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28.初ステージ

 その朝、リオは緊張から目が覚めた。

 今日は野外ステージでの音楽イベントがあり、そこで数曲歌う予定だ。

 これから出す予定のアルバムからの選曲で、前情報は既に出ている。チケットは完売だったが、野外ステージなので現場にいれば嫌でも曲が耳に入る。

 リオは歌は素人だと言う自覚があるから、いきなりこんな大きなステージをロッテから振られて、面食らうと同時に下手なことはできないとレッスンに熱が入った。

「はい、ここまで。リオさん休憩入ります」

「もう?」

「熱入りすぎだよ。ステージが恐いの?」

「ああ、恐い」

「やり過ぎたらカエルみたいな声になっちゃうよ。あとはハミングでもしてて」

「ハミング?意味あるの?」

「ありますよ。気になるなら楽譜見ながらするといいです」

 イベントは今日、昼から午後にかけて行われる。リオは移動中もずっと旋律を忘れないようにハミングしていた。忘れたり失敗するのが恐かった。

「いやあ楽しみっすね。リオさんの声いいからそれでファンつきましたよね」

「え?」

「あれ?スタッフが言ってませんでしたか。腹式呼吸が最初からできてるし、歌うのが最初は苦手そうだったけど、回数こなしたら慣れてきて。後は経験ですよ」

「そうなのかな」

「大丈夫!いけますって、今日は四曲やるっすから、順番覚えて」

「分かったよ」

 リオは水も飲めないほど緊張していた。四曲とMC一本、そこでアルバム発売について言うこと。このライブはホロコンに編集されるのだ、と思うとより一層緊張する。

 バラードとポップスとロックが混成されている内容で、リオが一つだけ注意されているのは、メロディを意識して歌うことだった。

「ああ、こんな緊張するの久しぶりだな」

「リオさん、ウルスラ星でホロコン出してなかったんだって?」

「ああ。スポンサーとトラブル起こして、向こうでは出せないことになったんだ」

「リオさん、実はおっかない人なんですか?」

「そんなんじゃないよ」

「違うの。私を助けてくれたのよ」

 これまで黙っていたロッテが口を出して、ギターの男はびっくりした。

「えっ、夫人を?」

「そうよ。ウルスラで女優やってた時、しつこく言い寄ってくる男がいて。女優を一晩いくらで買おうとする人っているんだけど、気に入った相手ならよかったんだけどね」

「夫人!それはいけないっすよ!」

「そうだよね。私は恋人を作ることはあったけど、売りはしてない」

「へえ。げ、芸能界ってそういうことあるんですね……」

「勘違いしてる人は結構多いからね、リオのバックに誰がいるか噂作ろうかな」

「ゴルドウィン氏ですか?」

「ちがうわよ」

 やんわりした口調で否定して、ロッテは笑った。

「そのうちウェブで噂を目にするかもね」

「え、言って下さいよ、そんなの気になる。気になり過ぎるっすよ」

 ギターの男を放っておいて、ロッテはリオに聞いた。

「リオ。私もコンサートしたことがあるけど、ちょっと舐めてかかるくらいが丁度いいよ」

 舐めてかかる。その言葉を頭の中で繰り返し、ステージに入る。他のグループが曲をやっている最中で、旋律はリオも聞き覚えがある。

 自分のやるべきことをやろうと意識する。準備に入る、メイクをしてヘアスタイルを整え、皆は仕事道具の準備をしている。リオ以外のメンバーはバックアップバンドの経験が何度もある。この規模の野音は慣れているのだろう。

 あとは、自分を信じるだけだ。

 前のバンドが去った後で、スタッフが機材の交換をはじめる。メンバーもステージに上がり、エフェクターの調子などを見て試し弾きをしはじめた。

 リオはマイク準備につきあい、スイッチが入ったところでマイクで軽く声を出した。

「こんにちは。リオ・ブラックです」

 会場から歓声が返ってくる。最前列は女性で一杯だった。リオはどうにか笑顔になって、手前から奥へ向けて手を振った。小さかった仕草を、大きく変える。

「あのね、実は俺、今日をすごく楽しみにしてきました。こちらのバンドメンバーは、紅蓮計画の皆さんです。皆も今日のことが楽しみでしたか?」

 一人ずつ、音を出していく。和気あいあいとした感じが出ただろうか。ギターが合図をくれて、リオは頷いた。

「それじゃあ今日は、新曲から行きます。曲は……」

 そこで、リオは後ろの客に視線を飛ばした。見覚えがある背格好だったからだ。

 ヴァレンタインが私服で来ている。同行している副官が制服のままで、可笑しい。気持ちがリラックスできる。会場に向けてではなく、ヴァレンタインに向けて歌うと思って声を出した。

 リオは微笑んで、すると会場で黄色い声が高まった。

 演奏は大盛況で終わり、リオ達はすぐ集合場所に貸し切りの店の中に入った。

「お疲れ、ブラック!」

「ブラックさんお疲れ様です!」

「ありがとうございます。あの、ありがとうございます」

「良かった。声伸びてたよ」

「そう言って貰えると嬉しいです」

「ブラックさんは、どうでしたか?」

 問われて、リオは後列でずっと佇んでいたヴァレンタインの姿を思い出した。思わず笑みがこぼれ、それを見てスタッフは納得した。

「とても楽しかった」

「みたいですね。緊張しませんでした?」

「始める前はすごく。でも、始まってからはそんなに」

 ヴァレンタインに向けて歌うと思うと、気持ちが解れていい感じで歌えることは秘密にしたい。リオは笑顔でドリンクを受け取った。

「リオ、素晴らしかったわよ。出足は上々ね!」

「だといいけど」

「あなた、あんなに歌うまいのに隠してたなんて」

「そうかな?」

「自覚ないの恐いわね。歌の勉強しなさいよ」

「本業の合間にレコーディングやるだけで大変なんだよ?」

「憲兵だものね」

 皆で遅めの昼食兼パーティーをして、初めてのステージがうまく行ったことを祝っていた。スタッフはウェブでリオの噂を収集して「ファンがいますよ!」と楽しんでいた。それらが順調に聞こえるからか、ロッテの機嫌も良かった。

「ねえロッテ、いくら使ったの」

「気にしないで。いい趣味ができたと思ってるの」

「趣味って」

「アルバム用のレコーディングは終わってるんだし。後は撮影入れるだけね」

「お手柔らかにね」

「憲兵の制服で出れない?」

「職務規定違反になるし、俺は睨まれたくないよ」

「残念」

 そんなに期待していなかった様子でロッテは答えた。そして、彼女が声を張り上げて今後の予定について話す。それは既に全員に連絡を入れてあることの再確認と、今後の目標についてだった。

「ブラックさんを俳優として売り出しはしないんですか?」

「それは今回のアルバムがどう転ぶかによって変わってくるかな」

「なるほど」

 目の前でスタッフと質疑応答をしているロッテの言葉を要約すると、当面は歌手として押し出していくつもりのようだった。

 端末が鳴り、メッセージだ。ヴァレンタインしかいない。

……会いたい

 返れば会えるのに、何を言ってるんだろう。リオは心の中をくすぐられるような気持で返事をした。

──終わったらすぐ帰る

……待ってる

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