狂い始めた音②
引き出しを開け、音を立てないように、携帯の液晶画面を凝視する。1、2、3…。そうやって次々とアドレスを確認する。
(先輩、色んな人と連絡とっているんだなぁ)
カチカチと音を立ててしまう。ゆっくり打ったとしても、どうしても上手く音を立てないようにする事が出来ない。百人の情報が詰まっているそれは、何故か重たく感じた、喉がイガイガして、妙な違和感がある。僕は、最小限の大きさで咳払いをし、喉を摩った。丁度50人目に差し掛かった時、ある『情報』を見つけた。本名は勿論、携帯番号、メールアドレス、住所がはっきりと記されている。僕は自分の携帯を取り出し、素早くコピーする。早くやってしまわないと、啓吾さんが起きてしまう。
こんな所見つかったら、今まで築いてきた信頼が崩れてしまう。最後の一行に差し掛かった瞬間、ガサガサと僕を挑発するように、動き回る。
(頼むから起きないでくれ…)
緊張で固まってしまった身体を庇うように、光が差し込む。
(やばっ…)
『慶介?何してんだ?』
妙に落ち着いた声が怖い。僕はボーっとしている演技をし、モゾモゾと布団に入った。『グー』と寝息を立て始めた僕を見て、寝ぼけたのだろうと思ったのか、再び眠りについた。
啓吾さんの寝息が部屋中に響く。
僕は顔を覗き込み、寝ている事を確認し、何もなかったように眠りについた。
回転していない頭で、ここは何処なのだろうか、と考えてみる。鳥のさえずりが、僕に叱る。その瞬間、ここは啓吾さんの家だと思い出した。カーテンの隙間から太陽が囁き、ボク目を覚ます。隣を見ると、きちんと整頓されている布団がたたずんであり、啓吾さんの姿はなかった。
僕は布団から這い出て、机の上に置いてある目覚まし時計を覗き込む。11時か…。フッと目線を下ろした瞬間、白い紙が目に入る。『先に出ます。朝食はリビングにおいてあるから食ってください』とご丁寧に記してある。啓吾さんが書いたとは思えない程、丁寧な言葉。
全ての荷物を纏め、身支度をした僕は、リビングに行った。フランスパン、目玉焼き、サラダ、リンゴジュースが綺麗に食卓に並べられている。まるで自分の家にいるような感覚で、席に座り、着々と口に運んでいく。その度に昨日してしまった事に対しての『罪悪感』が隙間から漏れていく。別に啓吾さんが教えてくれるのなら、それで終わっていたのだが、何故か頼んでも教えてくれなかった。『お前に教えたら、余計俺らのとこ来る回数少なくなるだろお』と不貞腐れていたのだが、こんな事今までないに等しい。啓吾さんが教えてくれなかったとはいえ、アホな事をしてしまった。だけど『奴』に色々聞きたい事があるから仕方ない事と、自分に言い聞かせた。
朝食を平らげ、自分の食べ終えた皿は全て洗った。こういう事をしてみると、母の苦労が分かる気がした。その瞬間、黒い霧が心臓を掴み、僕の奥深くに潜り込んでくる。
あいつは母親なんかじゃない、と首を振った。家族の事を考えたくなかった。
あんな家族なら欲しくない。笑いさえもない、暗い、あんな家族ならいない方がマシだ。
潰れた手を拭き、紙の切れ端を使い『ありがとう』とだけ書き残し、家に向かった。
いつもの事。
帰ってくる度、怒り声が僕を出迎えた。母はまるで鬼のような醜い表情で、食い入り、怒鳴った。
『あんた何してたの?ちゃんと説明しなさい!』
口煩く怒鳴る。僕は虚ろな、死んでいるような瞳で、睨みつけた。
『何なのよ!その顔は』
「別に…」
吐き捨てるように言うと、気に入らなかったのか余計大きな声を張り上げる。隣に丸聞こえだ。いつもいつも周りを気にしている癖に…。あんたが原因で言われてるじゃないか。僕は大肥など出していないし、父と母が原因で色々言われている癖に、都合が悪くなったら僕を理由にする。
「そんな大声出したら、近所迷惑だろ?」
冷静な僕を見て、どんどん醜く変化していく。
『あんたのせいだよ…』
ほら、きた。
『お母さんを怒らせるから』
馬鹿らしくて、返す言葉もない。これ以上、こいつと関わっていても、変な体力を消耗するだけだ、と思い言い返すのを止め、二階に制服を取りに行った。
『こら!待ちなさい!』
口を開いた瞬間、振り向き、見た事もないような怖い表情を作る。すると奴は言葉を失い、何も言い返せなくなる。
制服を着た瞬間、急に学校に行くのが面倒くさくなってきた。こんな事なら、家に戻らず、適当に遊んでいた方がよかったんじゃないか。
しかし、帰ってきてしまったものは仕方がない。この分だと、多分学校に着いたかどうかの確認の電話がかかってくるだろう…。一応行く事にして、途中でバッくれるか。
黒いネクタイをシュルシュルと手際よく整えていくと、いつもの姿に変わり、存在感を引き立てる。
担任から告げられてからもう三時間が経つ。しおりの友達と僕にしか告げられていない。友達に言うのは分かるが、何故担任は僕に教えてくれたのだろうか。唯一、話をしていたのが、僕と友達だけだからだろうか。
「どうなっちゃうんだろう…」
心配そうに呟きながら、涙を浮かべている。
「大丈夫だよ」
女の涙は苦手だ。こういう時、どうしたらいいのか狼狽えてしまう。今の状況を把握しても、この言葉しか浮かばなかった。
『二人共、もう遅いから帰りなさい。詳しい事が分かり次第、連絡するから…』
担任の言葉に『その通りだ』と思いながらも、まだここに残りたい衝動に駆られたが、ここにいても時間の無駄のような気がして、担任の言葉通り、帰る事にした。
いつもの夕焼けは消え、空は暗闇に包まれていた。僕は何処の部にも所属してなかったので、ホームルームが終わったら速攻で帰る。こんな遅くに帰る事などなかった。
『お腹空かしてないかなぁ…』
「…」
『よりによって何でしおりなの?』
「すぐひょっこり帰ってくるさ」
『そうだといいんだけど…』
時間は過ぎ去りながら、時を刻んでいく…。
しおりがいなくなってもう一週間が経つ。何の前触れもなくパタリと姿を消した。家庭も学校でも上手くやっているみたいだったし、何も問題はなかったみたいだ。そんな彼女が何故、姿を消したのか。疑問が過る。
「僕寄る所あるから…」
両手を合わせ『ごめん』と謝る僕を見て、何故謝っているのか理解出来てないようすで、曖昧に頷いた。
ただひたすら走り続ける。
何かを追いかけるように…。