しっかりするって『何』?
家のドアにへばりついている銀色のポスト。いつもならばポストに触れる事もなく、中へと直行なのだが、今日は何かが違った。
煩い虫の鳴き声がその中から聴こえる。
まるで、誘っているように響く、泣き声。
可哀そうとも、何とも思わずに惹きつけられるように手を突っ込む。今まで響いていた泣き声が体に注がれ、いつの間にか僕の一部へとなっていった。
ガサッ、と何かが手に当たり、我に帰って覗き込む。
小さな封筒。
微かに煤の匂いが染み込んだ封筒は、死の臭いがした。
全ての情景を赤く染め、僕に飛び掛かってくる。それがどれほど大きく、不快なものなのか僕には分からなかった。
◇◇◇◇◇
部屋に入ると、今までとさほど変わっていない部屋の空気が僕の心を癒してくれる。人の死骸を見てしまった僕は、体と心のバランスを崩し、何故自分が動いているのか理解出来なくなっていた。
悲しみに暮れる事も出来ず、楽しみで笑い合う事も出来ない『変化の現れない人体』へと低落していったのだ。
(誰か……いるのか?)
声になってない事に気付く事もなく、何度も口を動かす。自分では声を出しているのに、周りには届かない。パクパク動かすだけで、人間の本質を失った僕に、その真実は奥底に封印されていく……。
机の上に置かれた封筒が笑っている。こんな姿の僕を見て、嘲っている。
(やめて……やめてくれええええええ)
忘れる事など出来ない臭いと記憶が僕の安定を崩していく。
知りたくない。
知る必要などない。
僕には……。
死の臭いが染みついている『死体』を無意識に、誰に目にも届かない深い場所へと、置き去りにしていった。
◇◇◇◇◇
悲しいなんて言わないで、それが最近の口癖だ。周りの人間の言動に躍らせ、苦しみ、上手く舞わされている動物と同じ。
……観客を楽しませる事しか出来ない存在。
瞳に流れ込んでくる音が海底へと溜まり、膿のような物体を作り出す。憎悪、苛立ち、人間の闇によって創り出された廃棄物。
≪……野洲、ご飯だよ?≫
(…………ご飯?)
生きる軸になる生命の糸。
そんなもの、いらない。
そんなものを口に入れて、何をどうしようと言うのだ?
ご飯を見る度、そんな事を思いながら、何時間も眺め続ける。そんな僕を見ていた宮戸が痺れを切らし、僕の頭を拳で殴りつける。
――ゴン、ゴン、ゴン。
連続三回も殴ったせいで、手が赤く腫れあがり、隠していた『傷跡』が姿を現す。
≪いい加減にしろ。慶介がそんなんでどうするんだ……しっかりしろ!≫
怒鳴る言葉を繰り返し、唱えてみる。同じ言葉を三度唱える僕を不審そうに眺め、険悪な表情で見下している。
(なぁ、宮戸……しっかりするって何?)
≪野洲……お前……声が……≫
全て悟り切った宮戸の顔が段々、青白くなっていく。




