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ー3ー

 ゼリー弁当の後、奥サンとはロクに顔を合わすことのないまま、週末になった。土曜日も当然のように、彼女は学校に行った。


「課長、帰りに一杯行きませんか」


 昼休み、コンビニ弁当をつついていると、会荏田クンが誘ってきた。


「うーん、そうだなぁ」


 普段なら、すんなり賛成するのだが、奥サンが忙しい時に飲んで帰るというのは、ちょっと後ろめたい。しかし、部署内の飲みニケーションも必要な訳で。


「課長。まだ奥サン怒ってるんですか」


「え?」


「こら、将っ!」


「だって、あれからずっと弁当が」


「馬鹿、今聞くなよ!」


 どうやら部下達は、僕の夫婦関係を危惧してくれていたらしい。

 苦笑いしながら、返事を少し待ってもらって、奥サンにメールした。


『今夜も遅いのか?』


『そうね。雑務が溜まってるから』


 デスクワーク中なのか、程なく返信が届いた。読み終わる前に、更にもう1通、追いかけてきた。


『お付き合いなら、遠慮しないで、どうぞ』


 鋭い。いや、当然か。彼女とは20年近く生活を共にしてきたのだ。互いの繁忙期や勤務状況、交遊関係も、分かり切っている。


「会荏田クン」


 片手でOKの丸を作ると、彼はホッとしたように笑顔を見せた。

 部下に気を遣わせちゃ、駄目だなぁ。やれやれと嘆息して、メールアプリを閉じた。


 その夜――。


 大衆居酒屋の片隅で、焼き鳥を片手にビールで疲れを癒す。


「……という訳で、ケンカじゃないんだよ」


「学校の先生って、大変なんですねぇ」


 乾杯の後、サッサと誤解を解くと、朱里チャンが眉を下げた。


「将来、君達の子どもが学校に通うようになったら、担任の先生を労ってやってくれよ」


「やだなぁ、俺ら、まだ独自ですよ」


 会荏田クンがカラカラと笑う。


「でも……俺なら、心配です」


 ポツリ、間千田クンが暗い顔で俯いた。


「心配?」


「健康とか……浮気とか」


「うわ……?!」


 思わず噎せた。会荏田クンが慌てる。


「将っ、お前!」


「あ、いや、いいよ、会荏田クン」


 健康の心配は賛同するが、浮気――思わぬジャブに面食らった。


「すみません、でも、面倒見てる後輩が異性だったら、俺なら心配で」


「馬鹿、お前、もう黙れ!」


「だって、奥さんだって女性でしょう?」


 空気を読まない間千田クンは、引かなかった。彼の正面の朱里チャンまで、軽くひきつっている。


「課長、すみません! コイツ、この前、彼女に浮気されたばっかで」


「そうか。いや、気にしなくていいよ」


 なぁんだ、という同情めいた眼差しと同時に、張り詰めた空気が弛む。間千田クンだけが、眉根を歪めている。


「僕の奥サンは、もうオバサンだし、浮気は……ないなぁ」


 そんな彼の肩をポンポンと軽く叩いて、軽やかに笑って見せる。酒席での笑い話にして、後に引きずらないようにせねば。


「奥様のこと、信頼されてるんですねぇ。素敵ぃ」


 朱里チャンがウットリ微笑む。背中が、ちょっとムズ痒い。


「信頼? うーん、長く家族やってると、仲間みたいなもんだからなぁ」


 小さな不満はあっても、こんなものだと分かっているから、相手に殊更期待しない。若い頃は、理想を重ね、期待を押し付け、思い描いた姿とズレると、裏切られたと勝手に落胆したものだ。

 凡そ、20年。数多の落胆と理想の修正を繰り返して、漸く相手の等身大を受容出来るようになった。それは奥サン(あちら)も同じだろう。


「あたしも、そんな関係になれるダンナ様が欲しいなぁ」


「そんな羨んでもらえるモノでもないよ」


 照れ笑いで、この話題をお開きにした。然り気無くテレビドラマの話題を振ると、他愛なく盛り上がった。


「間千田クン、心配してくれて、ありがとうな」


 居酒屋を出て、皆で最寄り駅まで移動する途中、僕はこっそりフォローした。


「あ……いえ、さっきは失礼しました」


 酔いが回ると大人しくなる性質(たち)なのか、彼は赤い顔で素直に頭を下げた。


「いいんだよ。忠告、肝に命じておくよ」


 確かに、奥サンの健康に対して、僕は無頓着だったかもしれない。彼の指摘は、反省のきっかけになった。

 ところが、彼は足を止めると、僕をジッと見詰めた。


「間千田クン?」


「俺の彼女、大学から付き合って、もう7年目でした。アイツのこと、分かってるつもりで、すっかり安心して……俺、全然分かってなかったんです」


 彼は、苦し気に吐露した。心から悔いている――それが伝わったから、僕も真摯に受け止めた。


「そうか」


「別れ際に『長く一緒にいても、ちゃんと女性として見て欲しかった』って言われて、俺、ショックでした。だから」


「うん。ありがとうな、間千田クン」


 僕は、もう一度、彼の肩をポンポンと叩いた。失恋を慰めるためでも、その場を治めるためでもない。

 20代の彼らの恋人関係と、40代の僕達の夫婦関係は違うかもしれない。でも、僕も彼同様、奥サン(パートナー)のことを『分かった』つもりになっていた。

 本当は――何も分かってなんかいないんじゃないのか。

 あの赤いハートのゼリー弁当に込められた真意すら、未だに測りかねているのだから。


「さ。帰ろう」


 彼の気持ちを受け止めたことが伝わったのだろう。安堵した瞳が頷いた。


 部下達と別れて電車に乗ると、僕はスマホを取り出した。


『お疲れ様。今、どこだ? まだ学校?』


『これから帰るところ。あなたは?』


 あれからずっとデスクワークだったのか、返信が早い。時間を確認してドキリとした。もうすぐ22時じゃないか。


『帰りの電車の中だ。君、晩メシは?』


『まだよ』


『何か買って行こうか?』

 テンポよく交されたキャッチボールが、やや遅れる。


『あなた、酔ってる?』


『うん、少し』


 罪悪感を指に乗せて、タップする。


『じゃ、駅の西口にいて頂戴』


『いいよ、1人で帰れる』


 思いがけない文面に驚いて、反射的に打ったメールを――削除した。思惑は分からないが、彼女の厚意に素直に従おう。


『分かった。ありがとう』


 打ち直したメールを送り、しばらく待って返信が途絶えたことを確認してから、スマホを仕舞った。


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