29.ウルスラの凶弾
会議の帰りに帰宅を急いでいた。
ロッテはこの後も用事があるらしく、どこかへ車を回して出て行った。メンバーは三々五々に解散し、リオも帰宅の道を今晩はゆっくり歩いていた。久しぶりの一人の街中だ。
帰れば会える相手にわざわざ待ってるとメッセージを入れるのだから、何か言いたいことがあるのだと思える。
リオも、今日のステージは記念すべき日だった。席の後ろで立ち聞きしていたヴァレンタインに向けて歌っていた。そうすると気持ちが楽になったのは幸運だと思っていた。
ヴァレンタインが連れてきた幸運のお陰か、今日はうまくいった。これからもヴァレンタインを思いながら歌おうと思っていた。それを彼に秘密にしておきたいのは何となくジンクスを感じるからだ。
恋人同士の間に微かな秘密をフィルターのように挟んで、少し特別な気分で夜の街を歩いていた。これからの日々に期待がある。
その時、横合いから男がぶつかって来た。
「お、おい」
「黙って言うことを聞け」
ごりっとした固いものを脇腹に押し付けられた。銃を予感して、リオは全身が冷たくなった。
「こっちだ」
案内されるまま連れていかれる。メイン通りを脇道に逸れていき、寂れた辺りの廃ビルの中に入り込んだ。半地下の部屋に入り込んで、男はリオを突き飛ばした。
「例のものを出せ」
「は?」
「例のものだ」
何のことを言っているのかピンときた。ウルスラの軍事機密が入ったSDカードのことだ。あれはもうヴァレンタインに渡してあるが、ウルスラ側は知らないのだ。
「なんのことかわからない。何?」
男はリオの顔を覗き込むようにした。手元の写真と顔を見比べるようだ。
「リオ・ブラックだな」
「誰ですかそれ」
男は黙り込んで、冷たい目でリオを見て顎をしゃくった。続きを話せと言うことだろう。
「あの、俺の顔が俳優に似てるって職場でも言われてて」
しらを切る方向で演技してみると、男は笑った。
「見てたよ。ステージで歌ってた」
「あれも貴族の夫人に言われてやってるんですよ。顔が似てると声も似てるらしくて、そっくりだって言って。これオフレコにしてくれよ?」
「嘘が下手だな」
男が銃を向けてきたので、リオは危機感を覚えながら必死で弁解をした。
「本当なんだ。嘘は言ってない」
「本当に?」
「ああ、俺は難民で運よく元帥に買われたんだよ。元帥のお気に入りになれたと思ったら、貴族の夫人が声をかけてきたんだ。ちょっと顔と声が似てるだけの赤の他人だよ」
「何で赤の他人だと言わない」
「言ったよ。でも、二人とも乗り気なんだ。難民の俺がそこで稼いで何が悪い?」
「整形したのか」
「もともと似てたから、寄せても不自然じゃない」
男は舌打ちをした。
「こっちに来い。虹彩を見せろ」
「恐いことはしないでくれよ」
びくびくしながら男に近付いて、男が銃から手を離した瞬間、リオはその銃に飛びついた。
「あっ!てめえ!」
銃を奪い、転がるように走ってから男と対峙する。
リオは銃の扱い方を知らない。安全装置がどこについているかも知らない。リオの手が震えているのを見て、男は余裕そうな表情でゆっくりと近付いてくる。慌てて後ずさった。
「く、来るな。来るなよ」
「悪い男だなお前は。悪い、悪いのはいけないな」
男はにやにやしながら、リオを追い詰めにかかっていた。右に歩いたり、左に歩いたりしてリオを壁際に追い詰めようとする。壁沿いに男を避けて、必死だった。
腰からナイフを一本取り出した男は、刃物を弄びながら楽しそうな口調で言った。
「痛くないように殺してやろうと思ってたが、気分が変わった。ものすごく痛くしてやる」
「悪趣味って言われたことないか?俺は痛くするのもされるのも御免だね」
「見解の相違だな」
「俺が何をしたっていうんだ、ただ元帥と仲良くしてただけだろ!」
「いいや、お前は本物のリオ・ブラックだ。例のものは、お前を殺してから奪う」
男は舌なめずりをするような笑みを浮かべていた。
「前の爆発魔は爆発以外は素人で、結局お前を逃がした。だが俺は違うぞ、例のものをどこに隠してるかも大体わかる」
「例のものなんて知るかよ!」
「健気だなお前は」
男が鋭い仕草でナイフを投げた。そのナイフは、リオの膝の上にまっすぐに突き立った。
「あうっ!」
思わずその場に膝をついたリオを見て、男は相変わらず笑みを浮かべたままでいた。
「その目。姉弟そっくりだぜ」
「なんだって?」
「なんていったかな、あの女。そうそう、エスト。エストも同じ目をしていた。負けん気の強い目だ。ぞくぞくしたね」
姉のエストは、事故で死んだのではないのか。リオは喘ぎ、その様を男はじっと見て楽しんでいた。
演技を続けるか、それとも素のリオ・ブラックに戻るか。この男は殺人者で、姉を殺した犯人だ。リオの胸の中に憎しみが真っ黒に膨れ上がり、シンプルな殺意が芽生えていた。
銃を持っているのはリオだ、構えて撃てばいい。銃を持つ手は感情で震えて、なかなか定まらなかった。男が目の前でせせら笑っている。
「どうした?お前は偽物なんだろ?」
「あ、ああ……そうだ。俺はブラックじゃない……」
「そうかよ。俺はブラックの姉をくびり殺したんだ。肌はなめらかな感触がした。女の首ってのは柔らかくて握りやすいんだ。強く握ると女の温かさがしたよ。息が絶えていくさまを手の平で感じていた。全てを俺が支配してるっていう感覚。それが俺は大好きなんだ」
男はにやにや笑いながら姉の死について語り、リオの中は憎しみの黒さでに塗りつぶされた。引き金に指をかける。
姉の命を弄んだ男が目の前にいて、その気になれば彼の命をこの銃で奪える。




