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16.秘密を知られて

 リオの告白を聞いたロッテの驚きは平凡だった。

「まあ!」

「確かか?」

「確かだよ」

「パスワードは」

「ある」

「俺に渡せ」

「いいや、それはできない」

「なぜだ?」

「ウルスラの自治と独立を約束できない話に、俺は乗れないんだ」

「恋人だろ」

「何言ってんだよ。はじめは一晩限りの恋人のつもりだったろ」

 ヴァレンタインは向う脛を蹴られたような表情になった。それを隣で見ていたロッテが納得していた。

「それは言わない約束だ」

「とにかく、これはここだけの話にしておいてくれ」

「情報を渡さないの?」

 ロッテが驚いたように聞いた。彼女にしてみれば、身の安全と市民権が確約できればリオはヴェントに住むと考えていたようだ。

 難民生活を始めてからのリオがいつもうっすらと考えていたのは。ウルスラの自治と独立についてだった。身の安全を約束してくれる者に出会えたとしても、その二つを約束してくれない相手にこのデータを渡していいと思えなかったからだ。

 だからと言って、リオに何ができるわけでもなかった。選べるのは、この情報を託す相手に良識があるかどうかだけだった。

「リオ。俺に渡す方がいい、そうしたら君は安全になる」

「悪いけど、断るよ」

「なぜだ?」

「ウルスラを売る気はないんだ」

「リオ、私だってウルスラを売る気はないのよ」

「君の気持ちは分かっているよ」

 リオは手を差し出してロッテと軽く指先を触れ合わせると、ヴァレンタインを見てから軽く敬礼をした。そして、バーを出て行った。

 二人はその背を見送り、ロッテがやるせなさそうなため息をついた。

「ああもう。じれったいったらない」

「夫人は最初からわかって?」

 残されたヴァレンタインが、同じように置いて行かれたロッテに質問した。彼女も、片手にしたカクテルグラスから甘い酒を一口飲んで呟いた。

「偶然よ」

「できすぎていませんか?」

「いいえ。本当よ」

「リオは元からああいうことを?」

「まさか。秘密を手にして変わっちゃったんだと思う。ウルスラの自治のことなんか一俳優の手に負えるわけない。デヴィッドよりあなたに託す方が正しいと私は思うし」

「なぜ、ご夫君を外すのですか?」

「あの人はセレガ貴族で、自分のことしか考えない。セレガ貴族で枢密院第一書記である自分を自分で重んじている。だけど最近、そういうところがあの人のつまらない所だなと思ってる」

「火遊びはいけない」

「私はこのことを夫に話す。あなたは?陛下にお話しする?」

「陛下に話していいほどの実りではないですね」

 筆頭元帥の直属上司は、皇帝コルネリアスその人だ。彼がまだ皇帝に話さないと言うのもロッテには頷けた。

「そう。じゃあ、リオのことを夫に話してみようかしら……」

 彼女はホテルから邸宅に戻り、貴婦人らしくその日の美容に必要なことを細々と終わらせた。くつろぎのバスタイムを済ませると、夫が帰って来たという知らせを受けた。

 バスを出て髪を乾かし、軽い化粧をしてから夫の前に出る。

「お帰りなさい、デヴィッド」

「ただいま、ロッテ。今日はどこに?」

「ネオ・ルミナに行ってランチを食べたの。そしたらね、そこに何と、リオ・ブラックがいたのよ」

「聞いたことがある名前だな」

「話したじゃない。ウルスラで女優をしてた時の親友だって」

「リオ。男か」

「そうよ」

「そのブラックとランチを?」

「いいえ、バーで会ったの。なんとヴァレンタイン閣下と差し向かいで」

「なんだって?」

 ぎょっとした夫を見て、ロッテはいたずらが成功した子供のように笑い、居間に置いてある酒棚の方に行って自分と夫のためにウイスキーを注いだ。

 ゴルドウィンにとって、ヴァレンタインの名前はただ事ではなかった。この元帥は世事にあまり興味を示さない独身男で、セレガ貴族との縁談が持ち込まれても断り通している。彼が興味を持ったのが俳優、それも男だと聞いて驚いていた。

