一章 第六話:なべて失策
黒江峰高校の図書室で、蓮と美奈は本を数冊机の上に置き、そのうちの一つを広げ、二人で覗き込んでいた。
黒江峰町での事件が解決してから三日が経っていた。
それまで毎日起こっていた猟奇殺人が、三日連続でどこでも行われなかったという事実は、警察や町の人々の認識を「事件は終わったらしい」という風に切り替えている。
警察は当分、徒労が確定している犯人捜査に身を費やすのだろうが、それも良いだろう。犯人は永久に誰にも発見されない。それほど平和なことはない。
「にしたって、どう思うよ?」
「お前主語抜かして疑問詞だけ投げんな、普通に意味分かんねえよ」
呑気な顔で曖昧なことを訊いてくる陽馬に、蓮は片眉を顰めて答える。
「いやさ、不自然じゃねえかって」
「不自然、って何が」
「今回の事件だよ。一週間も人殺しが続いた挙句、突然パタリと終わったって?しかも、警察は何の手がかりも掴めてないんだろ。裏があるだろそんなん絶対」
「…………」
まあ、裏はある、確かに——と、蓮は頭の中で苦い顔をする。
何と言うか、コメントのし辛い話題だった。先日の事件は蓮が強行的に解決したため、破壊されと教室などの物理的な隠蔽工作こそ済んでいるものの、そう言った客観的な不自然さには何の対策もできていない。
「きっと正体隠した化物ハンターとかが、裏で犯人を捕まえてるんだぜ」
「…………」
基本的に言っていることは馬鹿だが、陽馬の言葉は案外的を射てもいたので、これに関しても蓮は何も言えなかった。
蓮が答えあぐねていると、その視線の端で教室のドアが開くのが見える。朝の時間帯なのでそれ自体はさして特別なことでも無いが、教室に入ってきたそのクラスメイトの顔を見て、蓮はほんの少し目を見開いた。
「委員長」
「……ん?お、本当だ!」
蓮がぼそりと呟き、それに反応して陽馬が騒ぐ。
美奈が蓮に言った通り、休校令の解かれた今、実に一週間ぶりに登校してきたのだ。
最近ではもっぱら例の殺人事件関連で、教室では彼女についてはさまざまな噂が飛び交っていた。
そのため、彼女の周りには結構な人だかりが出来た。
もちろん万全に元気という訳には行かないが、もう既に、その顔からは三日前に言い争った時の陰鬱さはほとんど失せていた。
「葉赤、元気になったみたいで良かったな」
「ん——ああ、委員長、ほとんどいつも通りだ」
気楽にそう感想を述べた陽馬に対し、蓮は答えた。
その日の美奈の様子は、事件が起こる以前とほぼ同じだったと言える。
当然学習面での遅れはあったものの、周りの気遣いもあり、十分にカバー可能な範囲だった。
蓮の方から美奈に話しかけたのは、昼休みのことだった。
「付き合ってくれないか、委員長」
若干ながら、蓮は人目を憚るように話した。しかし今現在、美奈は人の目を集めやすい状況にある。
その上に、蓮は美奈と仲が良い人間だと認識されているわけではない。嫌でも一定以上の注目は集めることになった。
慣れない視線に少々の不快感を感じながら、蓮は目で美奈に返事を促した。
「えっと……付き合うって、何?」
「図書室で、少し調べ物をしたいんだ」
蓮は詳細を語らなかったが、自分を見るその目が三日前と同じものだと気付いて、美奈は二つ返事で承諾した。
黒江峰高校の図書室は、沢山の生徒が入る場所ではない。そこにいるのは大体の場合、友達のいない寂しい奴か、病的なまでの読書好きくらいのものだ。
というのも、ど田舎の学校に古い図書館、おまけに生徒数も少ないと三拍子揃っているためだ。利用者もほとんどいない。そのせいか、この図書室の蔵書には流行りの本というものがほとんど無い。代わりにあるのは地域色の強い文献や資料集などだ。
そのため単なる読書好きくらいならばこの図書室には近寄らない。大概は中江峰にある大型書店か、駅前の図書館に足を運ぶ。
そういう訳で、今図書室にいるのは、蓮と美奈の他には喋ったところを見たことがない司書だけだった。
「で、この地図は何なの?」
美奈は、机に座り一冊の本を広げる蓮の後ろから、覗き込むようにして尋ねた。
「この学校の『見取り図』——建てられた当初の、だけど。知ってた?黒江峰高校は一度、空襲で焼け落ちたから建て直されてるんだ」
