『アナウンサーを寝取る法』
もし、貴殿が、
「最近なにかいいことないかな」
そんな現状不満足ぎみなら、少しの間、ご傾聴願いたい。世間には、いろんな趣味・主義・主張が存在する。どこぞの宰相のように、ひとり自室にこもって、プラモデルをつくるもよし。一億円の大貫さんのように、魚釣りに行くもよし。播州人のように自製のコサツ動画を反芻しながら昇天するもまた楽しからずや。
しかし、人生は一回きりである。それなら、おもいっきり、できもしないことにチャレンジすることだって、許されるのではあるまい、か。たとえば、それが、「寝取る」という、人の道に反することであったとしても。
もし、貴殿が、職場内の権力闘争に疲れ、どころかすでに権利落ちとなり、日々やるせなく、己よりみじめな境遇にいるであろうかつての中学高校の部活の友達に、親切ごかし世話焼き風情で年賀状にちょっとそれっぽい文句をしたためて相手の様子をうかがう、などといやらしいことを考えているくらいなら、いっそ、清水の舞台から飛び降りるがごとく、勇気とち〇ぽを奮い立たせて、行動にうつさんことを強くお勧めする。
これからのことはあくまでオス目線である。よって、貴殿がご婦人なら、立場を逆転して、応用してくだされば事は足りる、とお考えいただきたい。
さて、世の中、イイ女はごまんといるのは周知のとおり。テレビCMなどでは、旬のタレントたちが、矯正後の証拠写真かと間違うくらい、これみよがしに口を左右に開いて、本物のゴリラも引くほどの作り笑いを振りまいている。いわゆる「女子アナ」たちも、公共の電波を私的流用して、プロ野球はてはメジャー昇格組、サッカー選手、IT起業家、外資系、大企業御曹司などなど、ありていにいえば、可能性のある未来の夫たち目がけて、今を盛りとフェロモンをぷんぷんまき散らしている。
それはそれですばらしい。明日への未来をつくるエネルギー、国家が永続的に回っていく重要な要素だ。おおいに頑張っていただきたい。
いっぽうで、日々、家庭を持ち、それでも、なおかつ、社会でも働き続ける女性たちも、数多くいる。政府挙げての働き方改革の犠牲にならなければよいが、と、能力も体力も人並み以下の人間としては、気がかりになったりもしたりして。かの映像作家の巨匠・ヘンリー塚本も好んで描く生活疲れした市井の日常の、非日常話・・
相川健二は迷っていた。煩悶していた。あの女性アナウンサー、なんとか、ならないか。あのアナウンサーとは、肌が抜けるように白く、丸い黒目が知的さを際立たせ、顔かたちは瓜実の日本人形、理想的な大和なでしこ、といっていい、どこから眺めても、だれも文句のつけようのない美形アナウンサー、加賀真由美のことである。
加賀アナは御成門テレビに入社してからというもの、地方局をいくつか経験してきたようだ。最近、東京の番組に顔を出すようになった。その前もちょくちょく見かけたことはあったから、きっとすでに東京に勤務していたのか、それとも、臨時で応援体制だったのかもしれない。
御成門テレビはテレビ局のなかでも、つとに社員たちの身持ちが固く、品行方正で有名だった。歴史も古く、日本を背追っているようなところがあり、見る側も、そのチャンネルのときは、背筋をピンと伸ばして、居住まいを正して画面に向き合う、ということを習慣づけている人も結構いたようだ。
画面のこちら側の気持ちを察してか、戦後長いこと、ここのテレビ局の職員はジーパンをはかなかった。正確に言うなら、組織そのものが、ジーパンをはくことを許さなかった。規則として明文化されていたわけではないのだが、それが不文律だった。ご法度だったのだ。だから、世の中が竹の子族だ、その後、リーゼントにジーンズ姿でローラースケートを駆使するローラー族だと若者文化が花開いた80年代においても、まるで時代に抗うかのごとく、御成門テレビの社員たちは、ジーパンを買ったことがなかった。それゆえに、世間では、その浮世離れした潔癖さを重宝がって、よけいに神格化された。
健二は前にもアナウンサーを好きになったことがあった。80年代に一世を風靡した海外畑出身の報道マンがいたのだが、彼のアシスタントについた女性の、その一代前のアシスタントの女性が、好みだった。なんとなく優しそうなおねいさんの雰囲気が少年のこころをゆさぶった。しかし、どうしたわけか、わずか数年で見なくなってしまった。すると、今度は別の女性にバトンタッチされた。なんでも、大学で国際政治学を研究しているという。
