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19.子供の時間

 休日の午後、チャイムが鳴った。

 放っておくと、再び鳴った。なんて行儀のいい訪問者だろうかと思い、訪問販売かと疑いながらチェーンをかけたままドアを開けた。

「誰だ?」

「僕だよ」

 下の方で声がして、リオはびっくりした。そこにいたのはフィーレン・アルフォンス、王立学園初等部二年生。制服で帰りがけに来た、という感じだった。

「アルフォンス君」

 リオはあわてて一度ドアを閉めてチェーンを解き、ドアを開けてアルフォンスを中に入れた。

「どうしたの一体」

「今日はブラックさんにお願いがしたくて来たんだ」

「へえ、一体何?」

「ハンスに会いたい」

 リオはすぐ答えられなかった。

 ハンス・フィッシャーはバウンズ孤児院に入って平和にやっている。以前の人間関係とはできるだけ触れずに、新しい人生を始めるべきだと所長から言われたのを思い出せた。会わせるわけにはいかない。

「なんで会いたいんだ?」

「それはハンスに言いたい」

「じゃあ言うね。それはだめ」

「どうして?」

「ハンスは新しい人生を踏み出している所だから」

「どうして?」

「何が?」

「僕はパパの元に戻ったのに、どうしてハンスは元の家にいないの?」

「まさか、あのアパートに行った?」

「うん。知らない人が住んでた」

「ハンスはもういないよ。それに君はハンスを探したらだめだ」

「どうして。どうして、だめなの?」

「今の君に言っても分からないよ」

「どうして」

 アルフォンスの目から、ぽろりと涙がこぼれた。それが何のためなのか、リオはわからなかった。ほんの一日一緒にいただけだ。

「ハンスには俺から言っておく。何の用があったの?」

「パパがまた嘘をついたんだ」

「へえ」

「だから、ハンスの所に行く」

「それはできない。ハンスは君の避難所じゃないよ」

「なんで?優しくしてくれたよ。僕たちは友達なんだ」

「そういうことに友達を利用するのはだめだろ。学院のお友達の家に行かなかったのはどうして?」

「だって皆、習い事があって僕と一緒にいてくれない。ハンスは僕をずっと見てくれる」

 それは偶然、ハンスが自分を善良だと思っていたから成立した関係だ。年が近い子がまわりに居なかったハンスが興味を持って一日だけ面倒を見た。それがアルフォンスには印象的な出来事だったのだろう。

 ハンスも今頃、年頃の少年少女に囲まれて新たな世界を味わっているはずで、そこにアルフォンスを連れて行けるわけがなかった。

「今日は習い事があったんじゃないの?」

「行きたくない」

「どうして?」

「パパはまた約束破ったんだよ。習い事なんかしたくない」

「俺は何もできない。そして、ハンスには会わせない」

「なんで?僕のパパは元帥だよ。僕が言えば、パパはブラックさんを飛ばしちゃうよ」

 アルフォンスは人を窺う視線でいた。リオがどうするか試している。

 親の位階が高いと子供はこんな苦労をするらしい。

 リオはため息をついて仕方ないように笑った。

「これ以上どこに飛びようもないと思ってたけど。飛んじゃうのか」

「そうだよ。飛ばしちゃうよ」

「そういう子には、やっぱりハンスと会わせられないな」

「どうして?」

 アルフォンスのどうして?をフィーレンはどうやり過ごしてきたのだろう。忙しい軍人だから、なおざりに返事をしてよしとしていたのだろうか。

 リオはアルフォンスのためというよりは、ハンスの味方のつもりでいた。

 少年の前に屈んで、できるだけ事実に近い表現をしようと思った。

「ハンスは一人になったんだ」

「それっていいな。僕はもう、パパの面倒をみてられないよ」

「どうして?パパなのに」

「パパは約束を破ったら、また次の新しい約束をしようとするの。そういうのが嫌なのに気付いてくれないんだ。話が通じないって、ああいうことを言うんだよ、きっと」

「でも、パパが君の面倒を見てるよ」

 アルフォンスはそれには答えずに、いじけた様子で両手を弄っていた。

「ハンスにはパパがいない。だから一人で自分の面倒を見れるようになるための場所に行ったんだ。君の相手はしてられないんだよ」

「ハンスに会いたい」

「あの子は一人で頑張ることを覚えてる最中で、君に会う余裕がないんだ」

「いいなあ。僕はパパの面倒みなくちゃならないの、もう嫌だよ」

 自分が父の面倒を見ているつもりになっている、何不自由ない暮らしでも悩み事は尽きないのだ。リオは苦笑してアルフォンスの話を聞いていた。

「どうして?パパの艦隊が格好いいって自慢してたじゃないか」

 冷蔵庫の中に牛乳があったか気にしながら、リオは立ち上がった。投げ売りの栄養補給剤なら、ドラッグストアで買ったものがある。だけど味わいがケミカルだから、この子には合わない。冷蔵庫からミネラルウォーターを出して渡した。