「いや……知らなかった」
「この学校、最初に建てられたのは百年以上前だ。でも、当初から高校が建てられる予定じゃなかったらしいんだよ」
蓮はそう言いながら、閉じたまま机の脇に置かれていた本のうちの一冊を取り出し、一ページ目を開く。そして人差し指を動かし、ページの内の一点を示した。
「これは学校の年表なんだけど、前書きがある。ほら」
「年表に前書きってことは……学校が建てられた経緯とか、そういうことが書かれてるの?」
「うん。委員長も読んでみて」
美奈は言われた通り、そのページの文字を目で追った。
そこに書かれていた文字は戦前のものであり、内容は高校生が読むには難解なものだった。大まかにだがこれを理解出来たのは、ひとえに美奈が「才色兼備」と称される所以によるものだろう。
前書きに綴られていたことを要約すると、こうなる。
ある巨大デパート企業が、江峰に支店を作ろうとした。その建設予定地として確保されたのが、現在黒江峰高校のある場所だった。
だが時を同じくして、世界恐慌の煽りを受け、日本国内でも不景気の火種が蔓延する。そのデパート企業も事業を縮小せざるを得なくなり、支店の話は白紙に戻った。
後には、すでに開発を終えたまっさらの土地が残る。江峰市はその土地を買い取り、公立の学校を建てた。
それが現在の黒江峰高校だ。
「もともとデパートになる予定だったのね、この土地。でも……領場くん、何でこんなことを調べてるの?」
「先週の事件、不可解なことが多すぎるんだよ。僕らの視点から見ても」
蓮は、ともすれば禁忌にすべきかもしれなかった話題を口にした。
そのまま横目に美奈の様子を確認するが——美奈はより真剣な面持ちに変化しただけで、想像していたよりも平静だった。
大丈夫だろうと断じて、蓮は話を続ける。
「……結局『犯人』——安藤貴和の人物像が割れても、動機ははっきりしないままだった。君と会話が出来たんなら、食欲に支配されての暴走ってわけでも無いだろうし」
「……何か私たちには及びもつかない理由があったってこと?」
「うん。ホルムウッドのオッサンも同意見だった。それで、僕個人でこの三日間、色々なことを調べてみたんだ」
蓮はそう言いながら、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。電源をつけると、画面には地図アプリが表示された。
「ひとまず、六つの犯行現場の位置を正確に、地図に書入れようとしたんだけど……ほら、見て」
「……何、これ——?」
地図アプリ上に打たれた六つの点と、それらを結ぶ線を見て、美奈は戸惑いを露わにした。
六つの犯行現場は、黒江峰高校を中心にそれぞれ南西と北西に伸びている——それは分かっていた。
蓮は西方向にほぼほぼ直線で歩いていた。だが所詮は家々が点在し、人の手で組まれた道だ。実際のところ、蓮はあの時、何回かの迂回も行なっていた。
だが——、
「塀とか家とか、障害物を度外視できる俯瞰の地図アプリだから分かったんだ」
「でも、これって……完全に直線じゃない」
地図上に示されたのは、寸分の乱れもない、完全なる「直線」だった。
南西の四点、北西の二点を結べば、学校を中心として、さながら時計の針でも描かれているようだ。
それを時刻で表すのならば、「10時40分」頃の角度だった。
拡大して見ても、どの箇所にも一メートルの乱れもない。わざわざ美奈の両親が寝室から移動させられていたのは、これが理由だったのだろう。
「犯人は殺人現場を利用して、この町に何かを描こうとしていたのかもしれない——おそらくまだ未完成な、何かを」
「……じゃあ」
「薄々そんな気はしてたけど、あれで終わりじゃ無かったんだろ、やっぱり。三日前の時点であいつを殺してなければ、今日にはさらに四、五人の犠牲者が出てたかも——」
蓮は途中で言葉を止めた。隣の美奈の顔色が、明らかに悪くなっていることに気付いたからだ。
彼女は吐き気を堪えているようだった。
「委員長……大丈夫?」
「……ううん……大丈夫。続けて、領場くん」
