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4/4

ー4ー

「一度、来たかったのよね」


「ええ? そんな特別な店じゃないだろ」


 食券で注文するラーメン店。日中はサラリーマンで混み、夜は飲んだ後の男性客が大半を占める。

 特に美味い店じゃないが、コッテリした濃い目の味はシメの一杯には丁度いい。


「あら、これでも兼業主婦なんだから。なかなか外食する機会はないのよ?」


 2人分の食券をカウンターに置き、プラスチックのグラスに水を注いで持って来る。慣れない彼女は、物珍しげに店内をあちこち眺めている。そんな様子が、新鮮に感じた。


「そうか。そうだよな」


 考えてみれば、2人切りで外食なんて……最後はいつだったろう?


「ねぇ。来週の火曜日のことなんだけど」


 水を含んだ後、彼女が思い出したように口を開いた。ドキリとしつつ、横顔を盗み見る。


「うん。ごめん」


「もういいのよ。姉に頼んだから」


「そうか……」


 怒っていないのは、僕に期待していないことの表れか。そう思うと、ちょっと寂しい気もする。


「出張の時、お土産、買ってきてくれる? 姉にお礼しなくちゃ」


「ああ。そうだな。うん……気を遣わせてごめんな」


「いいのよ」


 奥サンの声は、穏やかだった。


「はい、正油お待ち!」


 沈黙を蹴散らす威勢のいい声と共に、カウンターの上に2つ、湯気の立ち上る丼が並ぶ。『安い』と併せて『早い』のも、サラリーマン御用達の必須条件だ。


「どうぞ」


「ありがとう」


 彼女の前に丼を下ろす。自分の分も下ろして、揃って箸を割る。


「コショウは?」


「ええ、ありがとう」


 銀の缶に手を伸ばし、彼女に渡す。


「いただきます」


「いただきます」


 並んで、同じラーメンを啜る。背脂の浮いた、茶色のスープ。やっぱりコッテリ、味が濃い。たっぷりのネギ、半熟の煮玉子、コリコリのシナチク、厚くて柔らかいチャーシュー。次々と、無言で腹に収めていく。黙々と、一杯のラーメンに夢中になっている。


 彼女と同じ目的を過ごす、こんな時間――僕は忘れていた。


ー*ー*ー*ー


「美味しかったわぁ」


「うん。美味かった」


 満足気な奥サンの笑顔に、僕も釣られて頬が弛む。


 店を出て、駐車場をゆっくり歩く。それでも奥サンの赤いミニバンには、あと数歩で着いてしまう距離だ。


「なぁ、久実子(くみこ)


「――え」


 僕が改めて名前を呼んだので、奥サン――久実子は、酷く驚いた顔を向けた。


「これからも、たまには2人だけで出掛けないか? その……食事とか」


 思い切って、口に出す。妙な緊張感。初めてデートに誘った、青二才の頃を思い出す。


「あなた」


「駄目、かな」


「あなた、酔ってるわね」


 探るような眼差しは、気恥ずかしさを隠すためのもの――多分。


「まぁ、うん。でも、酔っ払いの戯れ言じゃないぞ」


「ふふ。そうねぇ」


 分かったつもりになっていた僕は、怠慢だった。


 20年共に暮らしてきた彼女について、知らなかったことが、まだまだ沢山あるのに。例えば、今、僕を見上げている、微笑みに似た戸惑い顔も。


「ほら、乗って。帰りましょ」


 久実子は、僕の腕に軽く触れて、車の鍵を解除した。


ー*ー*ー*ー


「ところで、あの弁当なんだけどな……」


 家に着く前に、僕はどうしても真意を聞いておきたかった。


「弁当?」


「イチゴ味のゼリーのさ……」


「ゼリー? 何それ」


 久実子は、きょとんと訊き返す。シラを切っているようには見えない。


 僕は観念して説明した。


「やだ、それ、来実だわ。ボーイフレンドに作る前に、パパで試すって言ってたもの」


 運転席の大笑いを横目に、思わず項垂れた。


「僕は実験台かよ」


 だから、あの夜、娘はリビングに居たのだ。僕の反応を――観察するために。


「ボーイフレンドなんて聞いてないぞ」


「あらあら」


 むくれる僕を宥める彼女は、またしても僕の知らなかった――娘の味方をする母親の、とても幸せそうな顔になった。


【了】


拙作をご高覧いただき、ありがとうございます。



さて。

「食べる」というテーマでしが、何かを食べる行為そのものを書くのか、食べる行為までの紆余曲折を書くのか……?

 迷った末、いつも当たり前のように「食べて」きた弁当の中身の異変(笑)に始まる、夫婦関係のちょっとした変化の話になりました。


口論とまではいかずとも、嫌なモヤモヤを引きずった翌日、皮肉めいたピンクのゼリー弁当。

このちっちゃな波乱は、職場の若手、間千田クンのKY気味のアドバイスを生み、主人公の気持ちにも小波を掻き立てます。


「パートナー」という便利な呼称の元、互いの存在がマンネリ化したベテラン夫婦。

不満があっても、大喧嘩して改善を図る時間や労力をかけるくらいなら、自分で何とか解決してしまった方が、ラクと割り切れてしまう。


『妻でも女性。幾つになっても、女性として扱って欲しい』

口には出さないし、もしかすると自分自身、そんな感覚さえ忘れてしまっていた。


一緒にチープなラーメンを「食べる」――それだけのことですが、主人公は夫婦で体験を共有することの意味に気付きます。そして、間千田クンの言葉に、少し背中を押されたりします。


熟年離婚が流行語になって久しいですが、仕事や子育てが終わってからの時間が長くなっている現代。もう一度、互いの存在を含めて、関係を見直すことが大切だと言われています。



事の発端となったゼリー弁当の真相は、ご愛嬌。


あとがきまでお付き合いいただき、ありがとうございます。


また、別のお話でご縁がありましたら、よろしくお願いします。


砂たこ 拝

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