「これを飲んだら送るよ」

「お菓子ない?」

「うちの間食は、ドラッグストアのまずい栄養補給剤なんだ」

「じゃあ、いい」

「そう?」

 リオは冷蔵庫からそれを取り出して封を開けて、口にした。

 ケミカルな味わいがするが、これを飲んでおくと翌日の動きが変わるから必ず飲んでいる。

「まずいのに、何で飲むの?」

「明日頑張りたいから」

 アルフォンスはそれを聞いて黙り込んだ。

「これは多分、軍の払い下げ品なんだよ。戦争が終わったから在庫が余って、放出品なんだ。前線の兵士がこんなのを飲みながら頑張ってたと思うと、頭が下がるよ」

「パパも飲んでたのかな」

「さあ。多分、飲んでたと思うよ」

「英雄なのに?」

「パパに聞いてみたら」

「話したくない」

「そうかな。話した方がいい結果になることは多いよ」

「僕を、まるめこむんだ」

「英雄の話術に引っかかるのか。じゃあ、パパに僕の話を聞いてねってお願いしたら?話を聞いてってお願いしたことはある?」

「ない」

 セレガ軍の高級士官がこういうものを口にしてたかどうかリオは知らない。だけど、この場合はそう言っておく方がいいだろう。

 端末が小さく鳴った。アルフォンスが来た時に、ヴァレンタインとの間に開いておいた回線で、フィーレンが到着したことを知らせてきた。

「そろそろ帰る時間だよ」

「え、もう?」

「お水を持って。そこまで送る」

 リオは家の鍵を持ち、アルフォンスと共に玄関の外に出た。子供に合わせてのんびり玄関を出て、ゆっくりと駅の方に向かった。

「よく俺の家が分かったね」

「パパの端末で」

「へえ」

 ということは、アルフォンスはこれから何度でもB寮に来る。

 いや、なぜフィーレンの端末にリオの情報があるのか。

「どうしてお父さんが俺の端末のことを知ってるんだろう?」

「ヴァレンタインさんから聞いてる所を見たよ」

 フィーレン元帥が一体何の用だろう。ヴァレンタインはリオのファンだから分かるけれど、フィーレンはどういうつもりなのか。

 やがて、元帥が乗るような黒い車が行く手に現れ、低速で横につけてきた。アルフォンスは慣れた様子で立ち止まって、リオもそうした。

「アル」

 子供の名前を呼びながら、父親が顔を出す。

 年齢はヴァレンタインとそう変わらないだろう、若い父親だった。優しい顔を見せているのは子供の前だからだ。

 アルフォンスはリオの足の後ろに隠れようとした。その様子を見て、フィーレンはとても寂しそうな表情になった。

「こらこら。パパと話すって言ってただろう」

「ブラックさん、応援してくれる?」

「いいよ。がんばれ」

「うん」

 足の後ろから出て来て、アルフォンスは父親を見上げた。リオは、彼に目配せをした。仕草で、手を低くするようにすると、フィーレンはやっと気が付いてその場に屈み、アルフォンスと目を合わせた。

 不器用な父親なのだなと、仲良くなれる引っかかりがあればもう少し違うのだろうけれど。

「パパ。あのね、僕の話を聞いて欲しいの」

「何だって聞くぞ」

「じゃあ、パパと約束するの疲れちゃったから、やめて」

 単純なお願いを聞いたフィーレンは、瞬きして驚いていた。

「僕、ずっといやだったんだ。約束しても、パパの都合で約束がなくなるの、いや。約束を破るのは悪いこと、パパだって知ってるのに。なんで何度も約束を破るの?僕はもういやだよ」

「ああ、いやあ、それは……」

 フィーレンは答えにくそうにしていたが、息子を前にして考え込んでから呟くように言った。

「それは、パパが悪いな」

「そうだよ。やっとわかった?」

「おいで」

 フィーレンが両手を開くと、アルフォンスはその腕の中に飛び込んでいった。小さな体を受け止めて、フィーレンはリオを見た。

「協力、感謝する」

「いえ」

 リオは、なぜフィーレンがアドレスを知っているのか分からなかった。そこで、フィーレンはひっそり言った。

「アルフォンスを守ってくれた憲兵にギフトカードを贈るつもりでいたんだ。うっかりしていた」

「いえ。大事なくて良かったです」

「貴官が休日で幸運だった。助かったぞ」

 フィーレン父子が帰ってから数十分後にメッセージが届き、フィーレンから十万リオンの金が振り込まれた。そして、今後もよろしく頼むと書いたメッセージがある。

「今年はアンラッキーイヤーなのかな」

 ぼやいて、リオは飲み残しの栄養補給剤を一気に飲んだ。

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