美奈の様子は、あくまで良いとは言えないものの——少なくとも三日前に会った時ほど酷いわけでもない。
蓮は迷ったものの、彼女に言われた通り、続きを話すことにした。
「こんなことを野良の、それも六級の出来損ないなんかが個人の範疇でやらかすとは考えにくい。背後に別の人間か——組織、みたいのが絡んでるって考えるのが妥当だと思う」
今になってみると、激昂のままに大口の化物を葬ったことが悔やまれる。あの状況なら、口八丁に情報を引き出すことも容易だったろう。
「……でも、この町にそんなのがいるっていうの?」
黒江峰は田舎町も田舎町だ。商業的な意味もそうだが、何より町の面積自体が小さい。
例えそんな、「謎の組織」が存在するとして——一体、こんな小さな町のどこに隠れ潜んでいるのか、皆目見当もつかない。
「僕もそう思って、何か無いか調べてみたんだよ。そしたら、おあつらえ向きの場所が一つ、この黒江峰にあった」
「……どこなの?」
「ここ」
言われて、美奈はきょとんとした。
蓮はそんな美奈の前で、床を指差してもう一度言う。
「この学校の地下にデカい空間がある。調べてみて分かった」
「こっ……ここって、どういうこと⁉︎」
「多分、地下デパか何かになる予定だったんだろ。吹きさらしのままの馬鹿でかい空間が残ってるんだ」
自分が毎日足繁く通ってきた馴染みの場所が、物騒を通り越した危険を内包している可能性を示唆され、美奈はじわりとした冷や汗を禁じ得なかった。
一方で、蓮も淡々と話してはいるが、平常というわけでは無い。流石にその表情には陰りが見える。
「そ、それで……調べるとして、どこから入るの?私、この学校で地下室の入り口とか、見たこと無いわよ」
「それで、ほら。この見取り図だよ」
蓮は開かれていた学校の見取り図の端を指差した。美奈はそれを見て、
「旧校舎の隅の方に、使われてない階段がある。さっき司書の先生に訊いたら、今はコンクリで埋めてあるらしいんだけど……」
「本当だ。一階から下に降りる階段がある……」
建立当初の見取り図、その一番端。旧校舎の奥階段には図面上では確かに、地下へと降りる階段が存在していた。
「学校は学校で、地下の空間を何かに使うつもりだったのかもしれないな」
「でも、それでどうするの?コンクリートで塞がれちゃってるんでしょ、ここ。調べようがないじゃない」
「調べるよ。コンクリートくらいどうとでもなる」
そう言われて、美奈は蓮が人ならざるモノであることを思い出した。確かに大口の化物を粉砕したあのパワーならば、コンクリート程度、破壊することはわけないだろう。
「でも、それって器物破損じゃ……」
「あんなボロ校舎、構ったもんじゃない。それに、そういう荒事の後始末は、頼めばオッサンがやってくれるから」
「……ホルムウッドさん?」
「ああ」
美奈は、あのピエロの仮面を被った黒装束姿を思い出す。
終始どこか飄々とした雰囲気を醸す男だった。あれは、美奈が苦手なタイプの人間だ(人間ではないが)。
「後始末って言えば、この間の——あの化物は、どうしたの?教室中血まみれだったけど……」
「あれもオッサンが片付けてくれたよ。教室は元どおりだし、騒ぎにすらなってない」
「どうやって?」
「企業秘密——つーか、聞かない方がいい。吐き気が加速するぞ」
よく分からないが、しかし蓮がそう言うからには、おそらく知れば気分でも悪くなるような方法なのだろう。美奈はそう察して、それ以上訊くことはしなかった。
「それで、この学校の地下に領場くんは行くつもりなの?」
「ああ。今日の放課後なら人もいないはずだから。委員長には、そういうことがあるってだけは伝えておこうと思って……」
「どうして?」
「……ん?」
唐突に放たれた疑問詞単体に、蓮は首を傾げて訊き返した。
「どうしてそれ、私に話そうと思ったの?」
「んん……?」
「いや、勘違いしないで。そのことをわざわざ話してくれたのは嬉しいけど……私は、てっきり領場くんはこれからのことに私を関わらせないものだと思ってたから」
「……何でそんな風に思ったんだ?」
「だって、領場くん、なんだかんだ言って優しいじゃない」
美奈はさらりと言う。そこに他意はないように思えた。
