アナウンサーの寝取り方
マッシュヘアの良く似合う大人の女性が一人、バックを胸に抱えて、質屋から姿を現した。可愛らしいかんじだ。具体的に名前を特定はできないが、どこかのタレントさんに似ている。だれだろう。よく出る女優さんだろうか。歳は40代くらい? ただ、一つだけ明らかなのは、ほくほくしているのだ。顔が。きっと、質草を高い値段で預かってもらったんだろう。
JR新橋駅前の汽車ポッポの広場を越えて、一番繁華な通りを抜けた裏通りのビルの一階だ。ちょうどお昼の時間帯で、近所のサラリーマン、OLたちがわいわいがやがやとビルから表に出てきて、歩道はお昼を食べようとする人々でごった返していた。
そんななか、質屋の目の前の車道に、さっと一台の黒のアルファードが滑り込んできた。と思ったら、中から目出し帽をかぶった準備万端な全身黒づくめ男たちが数人飛び出し、路上で女性を取り囲む。0コンマの話だった。ひとりがバックを確保するや、またぞろ、車へと戻り、待機していた運転手役の男がアクセルを踏んで、南へと消えていった。
女性はあまりのとっさの出来事に、叫び声すら上げることができなかったのだ。ただただ、事の恐ろしさを実感しはじめ、体がぶるぶると震え、立っていられず、路上にへたりこんでしまった。
「大丈夫ですか」
「けがはありませんか」
きわめて常識的な生活をしている勤め人たちが、気遣って近寄ってきては声を掛けてくれた。
「いま、警察呼びますからね」
と見るからに実直そうな、制服姿のOLがスマホを耳にあてた時だった。
「いいです、警察呼ばなくていいです。大丈夫です」
暴漢に襲われた女性は、ペタッと座り込んでいた態勢からよろよろと起き上がりながら、それでも、そこだけはきっぱりと意思表示した。「警察に通報しなくて結構です。個人的な問題ですから」
そう言うと、幾重にも取り囲む人垣を押しのけるようにして、質屋の前の飲み屋街を新橋駅へと歩いて行ってしまった。一言もお礼を言うことはなかった。振り返ることもなかった。
「なんか、聞いたか」
「なんだ」
「今日のお昼ごろ、この新橋で強盗があったらしいって」
「えっ、知らねえぞ」
地下鉄日比谷駅から徒歩3分の距離にある非鉄金属会社販売促進部の名目部長、実質、戦力外権利落ちサラリーマンとなってしまった相川健二は、同期で、同じく戦力外通告を受けた名目だけの池波部長とふたりで会社帰り、いきつけの新橋の居酒屋で一杯ひっかけていた。居酒屋は烏森神社横の路地を行ったところだから、強盗があった質屋とはわずか数十メートルしか離れていない。当然、街で暮らす人間たちの口の端にさんざん上って、夕方になってやっと落ち着いてきたトピックだったのだが、隣町の日比谷の住人たちは知るはずもない。なにせ、窓際も窓際、2週間後の会議資料を作成するのが仕事の相川は、この日一日中することがなくて、ほとんどの時間、ネットサーフィンにいそしんでいた。そのネットサーフィン野郎の耳目に触れなかったのだ。当たり前である。通報していない事件なのだから。
「というわけでさ、中年女性で、タレントのなんて言ったっけなあ、鈴村なんとかだったかなあ、相沢なんとかだったかなあ、河北だったかなあ、似てるってもっぱらのうわさなんだけどね」
「今挙げたの、みんな、AV女優じゃないのか」
「そうか、そうだったか」
50半ば過ぎのおっさんたちにしては、なかなか、情報を中途半端にアップデートできていた。
「つまりは、その清純系AV女優似の女性が質屋から出てきたところをオラオラ系の目出し帽たちにつけ狙われてバックをひったくられたと。おそらく、大金が入っていたんだろう。しかし、頑として警察への通報を拒んだと。こういうことだな」
「こういうことだよ」
「なーる」
なにがなーるなのか、よくわからない。互いに一杯ひっかけているから、そもそも、おつむだってろくすっぽ働いているわけじゃない。
「最近、家族が寝静まって、居間でいそいそとパソコンの蓋開けて、無料エロ動画鑑賞したのが、鈴村みなみだったんだよ」
同期の池波部長が取り上げた強盗話から、相川の好むエロ動画話へと180度変換された瞬間だった。
同じ日の午後のこと。
「お客さん、テレビのお仕事、なさってるんですか」
「うん、まあ、そう。テレビ好き」
「ええ、大好きです」
「どんなの好き」
「バラエティーとか、クイズとか、ドラマとか」
「ドラマ好きなんだ、よかったら、出してあげようか」
「えっ、ホントですか。私が。まったく、演技の経験ありませんけど・・ ほんとに、私でいいんですか」
「いいよ、もちろん。君が望むんだったらね」
