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【コーヒーミル】  作者: 藤村綾
9/21

 ナキムシ

 ホットカフェラテは最初はホットだからもちろん熱いけれど ーたまにやけどするくらいー あたりまえだけれどもじょじょにぬるくてまずくなってくる。コーヒーの苦味が溢れでてミルク独特の匂いで胸焼けをする。コーヒーは嫌い。牛乳も嫌い。豆乳も。けれど、コーヒー牛乳は好き。変なの、それ。なおちゃんはそれを知った時、ほとんどあきれていた。

 それでも一緒に熱々のコーヒー、あるいは、カフェラテを啜っている時間が好きだ。いや、なおちゃんは『好きだった』といいなおした方が正解かもしれない。

 熱々の時期が終わり穏和な時間も終わり今はなんとなく全てが終わったよう感じる。


「どうして」

 あきらかにあたしの声はうわずっていた。なんで、どうして。その単語をいくどか繰り返したのち、なおちゃんはやっとのことで重たい口を開いた。

「ひとりになりたいんだ」

 最初聞いた時意味がよくわからなかった。あたしは黙っていた。長い沈黙を破ったのはなおちゃんだった。

「嫌いになったわけじゃないし、他に好きな女ができたわけでもない」

 けど、そこまでいって言葉を切った。いつも軽そうに持っている缶ビールの缶がバーベルのよう(10キロの)におもたそうに見える。

「つかれたんだよ」

 ため息をついてつかれたんだよ、と心もとない声でつぶやいた。

 やや、ややや、長考したのちやっぱりあたしの口からは

「どうして」

 アホの一つ覚えじゃないけれどその四文字しか出てこなかった。

「どうしたらいいの? 顔を見ないでおけばいいの? あたしがじゃあシネばいいの? なおちゃんは」

 なおちゃんはぁ、のあたりからはもう声が震えて涙声になっていた。

「やだぁ、やだぁ、もう、そんなこと、ヒッ、ヒッ、」

 泣きすぎて声がでないことが幼いころよくあった。息を吸えないくらいのかなしみの中の絶望。子どもの時の方がもっと上手に泣けていた気がする。大人になるにつれ泣き方さえも忘却する。無意識に。

 なおちゃんはさっきから黙っている。細い目をさらに細めて。

 いつからこの人はあたしの方に熱を感じなくなったのだろう。情熱は年月とともに残酷に覚めて行く。立ち上った炎はいつか灰になり塵になり部屋の隅に溜まってゆく。掃除をすればいいの? 訊こうとしたけれどやめた。

 あたしはなおちゃんの背後に回って首に腕をまわした。首に舌を這わす。

「わ、くすぐったい」

 首がダメななおちゃんは、コラッ、とあたしの顔を必死で手で剥がす。それでもあたしは必死で抱きしめる。

「やだぁ。好きなの。離れたくないよ」

 声は子どもの頃の声になっていた。お母さん、離れたくないよ、と。嫌な過去が顔を出す。

 わーん、わーん。

 嘘泣きのようにけれど大粒の涙を流して泣いた。

 えっ? 急に目の前が真っ暗になり温かく慣れ親しんだ匂いにふわんと包まれる。

「……、ご、ごめん」

 顔を上げる。そこになおちゃんの顔がある。

「泣かないで。困るよ」

 さらに力を強めてあたしをギュッと抱きしめた。困るよ。困るって泣いていることに。わがままなことに。浮かんだ言葉には全てがクエスチョンマークが飛び交っている。

「わかった。泣かないから。困らせないから」

「うん」

 もう暖房は灯してはいない。ただそこにあるのは人間と人間が抱き合って発する熱だけでそれでいて情熱だけ。片方だけの情熱。

 一緒に住んでいればなにかいさかいなどは多々あるし、またゴルフなの? だとか、歯医者行ったの? とか、もう、酒飲まないで、とか。

 そういうお小言が嫌だとなおちゃんはくぐもった声で教えてくれた。良かれと思っていっていたお小言を。

「あのさ、」

 泣き止んだ顔を上げてなおちゃんの頬に手をあてる。

「なにふぃ?」(なに?)

「桜もう散ったよ」

 最近すれ違いで桜のことなどちっとも眼中になく気がつけばすでに散っていた。

「そっか」

 うん、あたしはうなずく。時計は午後の10時を指している。

「桜のシャワーを浴びる?」

「いいえ」

 あたしは目をこすりながら即答した。

 桜の雨の中、なおちゃんと一緒に歩いたらきっとまた泣いてしまう。もう泣きたくはない。

 永遠に続く炎はないの? なおちゃん。

「なに?」

 ううん、あたしは首をすくめる。永遠なんてないってことは知ってるの。

 けれど、それは今であって欲しくないの。

「眠たいの」

 あたしはいいながらまたなおちゃんの胸の中におさまる。もう涙は出てはいない。窓の外には細い目みたいななおちゃんの目のような月は線みたいに浮いている。

 

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