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22.白薔薇を捧げ

 リオは今更、動悸が強まるのを感じていた。白昼に勤務先から連れ去られるなど、初めての体験だった。ヴァレンタインが来て安全が確認できてから全身に冷たい汗が滲んでいた。

 ゴルドウィンはリオをどうする気だったのか、それはもう分からない。自分の正体をヴァレンタインに教えておいて良かったのだ。

 この際だから、事情を知っているかもしれない彼に聞いてみるのも一つの手だろう。

「ゴルドウィンさんは、どうして小官から情報を買おうとしたんでしょうか」

「というと?」

「小官の秘密は、その気になればウルスラ方面に当たれば分かると思えます。それにウルスラが小官を探しているのはすぐわかります。ウルスラ方面に小官を売ることもできたはずです」

「それは少し違うな」

 ヴァレンタインは少し可笑しい様子で微笑んだ。

「私も少し社交界に顔を出す。ああ、帝国の政治の為にはその必要があるんだ」

「はあ」

「そこで聞いた話を総合すると、ゴルドウィン氏は妻に対して優位に立ちたかったようだ。女優のロッテと言えば今でも人気が高い。ゴルドウィン氏の妻になったことを悔しがっている男たちに私も心当たりがある」

「それと小官に何の関係が?」

「美しい妻が大事にしている宝物が君なんだ。それを自分が持てば、妻に一歩優位に立てると思わないか?」

「そんなことの為に?」

「そうだ。それにウルスラの秘密も手に入るなら、挑戦するのも悪くないと考えたんだろう。君が簡単に落ちると思っていたのが大間違いだったな」

 もし、ゴルドウィンがロッテの夫として、帝国の一等書記官としての立場を崩さないまま正攻法でリオに問いかけていたら、彼に情報を渡していただろう。

 ヴァレンタインは可笑しそうに話していた。

「私がいたのを知っていたのに行動に出たのは、君を甘く見たからだ。彼は焦り過ぎた」

「ゴルドウィンさんは、また小官を連れ出すでしょうか」

「それはない。私が君の後ろにいると彼は知った、だから次は私を懐柔する手を考えるだろうが、どうかな。いつまでも妻に恋する男だから、私の好みを探るんだろうな」

 そう言ってから、ヴァレンタインは表情を改めてリオを見た。

「これは仕方のないことだけど、君はこれから身辺に注意する必要がある」

 重い真面目な口調で、心配そうにリオを見ていた。

「ゴルドウィン氏の周りには必ずスパイがいる。そして、彼らは既に君の存在に気付いている。スパイの口からウルスラ当局にばれるだろう。近いうちに動きがある」

「脅かさないでくれませんか」

「これでも恋人として君の身の上を心配しているんだ」

「それは、ありがとう」

 この体格のいい彼を相手に恋愛していることが、我ながら信じられなくなる。リオを殺すつもりで見下ろしたときの目の色を思い出す。ヴァレンタインを思うと鼓動が早まるのは、男相手だからだと思っていたけれど、よくわからなくなっている。

 ヴァレンタインはとてもよくしてくれるから、恩義を感じていた。交際を断れないリオを尊重してくれる態度に好感がある。

「ウルスラ側が君を狙うとしても、任務中のことであれば仲間がいる。ヴェント憲兵隊を相手にするということにもなるだろう」

「任務中、ですか」

 リオの任務は市民に寄り添い見守ることだ。青少年に声掛けをしたり、老人が安全に横断歩道を渡れるようにサポートしたり。主婦の困りごとの愚痴を聞いて、時には問題だと思われるビルや物件などに様子見に行きもする。

 そうした場所での事件が分かると、市民権を持つ憲兵にリオの見つけた任務が回る。リオの仕事は主に市民たちの小さな声や不満を聞きとることだった。

 その任務中に狙われたら、まわりを巻き込んでしまう。

「どうした?」

「いえ」

 ヴァレンタインは秘密については何も聞かずにいる。正体をばらしてから、ずっと紳士的で距離を保っていることが、リオにとってどれほどの福音だろうか。

「ヴァレンタイン閣下」

「なに?」

「小官のことを気にかけて下さって、ありがとうございます。いつか、あなたに良い返事ができればと思います」

 ヴァレンタインは照れた顔をした。視線が少し迷い、リオの肩に手が触れた。

「その気持ちだけで充分だ。普通に生きていただけで、こんなことに巻き込まれて……」

 その後は言葉が続かなかった。リオの身の上を心配してくれる人が傍にいることが、少し慰めになった。

 分署から少し離れたところで降ろして貰う。ヴァレンタインはもう職務の顔をしていたし、リオも姉の死を知った以外では職務の顔を崩しはしなかった。

 リオはその日、白薔薇のつぼみを買って部屋のマグカップに飾った。姉の為にせめて、できることと言えばそのくらいだった。

 リオの部屋にある薔薇が咲いたのは、カップに活けてから五日後だった。

 これから散っていく花弁をポプリにしようかと考えていたある日の勤め帰りだった。行動がどこか不審な老婆と行き会った。

 そろそろ帰宅ラッシュが来ると言う時間帯で、周りの人はあまり老婆を気にかけていない。

 話しかけようと決めたのは、彼女が靴下はだしだったからだ。

「こんにちは。どちらまで?」

 リオが声をかけると老婆は、たった今気づいたようにリオを見た。

 どこか頼りなさそうな様子に見えた。

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