、一緒にお喋りしてるときに、一緒にカフェーに行ったときに、こんな晒し者になる前に、貴女の苦しみに気付けていたのに。


「君は、随分と鼻が利くようだな」


 尚将さまは、ご自分より前に出て伯爵の罪を決定づけたデミトリに声をかけた。

 でも気のせいかしら、褒めてるようには聞こえない。義兄はにっこり礼を返す。


「貴方こそ。ああ、密偵の皆さまが、ですけど」


 デミトリ、それも褒めてない。

 針の筵に座らされる格好の川島伯爵は、尚将さまが退出させるよう指示した軍服のかたに脇を固められ、立ち上がった。

 毅然と、と言ったら毅然に失礼だけど、しっかりした足取りで私の横を通り過ぎ、ホール出口に向かう。

 その去り際に、聴こえた。小さな声ではなかった。


「この程度のお遊び、昔から皆やってるだろうが。私ばかりが何故……!」


 ブチ、と頭のどこかで音がした。

 この男、娘にしたことを遊びと言った!

 私はありったけの軽蔑と怒りを拳に……ではなく、言葉に込めて、その背中に投げつけた。


「琴子さま、逃げてー! お父様はまだ懲りてらっしゃらないわー!」

「っ、この、小娘っ!」


 どす黒い憤怒の形相で振り返った伯爵は、震える手で私を指差す。

 まるで駄々っ子みたい。


「わ、わ、私をこんな目に合わせおって、財前商会がただで済むと思うな! 我が伯爵家は、古くから世話してやっている商会がごまんとある。そ、そ、そいつらに命じれば、財前など……」


 軍服の皆さまに引き摺られて、あまりにもぶざまな格好で川島伯爵は退出していった。


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