プロローグ 神様がくれた”ひと夏の恋”
悲劇の運命に翻弄される駒姫様へ、神様がくれたひと時の幸せは
最初で最後の暑い夏の恋だった
文禄4年8月2日
わたくしは、京都 三条河原で処刑され
15歳の生涯を閉じました
それは、人生でただお一人お慕い申し上げた方が
目の前で射殺された直後でございます
織田 信長が天下統一に向けて
着実に歩みを進めていた頃、
出羽の国の戦国大名 最上 義光の次女として、
わたくし“駒”は生まれました
成長とともに、わたくしの容姿に関して
都の女性にも劣らぬ「東北随一の美しさ」という噂が
東北諸国で流れていることなどつゆ知らず
お優しい父上、母上の愛につつまれ
忠義の家臣、侍女に守られ
幼いわたくしは
それはそれはとても穏やかで優しい時を過ごしておりました
あの御方が東北に来られるまでは
織田 信長が信頼をしていた家臣 明智 光秀の謀反で倒れ
熾烈な後継者争いに勝利した豊臣 秀吉が天下を掌握し
永きに渡る戦乱の時代が終わりを迎えました
しかしながら、わが父上を含めた多くの大名は
表向きには秀吉様へ恭順の意を示しながらも
心から忠義を誓った訳ではなく、各地で反乱が起きておりました
そして、最上家を巻き込む反乱が東北で起きてしまいました
鎮圧軍の総大将として、東北にお越しになられた御方こそ
天下人 豊臣 秀吉様の後継者
後の関白 豊臣 秀次様でございます
その折りに、秀次様はわたくしの噂をお耳にされ、
わが父 義光に、わたくし“駒”を側室として
差し出すようにお命じになられたのでございます
後の関白、天下人になられるお方に、わたくしが側室に入ることは
最上家にとっては、豊臣政権下でのし上がる好機であり、
とても名誉なことでございました
しかしながら、当時のわたくしは11歳と幼く、
心から愛する幼い愛娘を手放すことを受け入れられない
父上はお断り申し上げたのですが、
ご命令には逆らい切れず、わたくしが15歳になるまでの猶予を
頂くことで、受け入れざる得ませんでした
それからのわたくしの生活、環境は一変いたしました
これまでのように、お庭を散歩したり、姉妹で遊ぶことは
少なくなりました
作法や礼儀、お花、お茶などのお稽古にいそしむ日々に
わたくしの笑顔は消えていき
幼いわたくしの心は幾度と壊れかけましたが
これもお家のためと耐えて参りました
その日々の中で、わたくしは人生で初めて、
人をお慕いする切ない想いが芽生えました
そのお方は、わたくしより一つ年上の佐川 慎之介様でございます
慎之介様は剣術の達人で、わたくしの警護役に抜擢されたお方です
真っすぐで誠実なお人柄の慎之介様をわたくしは、
瞬く間に、お慕い申し上げるようになりました
ですが、嫁ぎ先が決まっているわが身ゆえ、
その気持ちを小さな胸に留めたのでございます
もし、わたくしの気持ちが表面化すれば、
慎之介様はお役目をはずされ、お会いできなくなります
慎之介様のお姿を拝見すること、お声が聞こえること
わたくしにとって、唯一のささやかな幸せでございました
初めての恋は見ているだけの恋でした
やがて、15歳を迎えたわたくしは、
天下を揺るがす、理不尽で恐ろしい災いが待っているとも知らずに
生まれ育った出羽の国を離れ、大坂へと向かったのでございます
警護の慎之介様とともに
文禄4年7月8日(令和7年8月10日)
この日は有力大名の徳川様の居城がある江戸に入りました
先の大陸への出兵は主に西国の諸大名が従軍して多くの兵を失っておりました
わが父、義光も渡海の拠点 肥前名護屋城へ赴陣しました
ですが、徳川様は従軍されることはなく、お国で武力を維持、増強されています
天下を狙うと噂の徳川様は、豊臣家との戦の火種を常に探しているとされ
東北の有力大名 上杉様は豊臣方、最上家と伊達家は豊臣家臣下ではありますが、
その本心は明確ではありません
もし、徳川様が豊臣家との戦となれば、東北勢から背後を突かれることになります
豊臣家に側室を差し出すことは、最上家が豊臣家との結びつきを
強めると解釈されてもおかしくありません
徳川様の思惑によっては、何が起きるか分かりません
われら一行には、緊張感が漂っておりました
そして、日本橋を渡り終えた頃、
徳川様ご家臣の井伊様が一行をお迎えくださり、
徳川様がご用意くださった宿へご案内くださいました
「長旅、ご苦労様でございます
我が主の命により、今宵は、酒と料理とご用意しております
わたくしどもは引き揚げまする故、お身内の方々でお疲れを取られるがよい」
と言われて、お帰りになられました
井伊様は穏やかな表情をされていましたが、
武士の醸し出す不気味さに恐ろしさを感じました
その宿には、たくさんの料理やお酒が用意されておりました
この日はわたくしも警護の方々と一緒に食事をとり、
不測の事態に備えました
徳川様の真意が分からないため、侍女が毒見を行い
警護の方々は刀を横に置き、お酒をとらず、
警戒をされておりました
お人形の私には何も出来ることがありません
周囲から伝わってくる緊張感は旅の少ない楽しみであった
食事のひとときも輿の中と同じ空間に思えました
明日、無事に朝を迎えられるのでしょうか
~駒姫編へ~
文禄4年8月2日
京都 三条河原で俺は人生で初めて愛した人の目の前で射殺され、
愛する人は処刑された
だが、俺と彼女は令和の今を山形で生きている
誰にも言えない秘密のこの記憶は二人から消えることはない
俺は市立山形高校2年 佐川 慎次 16歳
家が剣術道場で小さな頃から剣術を学び、高校では剣道部に入り、
1年のインターハイで個人優勝した
無口で正義感が強く、堅物と呼ばれた俺に
今年6月に初めての彼女ができた
彼女は同じ高校の剣道部1年 二階堂 駒凛
俺と同じく無口で意志の強い彼女はクールビューティーと呼ばれ
あまり人を寄せ付けないイメージだったが、俺とは気が合った
俺といるときの彼女の表情は柔らかく、俺が失敗すると
「ば~か」とほほ笑む彼女の何気ない表情が一番好きだ
二人の共通の趣味が歴史でお城や神社、仏閣巡りが定番のデートだった
彼女と過ごす時間は穏やかで温かく、
いつまでもこの時間が続くと思っていた
令和7年8月初旬
大阪で行われたインターハイで
俺は個人二連覇、駒凛は準優勝を飾った
令和7年8月10日(文禄4年7月8日)
俺と駒凛は山形市へ凱旋した
感情をあまり表面に出さない駒凛が
帰りの新幹線で珍しくはしゃいでいた
駒凛が楽しみにしていたプールや花火の約束に
俺も高揚する気持ちを抑えながら心地よい眠りについた
目覚めの悪い朝を迎えるとも知らずに
~慎次編へ~