アナウンサーの寝取り方
「だ・か・ら、うちはそういうお店じゃないって、何度説明すればわかるんですか。まったくしょうがない方だなあ」
古本屋店主の荒井結弦は、飛び入りの客があまりに物分かりが悪いため、カリカリしていた。
「ですから、ウチは、あくまで、人助けでこの商売を曽祖父の代から、つまりは、江戸の末期から受け継いできたんです。『別れさせ屋』なんて言葉が昭和の時代に流行って、ドラマになったりもしましたよね。ウチは、そんなの、鼻で笑ってましたよ。なにが『別れさせ屋』だって。くだらない。世の中、そんなんじゃ、一向に良くならないじゃないですか。別れさせてどうするってんだ。男と女が好いた惚れたでくっついて、所帯を持ったんだったら、多少の波風あったって、それを耐えしのいでいくのが夫婦ってもんでしょ。だから、ウチは、なにがなんでも、元のさやに収めさせる。そのための瞬間接着剤、アロンアルファーでいたいんです」
ここまで捲し立てると、さすがにのどが渇いたのか、「ちょっと」と断って、あるじは店の奥に引っ込んだ。小学校の教室の半分あるかないかくらいの小さな古本屋である。が、その実、口入れ屋も営んでいたのだ。冷え切った夫婦のなかを取り持つ口入れ屋を。
場所は、JR山手線五反田駅から歩いて3分。いや、2分。いや、気が急いている御仁なら2分切って1分台も出せるかもしれない。それだけ、愛のちからというものはすさまじいものがある。
山手線内側に広がる駅前ロータリー、さらにその北側は男だけの秘密の楽園。その入り口は一本の道があなたを案内する。駅前から五反田有楽街のなかは見通すことが不可能だ。なぜなら、貴殿同様、右へとカーブがかかっているからである。いや、正確に言うならシュートか。カミソリシュートだ、平松の。大洋ホエールズの。蛇足ではあるが拙者は左カーブである。
冷え切った夫婦のなかを元に戻すのはなかなか難しい。いや、ほとんど不可能に近い。しかし、日本広しと言えども、そんな夫婦を元のさやに戻してきたのは、この五反田書店の荒業だけだった。
貴公も気になるであろう。どんな荒業か、なぜ口入れ屋なのか、冷え切った男女の仲を瞬間接着させる方法はなにか。第三の男なのだ。第三の男、最近では、神南テレビと花柳界テレビとで働く気象予報士たちの出来事が世の中を賑わわせ、一躍世の中に他〇棒という言葉が広がった。その他〇棒を紹介するから、口利き屋稼業なのだ。男という生き物は自分の女房、彼女が他の男に寝取られているのを目撃するときが一番燃えるら・し・い。強烈に嫉妬するら・し・い。その嫉妬する気持ち、言うなれば「嫉妬力」。その「嫉妬力」をテコにして、男女の仲をもう一度出会った頃のあのういういしい時代にタイムスリップさせるのだ。それが離婚を食いとどめる唯一の方法であり、一番効き目のあるやり方なのである。
ガラス戸一枚隔てて、数段高くなった奥の畳部屋に引っ込んだ主は、台所の冷蔵庫から冷してあった出枯らしの茶葉を金網の茶漉しごと取り出しては、空になった湯呑にちょいと乗せて、給湯器のお湯を注ぐ。っと、ちょっと待った。そのままじゃ、いけない。コップを2つほど使っては、交互にお湯を冷ましつつ、60度くらいになったかなと見計らってから、そこで初めてお湯を茶葉に注いだ。
最近、いいお茶がなくて、非常に困っているのだ。日本橋老舗デパート抱島屋地下の右翼製茶も85Gで売っている知覧茶の質を下げるし、築地場外の海苔屋丸太屋も、去年の秋あたりから、どうも、グレードを下げたらしい。日本橋と築地を親の代から懇意にしていたというのに、どちらも時の流れなのか、インフレにかこつけてなのか、質を落とした。すぐわかるのだ。常連たちは。毎日飲んでいるのである。わからないほうがどうかしている。仕方なく、静岡の沼津に出向いてたまたま手に入れた茶をここのところ消費していた。しかし、味がない。香りもない。100G2000円以上したのにである。
