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大阪の陣へ

□□□ 令和7年 慎之介の手紙を読む慎次と駒凛 □□□


慎は令和に戻った今もなお、慶三郎殿、喜兵衛殿の命を

奪い去った者への憎しみに囚われています。


慎は私を守るために戦っただけです

しかし、慎自身もその手で人の命を奪い、

誰かの憎しみを背負う立場であることを、彼は知ってしまったのです

手紙に書かれた、慎之介さんを襲った若武者の復讐の相手は、

もしかしたら慎だったのかもしれません


その疑念は、彼の心を深く抉りました


戦乱の時代にあって、何かを守るため、

あるいは安寧の世を願って戦うことは、

誰かの仇となり、憎しみを背負うという悲しき宿命

それを慎之介さんや三成様のように受け止めることができない

今の慎は、その重みにただ立ち尽くしていました


~ 佐川 慎之介の手紙がつづく ~


徳川 家康様の天下を決定づける関ヶ原が終りました

『北の関ヶ原』と呼ばれた豊臣方の上杉勢の侵略を防ぎ切った

最上・伊達勢が勝利をおさめました


最上家は駒姫様の一件以来、恩義のある家康様に組し、

忠義を尽くした功績により、

出羽国山形藩の初代藩主として57万石の大大名となりました


わたくしは澪様との約束通り、山形に帰ることはありませんでした

最後の勤め『豊臣家の滅亡』を見届ける為

いえ、家康様がつくる安寧な世を脅かす最後の火種を消し去るために

わたくしもまた歴史の人柱になります


三成様を失った豊臣家は復権を掛けて、いずれ暴走を始めます

そして、侮れない武将が豊臣方に付きます


わたくしは武士として、その武将と刃を交えたいのと、

家康様の天下泰平の御世を盤石にするため、井伊様へのご恩と共に、

この身を捧げる覚悟でございます


関ヶ原後の豊臣家は多くの所領を失い、石高は大幅に失い

65万石の一大名になりました


しかし、豊臣 秀頼は大坂城に健在であり、

多くの豊臣恩顧の大名たちは、表向きは徳川に従いながらも、

依然として秀頼を主君と仰ぐ気持ちを抱いていました

また、大坂城には莫大な財宝が蓄えられており、

天下泰平を揺るがす看過できない火種です


家康様は、豊臣恩顧の大名を巧みに全国へ配し、

あるいは改易することで戦の火種を一つずつ摘み取りました

改易した領地には徳川譜代の大名を配置し、

安寧な時代を次の世代につなぐ布石を、着々と打っていったのです


井伊家は大坂の豊臣家の動きを牽制する防波堤として、

要衝の地、近江国彦根に配されました

わたくしもまた、この彦根藩の家臣として、

新しき世の礎を築くことに尽力いたしました


その間、井伊直政様を含め、戦乱の世を家康様と共に駆け巡った

稀代の武将の方々がこの世を去って行かれました


武士が刀一本で生きる時代が終わりを告げる中、

わたくしは彦根藩の剣術指南役として身を置きながらも、

新しい時代が求める才覚を養うべく、勉学に励みました

算術や政道はもちろん、儒学、兵法にいたるまで、

知の限りを尽くして文の力を学び取ったのでございます


二十歳を超えたわたくしはここでも出世や縁談のお話を頂きましたが、

それもまたすべてお断りしていました


そんな中、婿養子の野中 官兵衛殿を関ヶ原で失った野中 頼母様から

婿養子ではなく、養子縁組のお話を頂きましたが、

このお話もお受けすることはありませんでした

官兵衛様を追って結様はご自害されていました・・・


わたくしには、もう一人気掛かりな女性が居ました

澪様です


慶三郎殿の仇討ちだけに生きた澪様の安否が、気掛かりでした

もしや、慶三郎殿の後を追われたのではないかとの胸騒ぎを覚え、

木俣様、志村様のご助力も得て、佐和山から伊賀、

そして山形へと足跡を辿りましたが、いかなる手掛かりも得られませんでした

無事であることを祈るばかりです


わたくしは彦根で穏やかな日々を重ね、

大坂の陣に向けて若き武士を育てる傍ら、

身分を問わず、近所の子供たちを集めて、学問を教えました

これからの安寧で豊かな時代をつくるのは刃ではなく、学問だからです

これがわたくしが今できる家康様、直政様への恩返しです


いつしか年月を重ね、わたくしは30を超えても独り身でした

剣術指南のお役目の後は、子供たちに学問を教え、

その後は、子供たちに連れられて剣の稽古や川で釣りをしたり、

時には、家にお邪魔して夕飯を頂くこともありました


そして、お役目が無い日でも子供たちやその親が料理や野菜、

酒などを持ってきてくれ、

いつも誰かに囲まれ、温かな幸せの中で生きておりました


ただ、わたくしだけが、このような幸せな時間を

過ごすことが許されるのか・・・


駒姫様、お許しください


この子供たちの中には、大坂の陣の戦場に立つ者もいます

最後の大戦とは言え、惨い物です

安寧の世のために、歴史はまだまだ人柱を求めるのでしょうか?

この子供たちには、戦を知らずに生きて欲しいです


ですが、わたくしの願いなど、叶うはずがありませんでした

歴史は無情にも、慶長十九年七月、方広寺の鐘銘事件を引き起こしました

大梵鐘に刻まれた『国家安康』の文字は、家康様の御名を分断するがゆえに、

まさしくその御身を呪うものとして、解釈されたのです


家康様が豊臣家の存続と引き換えに突きつけた条件は、

『秀頼様の江戸参勤』、『淀殿の人質差し出し』、『秀頼の国替え』という、

豊臣家が到底のめない条件を突きつけることで、

戦への道を開かんとするものでした


これを機に徳川家、豊臣家は戦準備を始め、

豊臣家はその潤沢な財力で、瞬く間に10万もの武士を集め、

戦乱の世にその名を轟かせた武士たちが、続々と大坂城へ馳せ参じました


元黒田家家臣『黒田二十四騎』の一人 後藤又兵衛殿。

豊臣家御恩顧の武将 毛利勝永殿。

四国の雄 長宗我部家の再興に懸ける長宗我部盛親殿。

元宇喜多家家臣の明石全登殿。


そして、あの徳川勢を二度までも打ち破り、

圧倒的に不利な状況下にある大坂の陣において、

その武勇で『日の本一の兵』とまで称えられた真田幸村殿です

剣の極致を目指す身として、あの真田 幸村殿と相見えることは、

わたくしの悲願でありました


家康様は全国の大名に号令し、

二十万もの大軍勢が大坂城を幾重にも取り囲みました

井伊隊は、真田幸村殿が築きし真田丸へ向けて布陣し、

光栄なる先鋒を仰せつかったのです

そして、わたくしが剣術や学問を教えた若者も多く参陣し、

その大半が初陣でした


いよいよ戦乱の世を終わらせる大坂の陣が始まります

ようやく戦なき安寧な時代が訪れます

当作品はフィクションです

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