「あの時道で会って——私のことを止めてくれたのは、私を危険なことに近づけないためだったんでしょ。結果的には、無下にしちゃったわけだけど」
「いや……」
蓮は答えるのを躊躇ったものの、美奈の言葉はそのほとんどが図星と言えた。
その辺りの心理状況は、別段隠す必要もない。自分の内心をつまびらかに話すのは若干気が滅入るものの。
「……確かにそりゃあ僕は、普通の人間は極力化物なんかに関わるべきじゃないと思ってるよ。人間は人間で何も知らない方が良い」
化物という存在を知り、化物の悪辣さをその身に宿す蓮としては当たり前の思想だった。
化物とは、いわば世界にとっての異物に他ならない存在だ。その異物に、世界の支配者たる人間が近づくべき故など、一つたりとて存在しない。
「でも、委員長はすでに化物のことを知っているし——何より君は、化物のせいで家族を亡くしている」
「…………」
「そういう人は、やっぱりもう化物に近付くべきじゃないとも思う。けど僕は反対にら君には権利があるとも思う」
「権利、って?」
「きっと知る権利があると思うんだよ」
蓮の瞳はあくまで真っ直ぐだった。
その言葉と理念には偽りも憚りも無い。
「この町に潜んでる化物どもがいるとして、そいつらは君の両親をその、殺した黒幕ってことになる。そいつらについて君には知る権利があるし、僕には知らせる義務があると思う」
例えば——人に親を殺された子供がいたとして。
その犯人に死刑が執行された事実を、子供に教えずにいるということは、許される部類の事ではあるまい。
何にしろ、その子供は親の子である以上、知る権利と義務があるだろう。同様に司法に携わる人間ならば、子供にそれを伝える義務があるはずだ。
蓮のしようとしていることは、例え彼にそんな高潔な意思が無かったとしても、結果を見れば美奈の両親を殺した根幹への誅罰に他ならないだろう。
ならば美奈には知る権利があるし、蓮には知らせる義務がある。
「……分かった」
「……え?」
美奈が唐突に口にした理解の言葉に、蓮は首を傾げた。
「私も行くわ。今日の放課後」
「……はあ⁉︎」
「その地下空間、一緒に行くわ。連れてって」
「いや……いやいやいや、冗談じゃない!」
その突拍子も無い発言に、流石の蓮も声を荒らげる。
「僕が乗り込もうとしてるのは、過去形にしろ現在にしろ化物の根城だ。この間みたいな目にあう可能性だって十分にあるんだぞ。危険だって……」
「危険は承知よ。でも私だって、私にだって、やっぱり義務があるでしょ」
「義務……?」
「領場くんは、私に知る権利があるって言ったけど……きっと違う。私にあるのは、やっぱり義務なのよ」
美奈の目は真剣で、軽い気持ちで言っているわけでも、蓮をからかおうというわけでも、明らかに無い。
「両親を殺した黒幕どういう行く末を辿るのかきちんと知ること……それがきっと、遺された私の義務」
「…………」
蓮は迷った。
見る限り、彼女の決意は固い。それは好奇心では無く、亡き両親への想いに裏打ちされた意思だ——決して軽く扱っていいものでは無い。
「……分かったよ」
蓮はあくまで渋々だが、頷いた。
危険だとは言ったものの、実のところ、学校の地下に今現在大量の化物が巣食っている可能性は、限りなく低い。
仮にそんなものが潜んでいるなら、二年間もこの学校に通っていながら、蓮が気付かないはずがない。
神経を集中しなくても、吸血鬼の嗅覚は強力だ。自分の真下に大量の化物が動いていれば、二年のうちに流石に気付く。
例え地下空間と化物に直接的な関係があったとしても、せいぜい、打ち捨てられた過去の施設というくらいだろうと蓮は予想していた。
「でも……絶対僕の側を離れるなよ。調べた感じだと結構広いらしいし、普通に迷って出られなくなるかもしれないからな」
「分かってる……ありがとう」
美奈がそう言ったのとほぼ同時に、図書室に予鈴が響いた。昼休みは終わりだ。
——ところで。
蓮は、三日前にも「普通に考えれば可能性は低い」という考え方をして、美奈を放置した。
その結果、美奈は蓮より先に大口の化物と対面していたわけだが——それを失念するほどには、蓮はまだ幼かった。