0話 法術大戦 #コード・ウォー
この世界に、魔法は存在しない。
昔はあったのだが、今はもう無い。
人間の邪悪な心が、魔法を悪事に使わせた。
魔法によって人は殺され、略奪され、犯され、全てが奪われた。
怒った神は人間から魔法を取り上げ、永遠の楔に繋いでしまう。
それが法石。
人類に埋め込まれた、人をこの世の理へと縛り付ける鎖。
ルルスはそんな神話を思い出した。
「頭領」
低く野太い声で呼ばれて、ルルスは振り返る。
狭い石造りの室内に、十数人の男女が跪いていた。
彼らの衣服の開かれた胸元には、美しい法石たちがそれぞれの色で煌めいている。
彼らから視線を上げると、背後の壁には奇妙な紋章が掲げられているのが見えた。
大きな歯車によって囲われた一つの目。
その目を遮らぬようにして交差された筆と槌。
秘密結社『工房』の起源を示す、歯車と筆と槌の紋章。
「ルルス様、ここは我らで食い止めます」
集団の中央で跪く男が、顔を上げずにそう言った。
「法国は滅ぶやもしれませぬが、頭領さえお逃げくだされば」
「ルルス様さえ御健在ならば、『工房』はまだ戦えます」
「我らには構わず! どうか国外へと退避されてください……黄金卿!」
跪く男女が口々に進言した。
その口調には、並々ならぬ決死の思いが込められている。
そんな彼らの申し出を、ルルスはその一身に受けていた。
「…………」
壮齢の大人たちが崇拝して仰ぎ見るには、まだ若すぎる青年だ。
小柄な背格好に、華奢で細身の身体。
実年齢よりもずっと幼く見える童顔。
ボサリとして目元まで伸ばされた、アッシュグレーの髪。
それがルルスだった。
ルルスは彼らの申し出には答えずに、再び振り返る。
真夜中だというのに、今宵は真夏の正午のように明るい。
この法都の夜空に、もう一つの太陽が燦然として輝いているからだ。
闇夜の下で、ずくずくとした赤黒い液体を垂らしながら、輝き続ける巨大な太陽。
それが発するあまりの熱に、法都の荘厳な建造物は背の高い物から順に溶け始めている。
街路の木々が自然発火し、木造の建物は次々に燃え、世界の全てが赤く染まろうとしている。
そんな地獄絵図の中で、ただ一つだけ燃えずにそびえ立つ泥造りの巨塔。
その頂点に立つ、漆黒の人影。
ルルスはそこから向けられている、邪悪な視線を感じていた。
「神が人から、魔法を取り上げたのも……納得だな」
彼はふと、そう呟く。
法石によって、物理法則の楔に繋がれた人類。
その法則の抜け道を突いて生み出された、魔法に代わる技術……法術。
それがついに、このような惨事を引き起こすとは。
「バリントンはどこにいる」
ルルスが不意に、そう尋ねた。
ややしばらく間を置いて、跪く部下達の一人が、言いにくそうに声を返す。
「頭領、申し上げにくいのですが……」
「言え」
「副官バリントンは……すでに、逃げました」
「逃げた?」
予想外の返答に、ルルスは再び振り返った。
「バリントンが……逃げたというのか?」
「その通りでございます」
「なぜ?」
「太陽皇の法術に恐れをなし……恐怖のあまりに錯乱し、逃走したと」
それを聞いて、ルルスはいささか動揺した。
しかしそれを表情には出さぬようにして、代わりに深いため息をつく。
「まあ……仕方がない」
そう言いつつも、ルルスは憤りと悲しみを押し殺すようにして、その唇を噛んだ。
バリントン……どうして逃げてしまった。
ルルスほどでは無いにしろ、法術の才覚に溢れた青年だった。
まるで弟のように可愛がり、すべてを教え、常に自分の傍においてやったのに。
今この場に居てくれれば、次期頭領の座を約束してやったのに……。
「頭領、どうかお逃げください」
「太陽皇にあれほど戦況を握られては、ルルス様といえど……」
「いいや、お前たちが逃げるのだ」
部下の進言に割って入り、ルルスはピシャリと言い放つ。
「……僕が直接往く。ここで奴を仕留める」
「しかし、ルルス様!」
「貴方を失うことになれば、我々は!」
縋りつこうとする者たちの手から逃れるようにして、ルルスは歩みだした。
開かれた大窓から外へと乗り出し、遠く眼下に見える地上との遥かな距離など気にもせず、平然として宙へ歩を進める。
空中へと踏み出された靴底が空をからぶる前に、黄金に輝く金属片が伸び、彼の足元を支えた。
ルルスが歩くのと同じ速度で、空中に金属の橋が形成されていく。
「さあ、戦ろうじゃないか……ジャドー」
夜空に輝く巨大な太陽の下。
その直下に佇む人影に向かって、ルルスはそう言った。
後の歴史家から、「法術大戦」と呼ばれることになるこの戦争。
『工房』と『教会』という二大結社が全面衝突した結果、四つの国が消滅することになった歴史的大戦。
この大戦は……当時の両結社の頂点であった、
歴史上最高の法術士と称される、『工房』の頭領『黄金卿ルルス』と、
歴史上最悪の法術士と称される、『教会』の皇帝『太陽皇ジャドー』。
二人の頂上決戦と、その末の両者の死によって、終結したのだった。
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