最終話 怪しく微笑む手紙
遠くの空を見つめながら、立ち上がるしおりは、ゆっくりと遺骨の入れられていない、僕の『墓』から遠ざかっていく。
――僕宛ての手紙を残して。
僕は宮戸の技術を用いて、別人の顔を手に入れた。あれから一年経ったといっても、幼い事には変わりないし、僕が生きている事を気付かれるのはマズい。だからこそ、この『正体隠し』が一番、安牌だと思うんだよな。
ザザザザザザ、と耳に付けられた小型無線機から音が鳴る。最初は雑音だったのだが、いつの間にか安定し、その先から毀れる雄介の声が耳を支配していく。
『……願い通りにしてやったが、本当にこれでいいのか?』
「……」
『しおりがまだ、近くにいるのか。躊躇うのなら、すぐ追いかければいいものを』
「……」
『はぁ……少し時間やるよ。最後の挨拶をしてこい』
雄介の言葉が道になり、彼女の元へと走って『本当の事』を伝えたら、どれだけ楽なのだろうか。しかし、それはそれで、違うと思うんだよ。
僕は元の……しおりと同じ環境で生きる事が出来ない『立場』の人間になってしまったのだから、無理な話なんだ。僕が生きている事を知ってしまうと、彼女は離れないだろう、冷たくしても、突き放しても……例え……捨てたとしても。
「くっ……」
僕は黒いパーカーを着ている。フード付きのパーカー。まだ、この自作の顔でバレない自信がない僕は、もう一つの逃げ場として、フードで顔を隠す。
(こうやって遠くからでしか、見つめれないなんて……)
彼女の残り香の中で、自分の為にたてられたと言う墓の前に辿り着いた。近づくつもりなどなかったのに、無意識に、吸い寄せられるように……。
ここまで来たら、何もせずに立ち去るのは変だろう。だからこそ、他人になりきったかのように手を合わせ、墓に祈るように見せかけて、空に祈りを捧げるんだ。
(しおり……幸せに、生きて)
そうやって瞼を閉じていると、いつの間にか僕の横に『しおり』の影が映って見える。一瞬、幻想……幻、かと思ったが、手を解き、右手でチラリとパーカーを少し上げ、人物を再確認してみる。
――夢じゃない……。
僕の視線に気づいたのか、ふふふと微笑みの声色を響かせながら、一年ぶりの暖かい空間に包まれそうになっている自分がいる。
(ああ……いっそ、彼女に僕の正体を明かせたら楽なんだろうな)
それでも、彼女の未来と幸せを考えると、間違えた選択肢へと巻き込んでしまいそうだから、無言で俯くしか方法を知らない。
『……貴方も慶介の知り合いなんですか?』
そう聞かれて、僕はスマホを取り出して、声の代わりに流す『他人』のボイスを。その動作をゆっくりと見つめてくる彼女の、視線を痛く感じながら、それと共に胸の奥もズキリと痛みが走る。
『……すみません。喋れないんですね』
僕の代わりにスマホが喋りながら、僕の思う通りの返答をしてくれる。
「気にしないでください。彼とは昔の知人です」
知人だとスマホから流れてくる音を聴いて、心の中で虚しい微笑みが涙へと変換されながら、また胸を締め付けるんだ。締め付けられた心は、やがて身体を順繰り巡って、瞳へとじんわりと溢れていきそうになる。
幸い、フードで隠されている、からばれる事はないと思うのだが、勘の良いしおりには気づかれてしまうんじゃないかと、ハラハラしている自分もいる。すると、そんな僕に反応するように、鼻を啜りながら、呟くんだ。
『どうしてでしょうか。貴方といたら懐かしい感じがするのです。きっと同じ環境で育ち、色々な経験をしてきたからでしょうね。もう、あたしったらダメなんだから……』
慶介として彼女に伝えれなかった言葉がある。でも別人としてなら、きっと本音を語る事が出来ると思ってしまった。少し卑怯なのかもしれないけどね。
「大丈夫ですよ。彼もきっと貴女を大切に思っていたと思います。だから最後は笑顔で……彼も、それを望んでいると」
その言葉で、涙をためながらも、微笑む表情をパーカーの隙間から横目でチラリと確認した。
◇◇◇◇◇
しおりと色々と話した。最後の時間はあっという間で、慶介としてではなく、別人として関わる事しか出来なかったのが、凄く悔しくて、苦しい。
「抱きしめてやりたかった……」
ザザザザザザ、僕達の会話を聴きながら、無言を保っていた雄介が小型無線機からため息を吐きながら、問いかける。
『……本当に、これでいいのか?慶介』
「いいんだ。決めた事だから」
『彼女なら『本当の事』を話しても、離れないと思うし、裏切る事もないだろうに』
「そうだね。でもそれ以上に、しおりには幸せになってほしいんだ。僕の分まで……」
『……我、弟ながら、昔から泣き虫で、不器用だよな』
「……はは」
『無理しなくていいぞ、今だけなら』
「僕はもう慶介の名を語る資格なんてないから」
『頑固者が』
「お互い様だろ?」
『あはは。そうだな』
「……なぁ雄介、お願いがあるんだ」
『なんだ?』
「僕の代わりにしおりを守ってほしい……」
そう呟くと、急に雄介の言葉が途絶えた。こういう所で僕は子供で、雄介は大人だったのかもしれない。
『彼女の人生は彼女のもんだ。決めるのもしおりだよ』
「……そうだね」
こんな調子で、正体を隠しながら、この世界で生き延びる事なんて出来るのかと疑問を抱きながらも、雄介の待つ、車の中へと姿を晦ます。
『今回だけだぞ。お前を助けるの。次は味方にはならないかもしれない』
「それでも、感謝してる」
僕達の過去を乗せて、車は走る。そうやって、僕と雄介の運命の歯車もどんどん狂っていく。
――それに気付くのは、まだ先の話。
僕達、二人を闇に誘うように、ポケットの中に隠している『しおり』の手紙が微笑んでいた。
これが、本当の終わりで、新たな始まりなのかもしれない――
『完』