呪文
宮戸の技術は凄い。小野さんに引けをとらないまでに成長している。あの人がこの世を経ってから一か月が過ぎた。
人の命は儚く脆い。
ナイフで一突きしてしまえば、重症をも間逃れないほどだ。
こういう時、自分の身を守るのは決して自分ではない。動物みたいに自分で修復する事も出来ないし、それから間逃れる事も低いと考えられる。人を守るのはあくまでも『武器』だ。武器で自分の命を守り、その為に犠牲を及ぼす。
それが人間。
汚くて、賢い人間。
この世の中で、最も愚かな動物。
赤く爛れた頬をどれだけ『人間の皮膚』に近づける事が出来、人の目を欺く事が出来るのか。
それが僕に化せられた課題。
『上手く化けた事』
クスクス。
口に手を沿え、壁を突きつけ、僕の心を乱そうとする。
「またあんたか……」
キツイ視線を浴びせると、怯む事もなく僕の反応を楽しんでいる。
「何故、僕に付きまとう?」
『何で、って言われてもねぇ。楽しい事が起こりそうだからに決まっているじゃない』
溜息を吐き、彼女を避けようと試みる。
「いい加減にしないと、僕も本気で怒りますよ?」
『あらあら。出来るというの?貴方に?』
壁に凭れながら、メンソールを吸い始めた。白く濁った煙が目に染みる。
『拝見させてもらうわ』
そう呟くと声を閉ざし、女から逃げるようにして背を向けた。
最近付きまとう女。
僕と家の間に入り、両親、里親の現在の情報を細かく教えてくれる。僕からしたら『良い情報』の一つであるが、彼女にとったら『意味のない情報』と言う事になる。
小野さんの『別れの儀式』を行った時から、嫌気を漂わす女という印象が強かった。それから何度も僕の前に姿を現し、ストーカーと言っても過言ではない。それくらい付きまとってくる『厄介な虫』に覚醒してしまったのだ。
≪協力してあげる。貴方の思惑に手を貸してあげる≫
≪貴方一人で遂行しようとしているの?そんなんじゃ、命が何個あっても足りないわよ≫
≪あたしを使ってみる気ない?貴方の必要とするパートナーになってあげる≫
≪表の世界のあたしと、裏の世界の貴方。二人が手を汲めば、敵など存在しない≫
一人で動くのは危険だ。味方はいると言えば、いるのだが、戦力にはならない。
――あの女の自信に満ち溢れている瞳。
零れ落ち、人間の脳に送り込まれる細胞が仄めかす。
『紀宝さん。二番の前でお待ちください』
あの女に作られた呪文を吐き捨てるように、荒々しくドアを蹴り飛ばした。




