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【コーヒーミル】  作者: 藤村綾
7/21

 ナミコチャン

【ガチャガチャ】

 鍵の開く音がして、あたしはパソコンから目を離し、玄関の方に目を向けた。ユーチューブで相撲をみていた。時計を見上げる。午後4時15分。

 頭が痛くてぇー。午後から急に雲がたれこめてきて青い空をグレーに染めた。なので、頭が痛くてぇー、と、あたかも怠そうに、事務室にいるサトウさんに、こほん、こほん、と、わざとらしい咳をたずさえていいにいった。はやびけ、かしら? 

 サトウさんははやびきをはやびけという。そうしてあたしは午後から『はやびけ』をした。


 まさかなおちゃんが帰ってきたのかしら? まさかねぇ? 

 あたしはひとりごちながらおそるおそる立ち上がり玄関に向かった。

 確かに鍵があいている。

 閉めたはずなのに。あれ? おかしいな? と、思いつつ

 扉に手をかけ、玄関のドアを開ける。

 心地のいい風があたしの頬をゆるりとなぜ、するりと部屋に入っていく。玄関の右側に小動物のよう女の子が突っ立っていた。

 中学生にも見えるが小学生の高学年にも見える。小柄でぽちゃとしているが、容貌は黒目がちなうえ鼻筋も通っていて、唇もかさかさではない。頬はつるんとしている。雪見だいふくみたい。アイスの。

「な、なんですか?」

 突っ立ている女の子はあたしの顔を穴があくほど見入っている。

「なんですか?」

 あたしの質問を質問で返された。あたしは、だあれ? にいい換えて女の子の言葉を待つ。

「なみこ」

 だあれ? と、名前を訊いたわけではない。女の子はやはり小学生だと臆測する。

「なみこちゃんね、そう。で、なにかしら?」

 なみこと自己紹介した女の子は遠慮がちに玄関に入ってきて、玄関先に飾ってある写真を指差し、

「これ、あたし」

 それだけいって、靴を脱いだ。

「ええ!」

 目が飛び出そうになるも、目玉を抑え写真の中の女の子と今、まさに目の前にいる女の子の顔を交互に見やる。

 ちっとも面影はない。写真の中の女の子は全て幼稚園のときのものだ。

「お父さんにあいにきたの?なみこちゃんは?」

 きちんと靴を揃えて、おじゃま〜、と言い、なぜか、します、は言わずに勝手がわかった風にリビングのソファーに腰掛けた。

 あたしはダイニングテーブルの上にあるパソコンをはたりと閉め、なみこちゃんの方に視線を送る。

「なおとは元気なの?」

 なみこちゃんはお父さんではなく『なおと』と口にした。ナオトインティライミ? あたしは思わず含み笑いをしてしまう。

「おとうさん。でしょ?」

「あ、そうね、まあね、そう、お・と・う・さ・ん」

 なみこちゃんはこの春先なのにいちいち半袖短パンである。おもては存外肌寒い。

「温かい紅茶がいい? それとも冷たい紅茶にする?」

 本当は温かいのを出そうと思っていた。あたしも飲もうと思ったから。

「おきづかいなく」

 子どもという人種は異様だ。大人なら絶対に、おきづかいなく、などとは言わない。進められたことを憚る言動がたちまち相手に不快を与えるのだ。

 殊勝な態度が逆に微笑ましい。

「じゃあ、お菓子は食べる?スナック菓子」

 足をぶらぶらさせながら、ブンブンと首を横に振った。

 あたしは途方に暮れる。

 なおちゃんの娘とおぼしき女の子は一体なぜ、平日のこんな時間にそれも私服で ーなにも持っていないー どこからやって来たのだろう。まさかなおちゃんの投影でも見ているのだろうか。ほんのりとなおちゃんに似ている気もする。

 なおちゃんに連絡した方がいいのだろうか? 時計はあと15分で5時になる。5時になったら連絡してみよう。なにから話していいのかわからないので、あたしは台所に行き、湯を沸かす。

 とりあえず紅茶を淹れてからにしよう、と。

「あのう。あなたはところでだれなんですか?なおとのかのじょですか」

 換気扇の音に負けそうなくらいな小声だけれど、かのじょですか、の部分は鮮明に聞こえた。

「どうかしら」

 湯はすぐに沸いた。紅茶のティーパックをデカいマグカップに入れて湯を注ぐ。そして、普通のお皿で蓋をし少し蒸らす。

「どっちでもいいわ。べつに」

 確かに年頃の女の子だ。いくら別れていてもおとうさんにかのじょらしき人がいたら嫌に決まっている。なおちゃんはあたしに子どもの話しを一度もしたことがない。それもあたしに気を使ってなのだろう。

「ごめんなさい」

 謝らなくてはならないと思い謝った。なみこちゃんは、首を傾げている。

 紅茶の蓋を開ける。簡易的なお皿には湯気がたくさん付着していて、あちちっと声を出してしまった。

「あやまるのはおかしいわよ」

 なみこちゃんはすくっと立って、あたしのいる台所にやってきた。そして冷蔵庫をあける。

「なにこれ?びーるしかないじゃないの」

 なにか飲みたいのだろう。しかしながら、残念である。無駄が嫌いなあたしとなおちゃんは買い置きなどはしない。ジュースも飲まない。薄いコーヒーと、濃いめの紅茶と、クリープたっぷりのカフェオレ。