時代もちょうどバブルへと急上昇するころだったから、世間的にみれば、バトンタッチしたほうのアシスタント、そのころからキャスターということばが使われるようになったが、あれよあれよという間に、人気女性キャスターとして祭り上げられ、ご当人もバブル真っただ中だったこともあり、最高学府出の弁護士と電撃結婚し、高級住宅地の1DKを借りて生活することになったと、やっかみ半分のマスコミたちはしきりに報じていたものだった。
それ以来だったから、もう30年以上の月日が流れてしまった。
健二はしがないサラリーマン。奥さん一人にこども二人の四人家族。今年、長男が大学受験で、ぴりぴりしている。日比谷の非鉄金属会社の海外営業に勤め、東南アジアへの転勤も都合五年経験し、駐在時はお手伝いさん付きで、まるでなかば王様気分を味わったりもした。が、日本に戻ってくれば、部長でいたのもほんの数年。役職定年を迎え、いまは肩書だけの部長職で、定年までの暇つぶし期間に入ってしまった。まさか自分がこういう年代、こういう状況に陥るとは想像もしなかった。これまでの忙殺人生がうそのような、凪の時代到来である。
凪なら凪の波乗りを楽しめばいいのだが、長年いそがしく、売り上げを目標に切磋琢磨していたものだから、物足りないことこの上ない。ぽっかりとこころに穴が開いてしまった、というのが偽らざる現在の心境だ。なにをするにも億劫になってきた。五十代半ば過ぎだからしかたないのか、二十二,三歳の入社当時なら昼飯後の午後一会議では元気が良すぎて、よく木製の大型の丸テーブルを持ち上げたものだった。ぐらぐらっ、ぐらぐらっ、と現在の自分と同年配の部長課長たちをすわ地震か、と慌てふためかせたものだったのに・・いまとなっては、まことに隔世の感がある。
健二は最近すっかりごぶさただった。ゆえにか、たまには刺激でもあったほうがいいだろうという医学的な動機から、家族が寝静まった後、いそいそと居間のテーブルにノートパソコンを持ち込んではエロ動画を覗き見したりしていた。FC3を始めとしたコサツ動画の存在を知ってもいた。個々人が秋葉原あたりに機器を買いに行って、スケベな男どもは副業でSNSを使って女の子を募集し、動画を見よう見まねで作成し、ネットで販売しては、本業以上の利益を上げている輩もいる、というニュースくらいは耳にしていた。健二も何度も誘惑に駆られた。おれもやりたい。おれもコサツ動画作りたい。人生一度しかないんだ。そういうファンタジーの世界を構築したっていいじゃないか。何度となく夢想した。
「よし、やってやる」
ある時、寝床でそう、うなったらしい。朝起きると、妻から、「パパ、昨日、うなされてたわよ。大丈夫?」と気遣われた。
「う、ううん」
それ以上、余計なことを口走らなかっただろうか。コサツだ、FC3だ、鈴村みなみだ、と固有名詞を出さなかったろうか。むしろ、そっちのほうが心配だった健二なのだ。
朝、地下鉄で日比谷駅まで出て、駅から地下道でわずかに3分で会社に到着。仕事といった仕事は次の会議までに資料を作成すること。その会議だって、販売促進とは名ばかりの、名目だけの会議だ。すると、どうしたって、パソコンでネット検索などに沼ってしまう。
「このアナウンサー、歳の頃、おそらく30代半ばに突入しているのか。画面から見る感じだと、指輪はしていなさそうだ」
販売促進部で最年配の窓際男を叱る課員などいない。それをいいことに、職場のパソコンで、御成門テレビのホームページをチェックする。すると、ご丁寧に、アナウンサーの紹介ページができあがっていて、経歴も出ていた。
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名前 加賀真由美
出身 青森県
趣味 山登り、ハイキング
一口コメント 最近、ひさしぶりに尾根を歩いて、リフレッシュしてきました。やっぱり、自然に抱かれると、マイナスイオンが出ているせいか、アスファルトのコンクリートジャングルのなかでの運動とは、一味も二味も異なりますね。
そんなことが書かれていた。これだけ読んだかぎり、なんだか、独身なのかもしれないな、といいように想像してみた。山ガールということばが世間に登場して久しい。あれは、男いない女たちが、これと言った趣味がないがため、山を男に見立てて果敢にアタックする、という意味合いも含まれていた。はずだ。となれば、そうだ、やっぱり、この御成門テレビの女性アナウンサー、独身なんだ。そう、50半ばすぎの、戦力外サラリーマンはあたりをつけた。