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32.姉がきっかけ

 リオは白薔薇の花束を姉の墓標に置いた。

 広い墓地は同じような無個性なプレートが並んで立っている。丘陵を埋め尽くすのは全て墓標だ。何の個性もないプレートだけの墓標に何を思えばいいのだろうか。姉の存在はリオの中に過去のイメージとして残っているだけだった。

「エスト姉さん」

 リオはぽつりと呟いた。逃げ出した時に所持していた端末は、居場所特定に利用されるのを避けるために処分していた。だから写真の一枚すら手元にない。

 姉と最後に会ったのは、姉の夫であるブルス・カーマインの葬儀の日だった。

 あの日、姉は静かな強い表情をしていた。あれは逃亡を決意していたのだ、とリオは思っていた。そうではなかったのだ。姉はリオを逃がすために、ウルスラの地表を逃げ回った。そしてどうにもならなくなった時に宇宙に逃げ出そうとして、そこを狙われて命を落とした。なぜそうしたのか?自分が生きて追われている間は、弟のリオは無事だから。

 あの静かな表情は、自分の命運をどうするか自分で決めた人の強さだったのだと分かる。リオはあの日、姉の意思に打たれた。姉も宇宙に逃げるのだと信じ込まされてヴェント星に向かう貨物船に乗り込んだ。

 どうして気付かなかったのだろう。姉はコピーを持っていると言っていたけれど、軍事情報を民間技術でコピーするなんて不可能だ。

 オリジナルはリオの持っていた一枚だけだ。姉はどうして自分が(おとり)になることを言わなかったのか。

「リオ」

 声をかけられてはっとした。そこにヴァレンタインが大きな白百合の花束を持って立っていた。

「ハイド」

 はじめて彼の名を呼んだ。それと、この場にいることを許されてヴァレンタインは満足げな表情を見せ、花束を墓碑の前に置いた。

「君の姉上は、どんな方だったんだ」

「姉上なんてものじゃないよ」

 リオが思い出す姉の幼い頃の姿が懐かしかった。

「俺は小さい頃、姉さんに泣かされてばかりだったんだ」

「そうなのか?」

「そうだよ。家の中に君臨する女王様だった。中学に入ると変わったけど、おっかなくて触れられなかった。でも、大人っぽくなったのはそれからだよ」

「女性は大人になるのが早から」

「姉さんは、自分は遅い方だって言ってたな」

「そうなのか」

「今になると分かるよ。姉さんから見た俺は、幾つになっても泣き虫のままだったんだなって。だから俺を庇ってウルスラ中を逃げ回ってたんだ」

「勇敢な魂がないとできないことだな」

「ああ。姉さんは強い人だった」

 墓場には過去から連なる墓標が続いている。茫漠とした光景の中、リオは悲しみに沈んでいた。

 ヴァレンタインが仕草で誘うのについて行くと、どこかの店に入った。案内がついて個室に入ったなら、それなりの高級店だろう。

「こういう時は酒がいいと軍ではいうけれど。ウルスラでは?」

「ウルスラでもそう言うよ。酒を飲む気分にはなれないけれど、姉さんのことを語りたいな」

「じゃあ、君が芸能界入りしたのを姉上はなんて?」

「俺の履歴書を芸能事務所に送ったのは姉さんなんだ」

「そうなのか?」

「俺が中学生の頃に送って、オーディションを通ったんだよ。最初は姉の言いつけだから従ってただけなんだけど、そのうち楽しくなってきたんだ」

「どう楽しいの?」

「同じ仕事が一つもないから。ドラマの端役とか色々やってたよ。ギター覚えろって言われたり、バレエの練習に放り込まれたり、それこそ色々だよ」

「バレエできるのか」

「もう立ち方も忘れたよ」

「筋トレとか?」

「もちろんしてたよ。そういうコントロールは基本。成長期の時は本当に肉食べたくてしょうがなくて、オフになったら肉と芋ばっかり食べてたな」

「それはよくわかる。普段はだめだったのか、きつそうだな」

「でも、成果が出ると嬉しいだろ。映画に出られて、しかも役付きだと」

「すまない」

 ヴァレンタインは唐突に謝った。リオが驚いていると、続けて彼は弁解した。

「君の独占インタビューを自分がしている気持ちですごく楽しい」

「なんだよそれ」

「ワインを頼んでも?軽い白を」

 注文が入り、そのまま暫く沈黙が続いた。

 リオは、自分の芸歴のはじまりは姉が切っ掛けだったことを思い出していた。

「姉さんは、リオ・ブラックが今いるのは自分のお陰だと言って笑ってた」

「全くだ。姉上には感謝してもし切れない」

 リオは思わず笑った。こんなことで姉に感謝する人がいる。ワインが運ばれてきて、少しだけ唇をつける。

「今でも思うよ。姉さんに何かできたら。何か一つでも」

 その祈りに似た言葉を、ヴァレンタインはじっと聞いていた。

 果物の盛り合わせがサービスでつき、それを食べながら姉の結婚の話をした。ブルス・カーマインは年上のいい男で、父を尊敬してくれた人格者であったこと。姉夫婦が子供ができないことを気にしていたこと。何もかも遠い昔話になってしまった。

 家に帰ってシャワーを浴び、居間でのんびり夕食を食べている時に、不意にヴァレンタインが口にした。

「姉上に今からでもできることなんだけど」

「ん?」

「君が生きていること、そのものが姉上の生きた証だと俺は思う」

 あまり器用ではない口ぶりだった。リオは微笑んで、できれば彼の言葉のような生き方をしたいと思った。

「そうだよな。そう思えたら姉さんも喜ぶかな」

「思い出話ならいつでも聞く」

 その申し出にリオは笑って、さっそく中学生の頃の姉の乱行について語ることにした。

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