前編
ピリカラーな彼氏
天川さく
夢かと思った。
そりゃ同じ大学なのは知っていたし、というか彼がいるからこの大学を受験したんだし。合格したときは号泣したほどで。
そこからの──1年半。
わかってる。
私が馬鹿だってこと。
馬鹿じゃなければ、彼の連絡先を聞き忘れたりしないし。
高校に問い合わせる度胸はもちろんなくて、だから学内で必死で彼の姿を捜したんだけど、見つからなくて。
いやもう本当になんで? 同じ総合理系枠でしょ? 選択科目だって必修だって、同じ科目が多いはずでしょっ。
ひょっとして留学とか? 道大にいないとか? そんなマヌケなことがあるとか?
はああ、もういいわー、つかれたわー。
ヤケクソになった私は工学部学食で冷やしピリカを食べていた。
道大の名物冷やしピリカラーメン。
モヤシとニラとネギがトッピングされているシャリシャリとした食感のピリ辛系冷やしラーメンである。
それにたっぷりと酢とラー油をまわしかけて、一味唐辛子も少々かけて。つまり男子学生のように冷やしピリカをいただいていた。サイズも正統の中。このような食し方をする人種は世にいう『ピリカラー』というやつである。
そのとき、彼が視界を横切った。
幻覚かなって思った。
あんなに捜していたときには見つからなくて、どうしてここで? 教養課程の学生向けの北部学食じゃなくて、どうして工学部学食?
私? 私は……だって、十月も下旬になったらもうここでしか冷やしピリカをやっていないし。
ああでも。私に気づくって保障もないのか。
高校のときはろくに話をしなかったし。それに私、大学に入って結構がんばって身だしなみ整えてきたし。それもこれも彼──啓太にいつ会っても大丈夫なようにって。
つまり。
こういうときに備えて毎朝がんばってお化粧してきたんですけどっ。
……ははは。くうう。挨拶したい。だけど、お願い。いまは、この冷やしピリカをガツいている最中の私には、気づかないでください。
けれど。
トレイを手に持ったまま啓太が私の前で立ちどまる。
「あれ? えっと……ひょっとして留奈?」
わあ……。カミサマっているのかな。殴りたいな。
「うわ──お前、化けたね」
「それが女子にいう言葉?」
「だってお前、高校んときは寝癖ついた髪とかしてたっしょや」
それに、と続ける啓太の冷やしピリカの器へ、私は思わず酢をまわしかけた。
「おま、なにすんの」
「お酢は身体にいいわよ」
「ぼくは入れない派だ。はああ、まあいいや」
いいつつ啓太は私の目の前の席に座った。「留奈、ラー油と一味も取って」と手をのばしてくる。どうやらここでランチにするつもりらしく。
ちょっと待って? 本気で?
私は思わず冷やしピリカの最後の一本を味わうこともなくすすり込んだ。
そりゃずっと会いたかったけど。こんなに近くで、しかも一緒にランチできるなんて、自分から声をかけても誘えたかどうか。
そうだ。これはチャンス。
啓太と素敵なおしゃべりをしなくちゃ。このままだと冷やしピリカの話で終わっちゃう。啓太と話したいことはたっぷりあって。
えっとえっと、と私が焦っていると、啓太が、ふふっ、と笑った。
「いやさすがにここでお前に会うとかさ。ないでしょ」
「どういう意味よ」
「だって冷やしピリカ、今日のこの学食がシーズンラストっしょ。お前、どんだけプロの冷やしピリカラーなの」
「そういう啓太もでしょ」
「呼び捨てかよ。ぼくも呼び捨てにしたけど」
なおも、ふふっ、と笑いつつ啓太は冷やしピリカをすすった。ラー油で啓太の唇が濡れる。
不思議。ほかの男子ならただ脂ぎって汚らしく見えるのに。啓太の唇にラー油がつくと、そのふっくらとした唇がさらにツヤツヤとして見えて。柔らかそうでジューシーそうで。
ダメだダメだ、と拳をにぎる。
これじゃあ、ただの変態だ。正気をたもたなくちゃ。だけど。
伏せた啓太のまつ毛がゆっくりと揺れて、頬に汁が小さくはねて、それを指先でぬぐうしぐさ。そのどれをとっても──。
私はするりと啓太の横に席をうつる。ん? と顔を向けた啓太の唇を凝視する。
こらえきれずに啓太の頬に指をそえて、それからそのままその唇にしっかりと唇を重ねた。
ふわりとラー油のにおいが口に広がる。それがまたたまらなくて。唇の柔らかさも想像以上で。
啓太が私の肩を両手で触れた。そしてゆっくり、押し戻す。




