2.ゲームスタート
ピロリーン
聞き慣れた音と共に、目の前に小さな画面が表示される。
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ゲームをスタートします。性別を入力して下さい。
男性/女性
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悩みながらも、由利子は女性を選んだ。
指で指し示さなくても、考えるだけで選択できた。
いつもなら彼女は男性キャラを選択する。このゲームでもそうだった。しかし、上手く行っていない自覚はある。
自分の命がかかっているなら、少しでも自分がシンクロしやすいキャラにすべきだろう。
それに、トイレや風呂の事を考えると、恥ずかしくて選択できなかった。
ピロリーン
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主人公の名前を入力して下さい。
入力は音声入力できます。
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入力欄でカーソルが点滅している。音声入力しろってことね。
「ユーリ」
名前はいつもと同じ。男性でも女性でも通る名前。
画面に名前が表示され、一瞬目の前が真っ白になった。
周りの景色が戻ってきたので、立ち上がる。
ゲーム通りなら、ここにいつまでもは居られない。追っ手が近づいているからだ。
小さなクローゼットを開ければ、小型の剣と、薬草袋があった。
机の引き出しには、少しばかりのお金が入った皮財布。
ユーリの体は由利子が15歳の頃より、ずっと細い。この一ヶ月の逃亡生活で、ろくに食べるものもなかったせいだ。
垢染みた布の服、それだけが彼女の防具。
ゲームスタートなんてそんなもんだと思っていたが、現実になってみれば、どれほど心細いことか。
最初の武器が木の剣や棍棒でなく、短いなりにも鉄の剣な事に驚いていたが、これぐらいはないと、全く生き延びられない。
勇者になる前に死ぬしかない。
ユーリは剣を腰に差し、小さなリュックに薬草と財布を入れて立ち上がった。
小屋を出たところで、樽の影に身を隠す。
ピロリーン
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イベントクエスト発生
ならず者を閉じ込めろ
報酬:馬、普通の弓、100ゴールド、ラッキー値10
クエストを受けますか?
はい/いいえ
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もちろん【はい】だ。これから先の旅、馬が居るのと居ないのとでは大きく変わる。
ユーリは樽の足元に落ちている大きな鉄の釘を握り締めて、はいを選択した。
間もなく小屋の正面方向から、荷馬車が一台やってきた。
馭者台に座っているのは、人相の悪い男。それと、2頭の馬に乗った、これも柄の悪そうな男達。
男達は小屋に着くと、酒瓶を抱えて小屋に入っていった。
荷馬車の中から人のうめき声が聞こえるが、ユーリは動かない。
ここで直ぐに動くと、男達に見つかって殺されてしまうからだ。
しばらく待てば、男達が酒盛りをしている声が聞こえてくる。
あと少し。もう少し。
男達の声が呂律が回らなくなってきた。ユーリはそっと扉に近づくと、扉の取っ手と扉横の金具に引っ掛けるように鉄の釘を差し込んだ。
そして、足音を忍ばせたまま、荷馬車に近づく。
荷馬車の荷台には商人とその使用人が3人。護衛と思われる男達は、既になくなっている。
ユーリは目のあった商人に、唇の前に人差し指を立てて、静かにするよう指示を出した。商人が黙って頷いたのを確認して、近寄り、剣を抜いて縄を切る。使用人の縄を切ってから、小声で商人に話しかけた。
「荷馬車を動かせますか?」
「はい。私が動かせます。」
商人と一緒に馬が繋いである木の下に行き、荷馬車を引く馬を連れて戻る。荷馬車に馬を繋ぐのを商人に任せ、ユーリはもう一頭の馬を連れに戻り、もう一頭も紐を切って、自由にさせる。
荷馬車の馭者台に座る商人と、頷き合い、一気に駆け出した。
後ろで、扉を開けようとする音がするが、直ぐには開かない筈だ。
それに、追いかける足も無い。
ユーリは必死に馬を駆りながら、今更ながら、馬に乗れる事に驚いた。由利子は馬なんて乗ったことが無い。ユーリはやはりこのゲームの登場人物なのだと感じた。
近くの町まで辿り着いた時には、ユーリはもう倒れそうになっていた。
設定通りなら、もう二日も食べていない。あの小屋に着いたのは偶然だった。
「助けて頂き、ありがとうございました。」
「……いいえ。」
「ささやかですが、こちらを受け取って下さい。」
商人がゴールドが入った皮袋を差し出した。
本当ならば、命の恩人なのに、ユーリの身なりが余りにも酷いので、軽く思われたのだ。
でも、この商人との出会いは必要で、後々に効果がある。出来れば友好な関係を築きたい。
「ありがとうございます。」
「あぁ、それから、あいつらの持ち物でしょうが、荷馬車の中にこれが落ちていました。よろしければお持ち下さい。」
渡されたのは弓。これも必要なアイテムだ。
「助かります。ありがとうございます。」
ユーリは頭を下げて、商人に背を向けた。
「お待ちください。よろしければ、私共と食事を一緒にいかがでしょうか?」
思わず笑みが溢れる。
「良いのですか?」
「はい。こちらへどうぞ。」
商人に食事を奢られるのは初めてだ。そう言えば、弓を受け取った時に礼を言ったのも初めてだった。謝礼金の低さに、黙って弓を受け取っていた。