場所は、麻布十番の二の橋がベランダから斜め左に見えるワンルームマンションの一室。
窓にはカーテンが引かれて外から中を覗くことはできない。覗かれてはたまらない。なぜなら、そこでは、禁断のマッサージが行われているのであるから。戸越銀座の大衆食堂丸太屋主人が妻に内緒で借りた部屋に、SNSで募集して唯一応募してきたメンエス嬢と初めてのお客。2人だけの空間で、施術の真っ最中だった。
床にそのまま置かれたマットの上に真っ白のシーツが敷かれている。その上に、男はうつぶせになって施術を受けている。ほぼ素っ裸である。申し訳程度に、パンツを履いている。これはおそらく店側が提供したものだろう。しかし、パンツとは言ったって、お尻に喰い込んでしまっているから、ほとんど、宮沢〇えのふんどしと遜色ない。
メンエス嬢はと言えば、上は白のTシャツに、下は黒のミニスカートというか、ボディコンスカートとでも言おうか。男の足元のほうには、どういう風の吹きまわしか、大型の鏡が設置されていた。
「ドラマに興味あるんだ」
男はどうやらドラマを制作しているらしい。「日曜時代劇って、知ってる」
「もちろん知ってます」
日本を代表するドラマと言っていいから、見たことはなくても名前くらいは聞いたことがあるはずだ。「父も母も好きで、私も一緒になって小さいころから見てました」
「そうなんだ、そうなんだ」
まんざらでもないくぐもった声がシーツを通してこだまする。
「それじゃあ、今度は、仰向けになってください」
「ほいきた」
待ってましたとばかりに、男は、目黒のさんまよろしく裏っ返しになった。
メンエス嬢は、男の側面から腿のあたりをマッサージする。
「ドラマの話だけど、よかったら、出てみる」
「日曜時代劇にですか」
「うん、そうだね」
出るといったって、町人Yくらいのものだろう。その他大勢の。やり方が汚い。
「その代わりっていうわけじゃないけど、わかってるよね」
すると、天井を向いて仰向けに横たわっていた男の左手が、同じく左側で仕事中の女性の膝小僧に触れた。
「ちょっと、お客さん、なにするんですか」
当たり前の拒否反応である。
「だいじょぶ、だいじょぶ」
こういう時、必ずといっていいほど男が発する「大丈夫」という言葉は、いったいどんな意味を持っているのだろうか。相手を安心させようとしているのか、それとも、己の悪だくみを完遂させるための誘い水か。おそらくは、後者のような気がしてならないが・・
そんなこんなで押し問答が続いたあげく、
「うちは、そういうお店ではないって、HPでも書かれたあったはずですよ。これ以上なさるなら、ほんとうに、警察に通報しますよ」
視聴者が期待していないのはご本人もテレビ局も十二分に感じ取っているであるはずなのにどういうわけか、過去に未成年に飲酒させて、その後、お勉強はできるから最難関の国家資格を取得してのうのうとコメンテーター面している人物とおなじような、それまでの甘ったるい営業スマイルが、一転して、頭から角を生やした鬼のように目を三角にして若いメンエス嬢が本能むき出しにして吠え掛かってきたものだから、さすがの、甲羅を経たおっさん、おそらくは50代だろうか、やり〇ンテレビマンも、もはやこれまでと諦めたようだ。
「冗談だよ、冗談。そんな、本気になって怒らないでよ」と、なだめにかかり、「ほんとは、君が可愛かったから、お小遣いを余分に、つまりは、チップをあげたかっただけなんだよ。それで、そういうことを言ってしまったんだ」といいつつ、この期に及んで、まだ上目遣いで、メンエス嬢の顔色をうかがっている。札束をちらつかせたら、ひょっとしたら、話が好転するかも、との一縷の望みを託して。でも、すぐに諦めた。三角が変わらなかったからだ。
「店長、こういうことがあったんです。ほんと、やになっちゃいますよね」
メンエス嬢は客を適当に追い出した後、スマホで店長に報告を入れた。
「そりゃあ、大変だったねえ」
「ほんと、男ってやつは、どいつもこいつも、隙あらばですよね」
「ほんと。三国連太郎みたいなやつばっかで、困るよね」
といいつつも、店長は電話口で恐縮していた。数日前、メンエス嬢がやっと応募してきてくれた最初の面接兼講習会のとき、このベテランテレビマンと同じことをしたのだから。だいたい、虫が良すぎるのである。金を払えばなんとかなるという考えが。あさましいのである。店長はなおさらだ。役得で、講習だ、などという名目で、ただでなんとかなる、と考えているのであるから。ふてえやろうである。無料エロ動画の『メンエスもの』に毒されているとしか言いようがない。