18.友人付き合い
寮の廊下でグッドマンとはちあわせるのは、珍しいことだった。
彼は眉間にしわを寄せながら険のある声でリオに尋ねた。
「最近、人と会っているそうだな。誰だ?」
「ボイストレーニング先のスタッフかな」
「ああ?」
グッドマンは険悪な表情をしたが、リオは構っていなかった。
「スタジオのスタッフだよ。仮眠をスタジオでとることもある。だから最近戻らなかったんだ」
「まるでスターのような事を言うんだな。難民に友達なんかいねえだろ。本当は、あそこで何をしてるんだ?」
「本当にボイトレしてるんだよ。友達が出資してくれるから」
「難民に友達はいねえよ」
「難民になる前の友達だよ」
そういうと、グッドマンはリオの発言を吟味しているようだった。
じろじろとリオを睨みつける。
「難民になる前は何をしていた?」
「ウルスラで俳優を」
「リオ・ブラックのような事を言うんだな」
「本人だ」
リオが種明かしをすると、グッドマンはそれが気に入らないという表情でいた。
「どうぞ、指紋照会してくれて構わない。けれど今はされると困るな。居場所がばれると命が危ない」
「その演技はだめだ、信頼がおけない」
「演技じゃない」
「なら、指紋照会をさせろ」
「内密にできないか?」
リオが拒絶しないのを見て、グッドマンは真面目に答えた。
「事件関係者の参考人としてならどうだ。容疑者扱いにはしない」
「どの事件?」
「三日前のクラハストリートの売人殺しだ」
その時、リオが心配そうな目をした。同僚へ対する難民差別が発覚すると隊内で処罰対象になるからだ。
グッドマンは平然としていた。
「自分が参考人かも知れないとお前が感じた、とサインしろ」
「それならいいけど……ウルスラのデータに当たらないと」
「その売人がウルスラの出なんだよ」
リオは驚いた。グッドマンの話を総合すると、ウルスラ出身の売人が殺された件をリオに尋ねて、本人承諾を得て参考人として指紋照会をする気でいたのだ。
「俺の正体が知りたかった?」
「ああ。顔を隠すなんて並大抵じゃないからな。今も半分、指名手配犯だと思っている」
「リオ・ブラックに似すぎているから?」
「二つに一つだ、整形か、本物か」
リオは思わず笑った。グッドマンはいかめしい顔をしているが、隣の部屋の陽気な同僚とふざけて賭けをしているのは分かっていた。
「どっちに賭けたんだ?」
リオは笑って聞き、グッドマンの端末にサインをした。それから指紋認証に指を押し当てた。
「よし。結果は明日までには出る」
「お疲れ。賭け、勝つといいな」
声をかけて部屋に戻る。仕事の後で直行したボイストレーニング後のリオはくたくただ。グッドマンから敵意を向けられなかったのは進展したと思っていいのだろうか。シャワーを浴び、どうにか髪を乾かしたら食事を取る間もなく眠くなってしまう。
八時間寝てから起き、身支度を整えて出勤の準備をする。朝食を外の屋台で買って食べながら分署に向かった。
分署の正面玄関でグッドマンと行き会った。
リオを見ると、彼は制帽のつばに手を当てて敬意を表したのが予想外だった。
「どうした?朝から」
リオが聞くと、グッドマンは端末をぽんと叩いた。
「結果を朝一で見た」
「本物だったろ?」
「ああ、俺の勝ちだ。今夜は奢る」
グッドマンが初めてリオの前で微笑んだ。それで分かったのだが、彼が笑うと子供っぽい表情になる。リオも微笑み返した。
難民の中には密かに非合法なやり方を仕事にする者が少なくない。難民出身の憲兵が既に染まっている場合も多い。難民出身者は使い捨てのハンカチのように便利に使われていくだろう。そのことにどこか複雑な気持ちがあった。
「ありがとう。じゃあ、帰りにちょっとだけ」
「来いよ。絶対だ」
グッドマンが爽やかに去っていき、リオはその日の当番をどのチームと回るのか掲示板を見に行った。
午前の業務中に、リオが本物のリオ・ブラックだと言う話が署内中に出回ったらしく、帰りの車で皆からサインを求められたのがくすぐったかった。
その後もなにかとサインを求められながら事務仕事を終わらせて、これまでの言動にけじめをつけたいらしいグッドマンとバーに向かった。
バーでもリオが本物だと知れ渡っていて、店主からサインをねだられた。二、三の会話をしてから、グッドマンと立ち席にカップを置いた。
彼は下戸で、飲んでいるのはコーヒーだ。リオも同じくコーヒーにすると、店主が二人におまけでドーナツをくれた。
「これまで済まなかったな」
「気にしないで。俺は分かってて難民でいるんだから」
「オレの気持ちの半分は、お前を本物だと思っていなかった」
「仕方ないよ。俺も本当のことは話せなかった」
「でも、何の事情で難民に?」
「それは本当に危ないから聞かない方がいい」
「憲兵隊にはお前を守る力がないのか」
リオは慎重な表情をして、声を低めた。
「それはな……憲兵総監のザイフェルト大将が、開戦派のセレガ議員連合に近付いてるのは知ってるだろ?」
「ああ」
「俺の持っているウルスラ星の軍事スキャンダルをそのまま総監の手札にされたら、俺は故郷を裏切ることになるんじゃないか」
グッドマンは黙ってコーヒーを飲んだ。リオの抱えている事情を彼も理解しているようだった。
「俺はヴェントに忠誠を誓っているが、ウルスラでは俳優も忠誠を?」
「故郷にはいつか帰れるようになりたいだろ」
「そうだな。俺はヴェントを離れたことはないが……」
グッドマンは手の平にコーヒーカップを温めている。今日は、いつもより苦い味がするようだった。
「憲兵総監を頼らないなら、誰を頼みにするんだ」
「わからない。俺はヴェント議員も、セレガ貴族も、どちらも知らない。友達が貴族と知り合いだから、ちょっと聞いてみようと思っている」
「あてずっぽうだな」
「お前な。百八十光年向こうの政治状況なんて、簡単にわかるかよ」
「よく飛び込んで来たな、ヴェントに。お前は勇気がある」
グッドマンはカップを掲げ、リオもそれにカップで乾杯した。仕事で疲れた体にドーナツがやたらと甘いのを噛み締める。
難民になってはじめて友達が一人できたことをリオは喜んでいた。




