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23.不慮の宿

「お婆さんはどちらまで?」

 もう一度老婆に聞くと、彼女はどこか曖昧な答え方をした。

「ああ、あなたなの。ええ、そうなんですよ」

「お名前は言えますか?」

「それは、まあ、あの。あなただって知ってるでしょ」

 視線が不明瞭で、リオの質問にまともに答えられない。彼女に話しかけながら、少しずつ誘導する。

「おばあちゃん、こっち行こうか。こっちに行ったら甘いココアがあるから」

「ココア?」

「そうですよ。出歩いて疲れたでしょう、俺がココアおごりますから」

「ココアねえ。でもココアなんて、嘘でしょう?」

「嘘じゃないですよ、本当に甘いココアですよ」

 老婆は不明瞭ながらも何か悩んでいるようだ。リオは声をかけた。

「ねえ、俺と一緒にココア飲みましょう」

「そうねえ。まあ、しょうがないわね」

 誘導するとあっさりと頷いてついてくる。リオは自分の通信用マイクでオペレーションに連絡を入れた。

「ランス通り十四条南、老人保護」

『ブラック?お前、もう帰ったはずだろ。残業欲しいの?』

「そんなこと言ってたらお前の所に連れていくぞ。誘導どうぞ」

『そいつは困るな。ええと老人の受け入れは……』

 老婆を歩いて連れていく先は、いつもなら徒歩で十分ほど先にある施設なのだが、歩くのがとにかく遅くて三十分はかかった。施設側からも人が出て交代してくれたらいいのにと思いながら向かい、到着してからも職員がなかなか来ずに待たされた。

 結局一時間遅れで分署に報告し、やっと寮まで帰ったところ、非常にきな臭い。寮の周辺で火事が起きているのを横目に到着すると、寮が無くなっていた。

 いや、基礎はあるが、上の建物が全部吹き飛ばされて残骸が飛び散っている。生き残っている者はいて、頭や腰から血を流して呆然としている。

 爆発したのだ、と何となくわかる。グッドマンと他の寮生たちがそこに立っていた。

「おい、大丈夫か。救急車は呼んだか?」

「ああ、いや……何が起きた?」

 これはだめだと判断し、リオは再び通信を入れた。

「寮で爆発があった。救急車の派遣頼む、周辺で火事が起きている。消防車両も来てほしい」

『火事?寮って、憲兵隊のB寮か⁉』

「そうだ。もう野次馬が多い、整理する人員も欲しい」

『ああ待て、火事の通報は既にされているようだな。救急車と人員を配備する』

「了解」

 非番やあがり後の憲兵は油断してる者が多い。そこを爆発でやられたのだろう。ショックで座り込んでいる男に声をかけた。

「皆、大丈夫か。怪我は?」

「ブラック」

 グッドマンが声をかけてきた。彼の方に行く。裸足で額から血を流しているのが痛ましかった。

「どうした?」

「隣と寮の間に、こっちをちらちら見ている男がいる。パーカーのフードを被っていて、なんだか怪しい。職務質問してきてくれ」

 リオは一旦仲間から離れて、グッドマンが見つけた人物の方に行った。

「こんばんは。ちょっとお話いいですか?」

 ゆるく声かけをすると、その人物は少しポケットを探す素振りをしてから、いきなり走り出した。リオも追いつつ、特殊警笛を吹き鳴らした。これで応援は追って来るはずだ。

 男の足の速さに振り切られそうになりながら、必死で追った。無我夢中で背中を追いかけていたから、周りが見えなかった。けれど並走してきた制服憲兵に気付き、彼がリオを追い越して走っていき、また逃走する男の前方に通せんぼをするように憲兵が現れた。これで、捕り物は終わりだ。

 捕まった男は軍車両に乗せられて、リオは息を荒げていた。

「お疲れ。B寮か?」

「あ、ええ、そうです」

「大変だな。とりあえず通常業務の他に割り振りがあるはずだから、現地まで戻ってくれるか」

「はい」

 リオがとぼとぼと寮に戻ると、現地は救急車と消防車で混雑していた。憲兵の制服でいたから、非常線を越えて中に入れる。

 裸足だったグッドマンはサンダルを履いて、毛布を背負うようにしていた。

「おう、ブラック」

「大丈夫か?」

「ああ。俺はこれから病院だ。お前はどこに泊まる?」

「カプセルホテルとか」

「制服も洗わずに?」

 リオはぐっと詰まった。

 そこに連絡が入った。ヴァレンタインからだ。

「はい、ブラック」

 通話だけにして出ると、彼のほっとした様子が電話の向こうから伝わって来た。

『生きてたか』

「何だそれ」

『爆発したと聞いたから、驚いたんだ』

「運が良かった」

『俺の家に来ないか』

 リオはうっと詰まった。ヴァレンタインの家に行くのが一番いい選択なのは分かっている。彼はリオのファンで、そして恋人だ。

 自分の恋人と一晩を一緒に過ごすのに、なにか大きな試練を乗り越えなくてはならないと感じるのはなぜだろう。耳元でヴァレンタインが話していた。

『実はもう迎えを向かわせているんだ。ぜひ来てほしい』

「ありがとう。俺も頼もうと思っていた所なんだ」

『よかった。それじゃ、後で』

 通話を切ると、側で見ていたグッドマンがからかう口調で言った。

「元帥のベッドの寝心地教えろよ」

「そういうんじゃない」

「恋人だろ。応じられなかったら、俺の家に来るか」

「え……」

「番号」

「あ、ああ」

 グッドマンと番号を交換し、本当に友達になったのを実感した。

「男同士ってのは、だめな時があるっていうからな。一回だけなら俺も元帥に憎まれてやるよ」

「助かる。ありがとう、クライド」

「いいって」

 そのまま並んで立って、ぼんやりと調査が進むのを見ていた。

 火事になった家はぼやで消し止められて、現場調査の為に消防士が行き交う。怪我の手当ての為に居残っている救急車が去っては、また戻ってくる。

 やがて救急隊員がグッドマンを迎えに来て、彼は救急車で運ばれて行った。

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