 ロッテがホテルのバーに入った時、リオを見つけて味わった驚きとほとんど同質の驚きだった。

 彼女は夫の顔を見て微笑んだ。

「その顔が見たかった」

「君の友達はどういう訳で、ヴァレンタイン閣下と」

「リオは難しい問題を抱えてるの。知りたい?」

「ぜひ、知りたい」

「ウルスラの軍事機密について知ってるって言ってるの」

「ほう」

 ゴルドウィンは考えた。百八十光年先の軍事機密とヴァレンタイン。妻の言葉はどこか本物のように思えた。彼が気をつけたいのは、それがイミテーションである場合だった。

「君が興味を持つようなことか?」

「だって心配なんだもの……私がブラックに恩があるのは知ってるでしょう?あの人が難民なんて、絶対よくない引き合いにされる。だから市民権をプレゼントしようと思っているんだけど」

「君のプレゼントを断る男なんていないだろうね」

「それが、ブラックは断ったのよ」

 ロッテが不満そうに言い、ゴルドウィンもその訳がわからなかった。

「なぜだ?」

「ブラックは市民データに乗りたくないと言うの。でも、難民枠の憲兵をしていたら三年後には市民データに乗るのは決まってるじゃない。一体、どうする気かしら」

「なるほど。確かにな、でもブラック君にも彼なりの考えがあるんだろう。なにせ、筆頭元帥が傍についているんだ」

「それがね、けんもほろろの対応だったの」

「そうなのか?」

 そう呟いて、ゴルドウィンはすぐ気が付いた。

「一体、ブラックはどうやってヴァレンタインに近付いたんだ?」

「違うみたいよ」

「何が?」

「あれは閣下の方からブラックに近付いた風ね。食い下がっていたのは閣下の方だったから」

 妻の観察眼を疑うわけではなかったが、ゴルドウィンは内心の興味に突き動かされて、その日の夜にヴァレンタインに連絡を入れた。

『ああ。確かに夫人と会いましたよ。それが?』

 この元帥はいつも平明な態度でいる。ブラックやロッテと会ったことを否定しなかったなら、ロッテの話は確かなのだろう。

『夫人が何か言いましたか?』

「珍しい取り合わせだと思ったので……」

『ロッテ夫人は夫のことをのろけていましたよ』

「いや、それはどうも」

 リオの持つ秘密について、ここで聞くわけにはいかなかった。今日ヴァレンタインが会ったことがわかればいい。

「妻に若いツバメがついていたと聞いたものでね」

『そういう男ではないですが、今日はもう一人いましたよ』

「そうですか?どんな男が?」

『俳優候補のようですね。ご夫人はどうやら何か思いついたらしくて、デビューの支度をしているという話でした』

 さすがにヴァレンタインは簡単にリオについて語らなかった。

「その男と妻が?」

『いいえ。私が片思いしている相手ですよ』

 話の風向きが急に変わって、ゴルドウィンは驚いた。ではブラックが相手ではないのか。

「閣下の片思いですか」

「そうです。これまでも片思いを続けてきましたが、つれなくされると傷つくものだ」

「元帥を袖にするとは、見る目がない」

『いや、これは私の態度が悪かったからだろうな』

「ですが、帝国元帥ともなれば相手を見つけるのは簡単なことではないですか?」

『氏が今の奥方を得た時も、簡単だと思われたのですか?』

「いや。そうではないですが……妻を私の所に呼び寄せるまでは、それは苦労したものです」

『そういうことです』

「いや、これはお手数をかけました。間違いでおかしな嫉妬をする所だった」

『仲が良くて羨ましいですね』

 ロッテが出会ったのはヴァレンタインと、あともう一人誰かがいる。それがリオ・ブラックなのかどうかの確信をゴルドウィンは持てなかった。

 ゴルドウィンはブラックの情報を調べた。姉の夫ブルス・カーマインが死亡し、直後から姉弟は所在不明になっている。その本人がヴェントにいる。

 翌日、ゴルドウィンはエスト・カーマインについて調べ、それらしい女性がウルスラの宇宙港で一年前に事故死した情報を掴んでいた。

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