06.偽物だと思われて
ヴァレンタインは端末から顔を上げ、嘘を許さない目で見ている。それはどこか冷たい視線だった。リオは冗談めかして笑って答えた。
「言ってるだろ、リオ・ブラックだって」
「それはビッグネームだろう」
リオは驚いた。まさかウルスラから百八十光年も離れているヴェントでヴァレンタインが知っていたことも。彼はそのまま尋ねてきた。
「美容整形をして名前を借りた。違うのか?」
彼が始めたその話はリオの想像の外だった。びっくりしてヴァレンタインを見返した。彼はごく真面目に自分の想像を信じているようだった。
思わず笑ってしまった。確かに、今ならそれもできる。リオ・ブラックが行方不明なことを、ヴァレンタインも知っているのだ。
これなら逃げ延びやすくなるだろうか。
「どう思う?」
試すようにヴァレンタインに顔を近寄せた。少し背伸びをすると、彼は腰を抱いて支えてきた。
そのまま抱き上げられ、顔が間近だ。
「っ!」
「どう思うか?役得だ」
唇が触れあうほど間近にある。炎の色の瞳が試すようにリオを見ている。心に念じた。美容整形をして、名前を借りた一人の難民になる。
間近で視線が尋ねている、お前は誰だと。アドリブは得意だった。
「俺の名前を知りたい?」
「誰なんだ」
「さあね。難民の裏なんてつまらないものだよ」
「顔を隠す金をどこから?」
「有り金をはたいて、一文もないんだ」
「それで俺を?」
リオは笑ってみせた。ヴァレンタインもにやりとした。
「どこまで?」
彼がリオを地面に降ろして聞いたので、やっと交渉に入れた。
「今日はキスだけ」
ヴァレンタインは予想外と言う顔をしてから、ふっと微笑んだ。
「固いな。今時、高校生だってもっとやってる」
「男は初めてなんだ」
本当のことを言うと、彼の瞳に興味の色が浮いた。
「誰にでもそう言ってるのか」
「本当に初めてなんだ。嘘じゃない」
「志願して憲兵をしてるのは調べてあるが……」
「難民の裏取りなんか。殺人事件でもないとしないだろ、どこでも」
ヴェント星は、政治難民も経済難民も分け隔てなく受け入れていた。宇宙のあらゆる雑多な人々がこの星を目指してきて、様々な経済活動をして文化として積み重なっている。だからリオもここに来たのだ。
ヴァレンタインは鋭く聞いた。
「殺人はクリーンか?」
「しない。薬もしない」
「本当かな」
「弱みがなくて不満だった?」
「いや。見せかけだけのごちそうだったらどうしようか、考えてしまうんだよ」
「俺がまずいかどうかは、俺には分からない」
怪訝そうに聞き返したのは素だったけれど、それをヴァレンタインは演技と思ったのか、微笑んだ。
「クリーンな難民なんて珍しい。ウルスラから来たブラックと名乗って、俺の前に来た」
「ブラックのこと知ってるのか」
「大好きな俳優なんだ。全星系配信は艦隊にも届くんだよ、暇つぶしで映画を見て一目惚れした」
リオを前に、ヴァレンタインの言葉が熱を帯びた。
「ウルスラでのブラックは、出演ドラマの撮影途中に行方不明になったきりだ。あれは二年前だったな……」
「そんなに前なのに?」
「たった二年だ。よく似ている」
彼はリオの首筋で脈を見るような仕草をした。急所に触れられて、危機感の水位がゆるく上昇していた。
それでも、リオは余裕があるように演じることはできるのだ。
「及第点?」
「なかなかだ。それっぽい」
「体は売らない」
「わかっている」
そういう商売なんだろうとでも言いたげな、ヴァレンタインは捕食者の目をしている。男が男をこういう目で見るのは居心地が悪い。
姉からの連絡があるまでは逃げられない。ほんの少しの間だけだと思いつつ、ヴァレンタインが腰を抱く手を拒絶できなかった。
その日は少しそういう接触があっただけで、ヴァレンタインはリオを本物か偽物かをためつすがめつ見ながら、思わせぶりに見えるらしいリオの態度を楽しんでいるようだった。
けれど、リオ・ブラックという俳優はそんなに有名だっただろうか。
デート帰りに仕事用端末で憲兵情報部のウェブページを見に行くと、行方不明者の公開捜査をしていた。その中にリオ・ブラックの顔写真と名前もあり、思わず笑った。なぜか、憲兵としてのリオを情報部は同姓同名の別人だと思っている。
憲兵本部は険悪な状態だという。セレガからの支配が決まり、セレガからの派閥とヴェント生え抜きの間で摩擦がある。リオも一生を憲兵として過ごそうと考えているわけではなかったけれど、その争いからは目をそらせなかった。
憲兵隊内部に争いがあるから末端に目が届かない。事実、麻薬がらみの殺人と密売が暗躍を続けていて、対処できないのは憲兵隊が内部分裂しているせいだ。憲兵隊よりも警察の方が実績を上げていた。
リオは憲兵隊では逆らわずに大人しく過ごすことに決めている。ウルスラの事件と秘密は憲兵隊に扱える情報じゃない。必ず上層部の誰かがリオ姉弟を売ると思えた。
この星がセレガの支配をうけることが決まってしまい、誰に相談すればいいかもわからない。以前ならヴェント議会の議員で誠実そうな者を探しただろうが、そういう人は皆軟禁されている。事態は変わった。セレガの議員の情報は貴族であること以外が秘匿されている。
「……ヴァレンタイン、か」
自分に色目を使う高級軍人について思う。けれど、彼はプライベートで羽根を伸ばしたくてリオに手を伸ばしているだけで、ウルスラでの事件を聞いたら金次第でリオを売るかも知れない。
ヴェント憲兵隊に入ったはいいが、そこから先は打つ手がなかった。それでも、ただの難民のままでいるよりも待遇がいいのだから、あと二年半を待つしかない。
「おい!ブラック、いるか!」
グッドマンの怒声が響く。今度は何だろうと、リオは相変わらずチェーンをつけたままドアを開け、グッドマンも思い切りドアを開け、チェーンだと知ると舌打ちをした。
「お前、あの男は誰だ」
「あの男?」
「一昔前の古着のあいつだ」
グッドマンが聞いているのは、この前のヴァレンタインとのデートについてだ。
「俺を尾行してたのか」
「それは俺じゃない。クローネンがパトロール中に見かけたと言っていた」
「ああ……」
グッドマンと同じ、ヴェント出身の伍長だ。彼は警邏パトカーであの辺りを見回っていたらしい。リオは難民出身だから目をつけられやすいのもある。が、人間関係をそこまで観察されるのは窮屈だ。
リオが苛立ちを表情に浮かべたのを見て、グッドマンは笑いもしなかった。
「薬か?」
「違う」
「じゃあなんだ。何の因縁だ?」
「この前の仕事だよ、公園で居眠りしてる男が彼だったんだ。名刺貰った」
「見せろ」
「玄関先じゃだめだな」
また、グッドマンは舌打ちをした。
「ギャングのでかいところか?」
「わからないんだ」
「そんなことがあるかよ」
「名刺を貰った。でも、読めない……俺は難民だから情報がコンシールされてて、名前と性別と顔写真だけだ」
「どこの大物だ?」
「わからない」
「入れろ」
リオは一度ドアを閉め、チェーンを外した。すぐ、グッドマンが素早く中に入って来た。彼は中に入って盛大にため息をついた。