「そうね、紅茶ならあるわ。今いれるね」

「じゃあ、つめたいの」

 あたしはガラスのグラスに氷を入れ熱い紅茶を注いだ。甘いシロップはもっぱら使わないが、よく行くローソンでカフェラテを頼むともれなく付いてくるため、何個かストックがある。まさか、ここでお役に立てるなどとこの甘いシロップさんは思ってはいない。本望だろう。

 冷たい紅茶にシロップを開け、ゆっくりと投入する。ゆらゆらとシロップが蜃気楼のよう揺れて底に落ちてゆく。ストローをさして、側にいるなみこちゃんに渡す。

「あ、どうもありがとう」

 礼儀はだだしいのにどこか空虚でどこがつかみ所がない。なみこちゃんは氷の入った冷たい紅茶を持って元いたソファーにどしっと腰掛けた。

「あまーい」

 けど、いがいにおいしいわね。目をしばしばさせて喉を鳴らし飲んでいる。あまーい、あまーい。何度も言うので、毒は入ってないからね、と、冗談交じりに付け足す。

「なみこちゃん、」

「ん?」

 どうして来たの? お母さんは知っているの? 学校は? 何項目も訊きたいことがあるのに、うまく言葉が出でこない。訊いてはならない気がしたのだ。

「なあに?」

 あたしは、首を横に振る。なんでもないわ。

「そう」

 おもてがだんだんと薄暗くなっている。頭をもたげ時計を見たら6時15分前だった。

「おとうさんね、8時には帰ってくるわ」

 そういえば、なおちゃんにメールするのをうっかり忘れていた。今からしようか。あたしはスマホを持った。

「いい。なおとにはあたしがきたことはいわないで。おねがい」

 困った顔は中学生に見えた。なみこちゃんは本当はなおちゃんにあいたいだろうに。

「わかったわ。なみこちゃんはこの家の鍵を持っているのね」

 なみこちゃんは、うなずき、

「うんそうよ。がっこうをさぼったひにかってにくるの。けど、なおとはしらないわ。おかあさんも。おかあさんにしれたらしかられるの、だから。あたしね、なおととかってにあえないの」

 途切れ途切れ言葉を紡ぐ。全く饒舌ではなくて、なにか台本を読んでいる喋り方。

「わかった。言わないわ。絶対に。ひみつ」

「……、ひみつ、」

「そう、ひみつ」

 別れた奥さんとの決めごとで子どもに勝手にあってはならないことになっている、と、以前なおちゃんが言っていた。俺の子どもなのに、おかしいよな、それってさ。なにせ、子どもとあうことを、『面会』っていうんだよ。面会だよ、面会。入院している訳でもないのに。おかしいよな、全く。泥酔時だけの本音。

「なみこちゃんは何歳なの?」

「13歳、ちゅういち」

 あ、そうなの。あたしはどうやら子どもを見る目がある見たい。子どもの年齢当てコンテストがあったら当たるような気がする。

「送るわ。お母さんが心配してるよ。きっと」

 なみこちゃんはまるで帰りたくなさそうだ。なにせ学校をさぼったのだ。相好を崩したなみこちゃんが、「しんぱいはしてはいないの。きっと、がっこうさぼったから、せんせいがおかあさんにれんらくしたにきまってるから」

 はぁー、気がおも。落胆をするなみこちゃんの横に座る。側にくるとミニなおちゃんに見える。女の子は男親に似るというがあながち嘘ではないようだ。

「あたし、ここに住んでいるの。いい?」

 なみこちゃんはあたしの方を向く。

 やや、眉根をひそめたのち、口を開いた。

「……、いいもわるいも、なおとのことおねがいします」

 まさかの返事に胸がぎゅっとなる。

「送るわ」

 あたしは目頭を押さえ立ち上がる。

「いえ、おきづかいなく」

 この子は変な所だけ大人びている。おきづかいなく。

「うちさ、あるいて15ふんなの」

「えー!」

 あまりの近さに驚くも、まさかなおちゃんの留守になみこちゃんが来ていたなんでなおちゃんにメールしないでよかったと安堵する。

「そう、また、あまりさぼってはいけないけれど、困ったら来てね」

 なみこちゃんは、ニンマリと笑い、こくんと頷く。

「じゃあね、さいならー」

 さいなら。あたしも、さいならと言い返し、玄関までなみこちゃんを送る。

「気をつけてね」

「だからちかいのよ」ふふふ。

 可愛いくて屈託ない笑顔はどうしたってなおちゃんに見える。

 玄関が【ガチャン】と無機質な音を立てて閉まる。

 リビンクの上に置いてあるなみこちゃんの飲んだ冷たい紅茶のグラスが汗をかいている。まだ少しだけ氷は残っているけれど、なみこちゃんは全て飲み干した。

「おきづかいなくないじゃない」

 ふふふ。あたしはなんなく笑う。

 ひみつを共有したなみこちゃんをどうしても他人と思えない。

 なみこちゃんのいたソファーはまだ温かい。

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