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20.貴族家当主と

 ヴァレンタインとロッテに秘密を打ち明けてから、リオの気持ちはどこか軽くなっていた。故郷から逃げる理由になった秘密が、重圧となって心を縛っていたことを改めて実感していた。

 気持ちが軽くなると周りがよく見えるようになる。リオに気を遣ってくれる同僚や上官の姿が、少しずつ見えはじめていた。

「お疲れ、ブラック」

「あ、どうも。お疲れ様です」

「あの通りの奥さんはうるさいよな」

「そうですね。でも、根気よく付き合うと笑顔になることもありますよ」

「そうか。それはお前が頑張ってるからだろうな」

 リオが真面目に勤めていると、ヴェント人は親切にしてくれる。グッドマンのような男の方が珍しいのだ、と分かってきた。

 難民出身だからと言って、恥じることはない。市民権の為に働いて、それを手に入れればヴェント人と同じ扱いになるのだから。

 グッドマンという友達ができたことも気持ちを明るくしていた。毎日の細かな任務にも張り合いが出る。

「気をつけて通ってください」

「ありがとうね、憲兵さん」

 お年寄りが横断歩道を渡る手助けをする。難民出身のヴェント憲兵隊隊員は市民権が欲しくて働いているから良い憲兵になろうとする。下士官までのクラスは、皆そうだ。

 これが士官の少尉や中尉になると、途端に汚職や陰謀の話が聞こえるようになる。士官は社交界に出入りできる立場になるから政治闘争に巻き込まれやすい、とある軍曹が言っていた。

 歩行者の誘導を終わらせて巡回の車に戻ると、同僚が声をかけてきた。

「ブラック、客だぞ」

「俺に?」

「ゴルドウィンと言えばわかると」

 ロッテが何の用だろう。リオは怪訝そうな表情を同僚に見せた。

「ゴルドウィンって高位のセレガ貴族だろ?早く行って来いよ、こっちから大尉に連絡しておくから」

「ごめん、頼むな。行ってくる」

 待っていたのは、古式なメイド服を身にまとった女性だった。微かに会釈するのに、リオは制帽のつばに手をやることで挨拶の代わりにした。

「あなたはロッテのお使い?」

「こちらの車を使うようにと主が言っていました」

「そう、ありがとう」

 リオが黒塗りの高級車に乗り込むと使用人も隣に同乗し、車はなめらかに走り出した。ロッテが何のためだろうか、市民権の話なら受け入れる代わりにセレガ貴族かヴェント議員で信用できる相手を紹介して貰おうかと考えていた。

 到着した先は立派な館だった。案内に続いて中に入る。貴族の邸宅に初めて入り、まるで美術館のようだった。一階の応接間に通されて、椅子に座らされる。そのまま、暫く誰も来なかった。

 やがて、靴音を立てて人がやって来た見知らぬ男がいる。彼は貴族風のスタイルで、客人を出迎えるのに良い上着でいるのがわかった。側に執事がいて、まるで軍人のような歩き方をしていた。

 彼を見て、自分を呼んだのがロッテではないことをやっとリオは理解した。

「どうぞ、かけたままでいてくれ」

 男はのんびりした仕草で近くの席に座り、興味深そうにこちらをじっと見つめた。

「はじめまして、リオ・ブラック君。私がデヴィッド・ゴルドウィンだ」

「あなたが……」

「ロッテから聞いているよ、ウルスラで良い友達だったと」

「そうですね、慕ってくれました」

「抱いたことは?」

 夫がそんなことを聞くのかと驚かされた。

「いいえ、そういう関係ではありませんでした」

「同じ女性を知っている仲間同士だと思ったんだが、違うのか」

「俺に何の用です?」

 ゴルドウィンは優雅な笑みを浮かべた。

「それは無論、君がどちらを選ぶかについてだ。ヴァレンタイン元帥か、この私か」

「……」

「私に渡すんだ」

 ゴルドウィンは自信満々だった。

「ロッテが話したんですか?」

「いいや?」

 ということは、この事はヴァレンタインから漏れたのだろうか。そのことが軽くショックだった。彼を信頼しかけていた。ゴルドウィンにリオの情報を売ったのだろうか?

 憲兵隊はセレガ貴族の用事と知れば遠慮するのを見越して任務中に連れ去った。ゴルドウィンが来るとしても、もっと穏当な手段だと思っていた。たとえば、ロッテが同席の元で話をするかと考えていたが、いきなりのことでリオも驚いていた。

「このことをヴァレンタイン閣下は知っているんですか?」

「さあ、君がどう思うかは知らないが。私の情報元はヴァレンタイン元帥だ。」

 ゴルドウィンは余裕のある態度で、悠々としていた。

「君には市民権と身の安全を保障する。一時金付きだ、当面はそれでいいだろう」

 当たり前のことを言っている、という態度でゴルドウィンはリオを説得しようとしている。

 リオもウルスラから逃げる間、貨物船の中でずっと考えていた。ウルスラの秘密を誰に渡せばいいのか。自分と姉の安全について、誰に託せばいいのか。激流に揉まれる木の葉のように頼りない思いをしていた。

 でも最近は思うのだ、自分と姉の安全は、自分たちの力で勝ち取らなければならない。リオという船は木の葉に過ぎないかも知れないが、接岸する岸は自力で選べるのだから。

「いいえ。ウルスラの独立を脅かす提案には乗れません」

「おかしなことを言う。君はロッテと同じように俳優だったはずだ。彼女はそれほどウルスラ星の独立を気にかけている様子はなかったし、君も身の安全を考えたらセレガ星に移住することを考えた方が得じゃないか」

 セレガへの移住案を出すなら、姉のエストがいることくらい分かっていそうなものだ。ゴルドウィンはエストを毛ほども気にしていない。

 エストも逃げている間、こういう男相手に条件を交渉することがあるのだろうか。姉の身が心配でならなかった。

「普段からウルスラ星の独立について意識していたのか?」

 疑問を浮かべるゴルドウィンにリオは少し微笑んで見せた。

「そうではないですが。俺も元はロッテと同じで、ウルスラのことを気にしていませんでした。だけど事情が変わって、難民として過ごしている間に考えも変化しました。ウルスラを独立した星として扱う気がない人に、渡す気にはなれません」

「なぜだ?」

「俺はウルスラ市民です。市民として故郷を守りたい、それだけです」

 ウルスラを独立した星として扱えない者は、リオとエストをまともに扱う気がない。というのが、リオの考えだった。

 ゴルドウィンは黙り込み、薄い唇で何か言いたそうにしていたが、腕組みをして少し考えているようだった。

「セレガ=ヴェント帝国はこれから発展するだろう。ヴェント星と三星同盟を従えて地歩ができた。これからはこの関係を基盤とした経済的発展を確立していきたいと帝国の枢密院は考えている。私はそこにウルスラも加われればいいと思うのだが。どうだろう」

 ゴルドウィンの言葉は穏当に聞こえるが、何もかもセレガ貴族の都合でしかなかった。

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