月への祈り
鏡を見ると、以前とは違う顔立ちが浮かぶ。今まで見た事のない顔に動揺を隠せず、パニックに陥ってしまう。手で触り感触を確かめてみると、自分である事に気付き、安心の念を唱える。
「凄いな。これあんたが作ったのか?」
愛しさに支配され、眺め続ける視線。これが僕の物になる。誰のものでもなく僕の物に……。
「どうした?」
悲しそうな、もどかしい表情の男の心情を読み取ろうと詮索した。すると、人差し指で口を指し、バツ印を作り、表情に及んだ。
「しゃべれないのか?」
そう問いかけると、コクンと怯えるように頷いた。僕は使っていないワープロを手渡した。それがどういう意味を持つのか分からず、キョトンと小動物に似ている表情を見せた。
ずっと誰かが守ってきたんだな……。
何故『暇人』と言っていたのか分からなかった。話す事が出来なくても、仕事は出来る。しかし一度でも、人に対して恐怖を抱いてしまうと厄介だ。リハビリを兼ねて、こいつを僕の手元に置いたのだろう。
彼は嬉しそうにワープロのスイッチを入れ、画面にくぎ付けになった。
カチカチと崩れる事のない店舗で文字を打つ。必死に文字を、一つ一つ打っている姿が眩しくて、上手く見る事が出来なかった。
「僕の名前は野洲。あんたは?」
【宮戸】
「ミヤト……」
打つのが遅いためか、体で表現出来る事は表現し続けた。前向きな姿勢を見て、リハビリの意味などないような気がする。
宮戸の師匠『小野さん』からの着信履歴が数件入っている事に気付き、かけなおしてみる。宮戸の眠りを妨げないようにコッソリ部屋を抜け出し、非常階段へ出て、孤独の中で声を待つ。
丁度、座り込んだ時に呼び鈴が止まり、小野さんの声が聞こえてくる。
『お、野洲くん?』
歯切れのいい独特な声質が耳を擽る。
「すみません。何度もかけてきてくれたのに、出れなくて」
『いいんやで、気にすんな。俺もすまんなぁ。何度もかけてしもて』
「どうしたんですか?」
『いや……そのな』
乱れる呼吸を正し、正常を保とうと必死になっている。わざと気な話口調が、耳につく。
『……野洲くん、あいつを守ってやってくれ』
プッツーツー、と途切れた虚しい音が響く。どういう事なのか分からない僕は、出かかった言葉を飲み込み、険悪な表情で何度も何度も小野さんにかけ続けた。
しかし、僕を拒み続ける留守電が僕を苦しめ続ける。
(何があったんだ?)
シルバーのネックレスを握り締め、月に向かって祈り続けた。
無事でありますようにと……。




