01.百八十光年先から
ヴァレンタインと成り行きで名刺を交換する。リオは憲兵だから、何者とも知れない相手にも自分の名刺を配るのだが、今回は本当に分からなかった。
リオの名刺を手に入れて、ヴァレンタインは満足した様子で頷いた。
「ありがとう。後で経歴を調べても?」
「いいよ」
「そう。それじゃあ、今日はお手数をかけました」
「あまり飲み過ぎると体に毒だよ」
リオが言い出したことに、ヴァレンタインは少し視線をくれた。
「何事もほどほどがいい」
「昨夜はゲームに負け続けて罰杯ばかりだったんだ。今度から気をつけよう」
明るく答えて帰って行くヴァレンタインの足取りは二日酔いとは思えない。相当鍛えこまれている軍人なのだろう。
経歴を調べられて、後で脅されるだろうか?
他の星系に逃げるか。でも、どこに。
「どうするよ俺。地方星系で、清掃のバイトでもする?」
呟いて落ち込んできた。最悪だった。
ここ、ヴェント星にきたのも決死の想いだったのに、他の星系へ密航するための額を用意できるか、非常に心もとない。
百八十光年向こうのウルスラ星からはるばるやってきてきて、ここヴェント星のことしか調べていない。ここから他星系に行くにしても旅費が掛かる。今の自分にはとても出せない額だ。
リオは深呼吸した、落ち着いて考えろ。
ここ、ヴェント星は元は合議制の国で、議長が最高権力者になる。
が、議長は金で隣星系のセレガ星に抱きこまれた、というのがネット上で事実だと言われている噂だった。
半年前、議長は行方不明になった。そしてセレガ星の軍艦が押し寄せてきて、不意を突かれたヴェント宇宙軍は何もできなかった。宇宙港はあっさり封鎖され、国会は占拠され、セレガ=ヴェント帝国の樹立をセレガの軍人が全星系に向けて宣言したのだ。
リオは、ヴェントから百八十光年も離れているウルスラ星の市民だった。他星系を中継して貨物船でヴェントまで密航して難民になったのは、この星が自由な商業都市だったからだ。
「ヴェント星が帝国になるなんて、聞いてないよ」
というのがリオの正直な気持ちだった。立てていた予定が消えて、今後どうなるか何一つ分からない。
国のあり方が変わってから、ヴェント星の難民という人材資源をどう扱うか表向きの発表はなかった。リオの足元に火がつくのかどうかもわからない。
ヴェント議員の中でもセレガに反抗的だった者たちが拘束や軟禁をされた後で、難民などの下層民はじりじりとした気持ちで新たな政府の発表を待っていた。
その事情をよそに、民間の交流は活性化している。インバウンド需要が両方の星に強烈に来ているというニュースは知っている。
その賑やかさに加われず、リオは冷ややかな思いで自分の経歴を振り返っていた。
「姉さん、無事かな……」
リオは故郷のウルスラ星から逃げた。
姉がいて、エストという。夫はウルスラ議会の議員をしていた。ブルス・カーマインと言えば軍出身で防衛関係に詳しい、やり手の議員だった。
カーマインはある時、宇宙艦隊の入札などに不正があった件を掴み、これを調べている最中に殺された。リオはその葬儀で証拠などが入ったSDカードをエストから託されている。これを持って逃げてと言われてから、エストの消息は不明だった。
姉もきっと逃げているはずだ。
託されたカードをウルスラ当局に渡せば生き残れるか?と考えたこともある。姉にもそう言ったけれど、カーマインを説得せずに殺した側がリオと姉をどう扱うか。姉は自分たちも殺されると言った。
そういう緊張感の中で、リオは逃亡していた。
行き先がヴェント星であると姉は知っているし、いずれ連絡が来るだろうと思っている。それは希望的観測に過ぎないかも知れないが。
ウルスラでのリオは俳優として芸能界にいた。
月九のドラマの主演なども務め、映画も二、三本に出ている。そのままいけば俳優として充実した人生を送れただろう。
「とんでもないことに巻き込まれたよな」
そういう立場でいるリオの裏を、ヴェント憲兵隊は調査しきれなかった。
リオ・ブラックという難民は市民権欲しさにヴェント星への奉仕としての憲兵隊への就職である、と見極めをつけられた。
体力テストとペーパーテスト、忠誠心を審査された上での上等兵待遇だ。
銀河は平等な社会ではない。星系外縁部の作業員監視の為の憲兵業務になるだろうかと思っていたらヴェント星の首都リヴェ勤務で上等兵待遇だったので、はじめて教育を受ける機会が多い半生で良かったと両親に感謝したのだ。
ヴァレンタインの背を見送り、車両にいる仲間の元に戻ろうと通信を入れるところだった。