電波と声
赤く染まった三センチぐらいの表面を、袖でふき取り、全ての廃棄物を消去していく。青い空間の中に眠る『記憶』の前に、動揺を隠せない僕は、吸い殻を床に踏みつけ、炎が消えたのを確認すると、二本目の煙草に突入した。
汗で湿っていたのか、ジュワ、と抵抗を示した。僕を取り巻く全てのものが、嫌悪、憎悪に包まれている事に気付くと、それらから逃げるように、抵抗するのを止め、火を灯した。
入口へと入り込み、眠り続けていた『起動』を試みる。
――お願いだ。動いてくれ……。
コポコポと水面の下から無数に造られていく泡を見送りながら、安定するまで待つ。
≪大切≫
≪命≫
≪憎い≫
≪死ねない≫
≪絶望≫
≪からだを返して≫
身体に流れ込む、言葉が瞼の奥に蘇り、全ての原型の姿を現した。一人の女が身体を守るようにしながら、泣き叫んでいる。
『痛いっ。何すんのよ。頭おかしいんじゃないの?』
苦痛に歪む顔からは生気は消え、青白く、化け物のように睨み続ける。後ずさりする度に、もう一つの影が動く。
「お前が悪いんだ。あいつの子供なんか産んだりするから……」
黒縁眼鏡をかけた研究員の姿が視線を横切り、次の瞬間、行動を起こす。研究員はピンと張り、縄のようなものを女の首にかけた。
時間が経つにつれ、抵抗は弱まっていき、酸欠になったのか口の隙間から『ヒュー』と肺の音が機械の中から流れ、僕の脳に刻まれていく。
ザー、ザー。
とめどなく流れるノイズの波長が『普通の人間』には聞こえない言葉を作り出し、僕に語り継ぐ。以前、見た時と同じ光景の中で、泣き続ける女性の姿が描かれていく。
≪あたしは だれを あいしたら いいの?≫
≪ここは くらくて こわい ひとり いや≫
≪ねぇ あたしの こども どこに いるの?≫
≪かえして かえして すべて かえして≫
これは何だ?
この機械に憑りついている『魂』の記憶?
それとも、機械が創り出した『創造的』な記憶?
機械が記録し続ける事など出来るのだろうか。最近の機械ならまだ説明がつくが、何十年も前のものである『この機械』については説明不足なところが多い。
――偽りなんかじゃない、全ては『真実』だ。
電波をキャッチしたのかピリリ、と荒い音を呼び出しながら、砂嵐に破壊されていく画面の泣き声が耳を通過し、一瞬停止状態になった。
≪ああ……この電波が邪魔しちゃって、映像が途切れちゃうのか≫
全てを分かっているような口調で、淡々と話を続ける宮戸に対して、言いようのない違和感を感じた。
喉を摩りながら、何度も咳込む。
重い病状に浸食されているような、そんなふうに思えて仕方なかった。
『……んんっ。出てるかな?ああああ』
かすれ声だが、きちんと聞き取る事が出来る。話す事が出来ないってのは嘘だったのか?目を見開き、何が起こったか理解出来ていない僕の表情を読み取り、苦笑した。
『本当はな、話せるんだ』
騙され続けられていたと言う事実を知ってしまった僕は、顔を真っ赤にさせ、頭の頂点に血を充血させる。
この男は、どれだけ人を心配させておいて、こんなぬけぬけとした態度を取れるのだろうか。周知に有りふれている日常の重みを分かって、こんな……馬鹿げた芝居をしていたとしたら、宮戸を軽蔑する選択肢しかなくなる。
『でも……本当に出るとは思いもしなかった。事後以来、一度も話さなかったから……』
事故にあっていた?
宮戸が?
『……これ見たら分かるだろ?』
淡く、渋めの色味を出しているジーンズの先端から顔を出している『古紙』のようなものが、僕の前へと開かれていく……。