第壱話
十数年前、私の住むこの『葦舟ノ國』は文明開化を迎えた。
文化交流や貿易拡充の目的で、帝都への異国人立ち入り規制が数百年ぶりに取り払われると、商いの好機とみた異国人がどっと押し寄せた。
珍しいもの、新しいものが大好き、異文化ウェルカムなこの國の人びとは、特にごはんが美味しかったので、異国人をすんなり帝都に迎え入れた。
ついでに異国の化け物も迎え入れた。らしい。
だって人の目に視えるかたと視えないかたがいらっしゃるんだもの。
たとえ視えなくても、失礼のないようにしなきゃね。
貿易船で数十日も揺られ続け、息子とともに新天地にやってきた彼女も、生前の贅沢な貴族生活をさせてくれそうな成金商人の後妻に収まって、帝都に住み着いた。
それが我が義母アウロラと、義兄デミトリである。
吸血鬼であることは本人たちから聞いた。
「髪も目も黒い者の血なんて、味が悪そうで嫌ですの。ですから貴方たちに害はありませんわ」
というのが、義母から父へのアピールだったらしい。
それで結婚まで行くか父よ。もっと悩め。
まあ、貴族だったということで、帝都の華族が催す夜会では義母が大活躍して、父と財前商会を売りこんでるそうなので、大助かりだけど。
「髪も目も黒い者の血は飲みたくない、のではなかったのかしら?」
「飲みたくないとは言ってない。不味そうと言っただけだ」
「余計ムカつくわ」
「飲んでみないと分からないもんだね。不味くはなかったよ。醤油の味というか」
「ひとを醤油でできてるみたいに言うんじゃないわよ!」
帝都を囲む丘陵、蓬莱にある白亜の館。今夜の夜会は、蓬莱島とも呼ばれるこの財前家が会場だ。
新興貿易商社、いわゆる成金の財前商会と、帝都華族がより親密になるための顔合わせ。
シンメトリーに刈られた山椿の庭園を、家紋入りの黒塗り馬車が進んでくる。玄関先でそれをお出迎えするのが、財前家の嫡男デミトリと令嬢である私の役目。
「梅に糸車の家紋は……」
「川島さまだな」
「この暗さで何で見えるのかしら私」
「吸血鬼だからね」
「鼻もやたらと効くんだけど」
「吸血鬼だからね。……ああ、川島さまに失礼のないようにね」
「厄介事しかないわね吸血鬼!」
川島さまは、髪の整髪料の臭いがきついことで有名な人なのだ……。
私のからだが作り変えられてから数日。父は驚いていたが、
「まぁ姿子は姿子だから問題ないよ」
と、化け物扱いはしないでくれている。
いや、それは嬉しいんだけど……もうちょっと深刻になってくれないものか父よ……。
ちなみに義母からは、
「吸血鬼になったからといって、貴族の仲間入りしたわけではなくてよ、勘違いなさらないで。貴女と私たちとでは血筋が違うのよ、姿子さん」
と言って睨まれた。
吸血鬼ってみんな貴族なの? 貴い誰の血を引いてるの?
故郷でどんな血筋だったかは知らないけど、商家の資産目当てで結婚した人には言われたくない。自称貴族だったらちょっと笑う。
まあ興味もないけど。
「やあ、デミトリ君、姿子さん。いつも仲の良いことだね」
「ようこそお出で下さいました、川島伯爵」
車寄せに降り立ったのは、華族の川島伯爵家当主と妻子。娘さんは私と同い年で、クラスも一緒の川島琴子さまだ。
人の良さそうな笑みで、川島伯爵がデミトリと握手をする。私の隣で……。
「うっ」
ああ、何故、鼻を閉じる能力がないのかしら吸血鬼。
目も鼻も耳の聴こえも、ただの人だった頃より格段に能力が上がってしまった。
嗅ぎたくもない臭いを、より強く嗅いでしまうなら、それを取り込まないよう鼻の穴を塞ぐ筋肉が発達しているべきじゃなくて?
相変わらずの甘くてクサい整髪料が強烈だ。
これからずっとこうなのか……。
顔を背けたいけど、そんな失礼なこと絶対にできない。鼻の筋肉に全意識を集中させた。
ちょっと鼻声になってしまうのはご愛嬌。おほほ。
「こんばんは琴子さま。我が家へようこそ。今宵も可愛いドレスですね
「ありがとう、……姿子さまも」
あれ、と思った。
琴子さまは私が作りたいと思っている演劇部に、是非とも加入していただきたい女性だ。朗らかで可愛いくて、お喋りが大好きな。
そんな琴子さまが、私を見ない。うつむいて、不安でたまらないような……。
「あの、琴子さま?」
お加減が悪いのだろうか、という私の声色を読んだのか、ぱっと琴子さまが顔を上げる。何事もなかったかのように。笑顔で。
「ごめんなさい、ちょっと緊張しちゃって。今宵は、小田野侯爵さまもいらっしゃるのでしょう?」
「え? ええ」
「きっとご子息のお嫁さん選びよ。玉の輿、狙わないとね!」
良かった、いつもの調子だ。
そうよね、うちみたいな成り上がり商会はもちろん、伯爵家ですらそうそう御目にかかれない侯爵家のかたが、今宵の夜会に参加なさる。琴子さまだって緊張してたのよね。
となりのデミトリが、琴子さまを値踏みでもするような目で見てるのが気分悪いけど。
「行くぞ、琴子」
「はい、お父さま。では姿子さま、のちほどパーティーでね」
にこりと華やかな笑顔を残して、琴子さまは扉の向こうに消えた。
私は早速、義兄に抗議だ。
「ちょっと、琴子さまに失礼じゃない。何よ、じろじろと見て」
「レディの気分がすぐれないようだったから、休める別室に案内しようかなと思っただけさ」
「う、それは……」
私より琴子さまを心配してる……。何か、負けた気分……。
異国のほとんどの国は、女性と男性を平等に、もしくは女性を優先させて扱うらしい。
扉を開けるのは男性の役目で、女性が扉を出てから男性があとに出る。
『女は三歩下がって男のうしろを歩くべき』と教えられてきたこの国とは、文化がまるで違う。
デミトリも義母も、これら異国の作法をまったく改める気がない。夜会で父よりも前に出る義母を、何度ハラハラしながら眺めたことか。
でも、少しだけ。それらをうらやましいと思う私もいて。
女性から男性に愛を伝える。
女性が舞台や活動写真で輝く。
女性も家を継ぐ……そんな夢みたいなことを、デミトリや義母といたら、実現できそうな気もしていて。
女学校に演劇部を作って、のちのちはどこかのステージで……なんて夢を見るほどに。
「あんたはきっと、琴子さまが倒れたら、自分が抱いて別室に運ぶのよね。婚約者でもないのに」
「当たり前だろ。それが男に生まれた者の役目だからね」
いつもなら生意気にしか見えない銀髪と碧い瞳が、足枷をはめられた私の上を悠々と越えてゆく天馬のようで。
そのしがらみのなさが、黒い髪、黒い瞳の私はとてもうらやましくて……素敵だと、思うのだ。