「ははあ、地方はこういうことをするのか」
あるじは、認識を改めた。
地方に行くから、いいお茶、産直のお茶が買えるーーー>嘘である。
地方なら人間が純朴で正直商売をしている。だから、コスパもいいはずだーーー>嘘である。
逆に売れない分、去年おととしの在庫をはかなきゃならないから、賞味期限のスタンプを書き換えては、日付を先送りしているんじゃなかろうか。証拠はないが、そう文句をつけたくなる。
沼津のその店は、たまたまJR沼津駅に下車したことから始まった。駅に隣接した観光課に立ち寄って、いいお茶を探していると事情を説明したあるじに対し、親切にも地図を引っ張り出して、茶畑の場所を教えてくれた観光課の職員さんたち。バスはそこの乗り場ですよ、時刻表はよかったらコピーどうぞ、せっかくですからウチのお茶どうぞ、などなど。事務局長さんの男性は、わざわざ持参してあった沼津茶を煎れてくださった。しかも二杯も。有難いことがあるものである。やっぱりお茶は静岡に限る、本場に限る、と。なんだそれ。いまのいままでは、お茶は鹿児島に限る。知覧に限る。やっぱり、お茶はあったかいところでとれたほうが、甘いのだ。そう、断然知覧派だったのだが、お茶を二杯ごちそうになり、バスの乗り場まで教えてもらったものだから、ころっとお茶のひいきを180度転換させてしまった。安いものである。
その日は風の強い日だった。違う。沼津はそもそも風が強い。とくに冬は。あるじが出向いたのは、師走に入ったばかりの頃。天気は抜けるような青空の下、お日様もさんさんと降り注ぐ絶好の観光日和だったはずなのだが、いかんせん、風がきつい。それでもなんとかバスに乗って、海側とは反対の内陸側へと移動。東海道新幹線の線路の手前あたりが目的地だった。バス停で下りて、適当にてくてく歩く。新幹線の線路をくぐると、はくさい農家のご夫婦が作業中。
「この辺り、お茶畑があると聞いて、来たのですがどこでしょうか」
60過ぎの白髪頭のおっさんのあるじがのこのこ、仕事中に話かけてきたのだから、うるさい奴だ、と一蹴したって、されたって、おかしくない。しかし、この農家の旦那さんのほうは、親切にも、線路を別の方向に戻ったところに小さいのがあるよ、と指示してくださった。礼を言って、古本屋のあるじは頭を下げ、言われた通り、坂を上りつつ、線路をくぐると、なるほど、あった。きれいに、かまぼこ型に並んだ茶畑が。かまぼこ型になっているのは改良された結果で、こうすることで、お茶摘みが効率的にできるようになったのだ。
茶畑からは沼津市内を一望できる。ちょうど見晴らしのいい高台に位置している。なるほど。こんな日当たりがよければ、浪曲師広沢寅造の『清水次郎長伝』で出てくる通り、♪むすめ、やりたや、お茶摘みに、の文句のとおりだな、と納得するあるじ。
近くには、ビニールハウスも見えてきた。おおっ。こっちのほうが、はるかに規模が大きい。きっと泥棒も出るのだろう。入口には監視カメラも設置されている。外側から覗くだけではあったが、茶畑の雰囲気を味わったあるじは、元来たバス通りまで戻った。すると、さすがは日本一のお茶の産地静岡県だけのことはある。道路沿いにお茶屋「山畠園」ののぼりが出ているではないか。それなら、と一服がてら、お邪魔してみることに。
「ごめんくさい」
いけねっ。こんなところで、他人のギャグを盗用してどうするつもりだ。気を取り直して、
「ごめんください」
引き戸を開けて店内に入ってみた。目の前には、一本の大木から切り出したのだろう、立派な木製のテーブルが出迎えてくれた。右手壁際には同じ材で作ったのであろう、つくりつけの腰掛けが。反対の左手のガラスウインドウ内には、茶葉が入った袋が並んでいる。
「ごめんください」
二度目にやっと人の声が返ってきた。
「いらっしゃいませ」
それはそれは目の覚めるような色白で、顔形はうりざね、つまり卵型、目鼻立ちのはっきりした、お茶摘みの恰好でパンフレットの表紙でも飾りそうな、いかにも男好きする若い女性が姿をあらわしたとおもいねえ。
「あの~、東京から旨いお茶、甘いお茶を探しにやってまいりました荒井と申します」とまず、自己紹介をして、いつもは、日本橋抱島屋というデパートの地下でうんぬんかんぬん、と説明をし始めた。このおっさん、歳は喰ってるようだが、結構純情なのね、と思ったのか、
「それならどうぞ、お座りになって」
席を勧められ、あれよあれよという間に、試飲させてもらうことに。
「そうですか、茶畑をごらんになったんですか。あれは、両方とも、ウチなんです」
なんと。小さなほうも、大きなビニールハウスのほうも、ともに、山畠園の持ち物だったのである。そのうちに、その娘のご母堂様らしき70年配女性、さらには、従業員らしき50年配女性も、おそらく監視もかねて店内に姿を現していた。普段、おんなっけのないあるじは、急に3人の女性に囲まれて、きっと気分が高揚してしまったのだろう。お茶の味もロクに判断つかなくなってしまったようだ。
「うまいっ」
いただいたお茶は、なんでも手摘みらしく、100G3000円以上する。値段にもびっくりしてしまい、上記の雄叫びとなった。
都合3杯、それぞれ異なるグレードをいただいて、鼻くそのようなといっては誠に失礼だが、必ず抹茶についてくる干菓子までいただいて、この上、ただで帰るわけにはいかない。少し見栄を張って、いつも買っているうちの高いほうの100G2000円代のお茶を所望するはめに。
本当は買うつもりなどなかったのだ。が、女性3人に囲まれて、もてなしを受けたからしかたなく・・これも、きっと店側の手だったんだろうな、とあるじは店を出てから頭をよぎる。が、まあ、もういい、実際に、話もしたし、聞いたし、ご馳走になったし。
というわけで、五反田に戻っていざ入れてみると、香もなけりゃ、味も渋くて、実際に飲んだのとは違う。騙された。畜生。後の祭りだ。実際はどうだったのだろう。いや、やっぱり、袋を開けると香りがしなかった。これをメールで問い合わせると、「私たちも、毎日味が違うんです」などと返答が返ってきた。
昔、地方に旅行に行くと、土産物はみな、上げ底で粗悪品ばかりだ、と言われたが、それって、いまでも残っているのかもしれないな。京都だって、東京だって、言うなれば、いちげんさんは軽く見られるのだろうし。
そんなことを思い返して、店内への扉を開けると、にわかに他〇棒として応募してきた男の姿はすでになかった。今回の男は、歳の頃30半ばで、なにやら、ニュースサイトを運営していると言っていた。日本人なのに金髪で、舌ったらずなしゃべりかたがそもそもあるじの気に入らなかった。テレビで以前見たことのある男だった。日曜の午前中、下手な漫才師が司会をしている番組でコメンテーターかなにかで発言していたのではあるまいか。急に世の中に出てきたな、と思ったら、落ちるのも早く、大手新聞の記事をいくつも盗用していたことがばれて、そのうちに消えてしまったと思ったら、ウチに現れるとは。マスコミの奴らはつくづくスケベが多いな、と実感したあるじだった。