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5.いよいよワンマン!

ユリさんは、テレビ台の横のカラーボックスを片付けて空にすると、布巾で埃を拭いて、ふぅと息を吐いた。


「でーきた!けーこりんの宝物、ここに並べたらいいよ」


「うん・・・」


あたしのキャリーを横にして、開けながらユリさんが爽やかに言った。


「いつまでだって居ていいんだからね?むしろ同棲しよっか」


「ふふ、ありがと」


「これ懐かしいね!インストでサインしてもらった。これはさぁ、せっかくだから立てて飾ろうよ」


たくさんあるCDのうちの1枚を手にとってはしゃいでる。あたしを元気付けようとして、わざと楽しそうにしてくれてるってちゃんと気づいてる。

ユリさんに笑顔を返したつもりだったのにそう見えなかったのか、ユリさんの表情はだんだん悲しそうになっていく。


「・・・ほんとに行かないの?ワンマン」


ユリさんには、昨日お昼の1時から今朝にかけて起こったこと、全部話した。あたしが話すのがスローペースだったから、午前中いっぱいかかったんだけど、ユリさんは根気よく聞いてくれた。


「あんなに楽しみにしてたじゃん」


「うん、もういいんだ。ユリさんは楽しんできて」


だって、どんな顔して会えばいいかわかんない。きっと演奏中に余計なことを考えて、ライブに集中できない気がする。そんな失礼なこと、できない。

前と同じ気持ちで純粋にライブを楽しめるとはとても思えなかった。

等間隔に連続したバイブ音が小さく響く。


「わかった。・・・電話鳴ってるけど」


「うん」


無視してたら、しばらくして鳴り止んだ。

ユリさんはため息をついて、立ち上がりながらぽんぽんとあたしの肩をたたくと、クローゼットの衣装ケースから部屋着を2着取り出して見せた。


「ね、どっちがいい?」


「?・・・こっち」


あたしに片方渡すと、もう1着を抱えてリビングから廊下へ続くドアを開けた。


「ちょっと仮眠する。夕方から出勤だけど、家は好きに使ってていいからね。気分転換に出かけてもいいし、あぁ合鍵は玄関の小物入れの中。いちおう、明日また説得するから。じゃ、そーゆーことでおやすみ」


寝室へ向かうユリさんの背中を見送ってぼんやりしていると、またバイブ音が鳴り出す。

カバンからスマホを取り出し、予想通りの名前表示を確認する。緑の丸を押そうかと迷った末、結局赤い丸を押した。

着の身着のままだった服を脱いでシャワーを借りると、ユリさんが貸してくれた部屋着のワンピースを頭からかぶって、あたしもソファで気絶するように眠った。

たった一日であたしの中の知ってる世界が大きく変わった気がしてとにかく疲れたけど、きっと他の誰かの目から見た実際の世界は、昨日の朝からそんなに変わっていない。

あたし一人が耳を塞いで、何も知ろうとしてなかった。家のことも、隼人の気持ちも。

自分の本音も。


---


「いいの?知らないよ?ほんとに置いて行っちゃうからね?」


いよいよワンマンライブの日がきた。

少し早めの15時過ぎ、いい整理番号をゲットするために、バッチリ準備を終えたユリさん。

お菓子売り場で駄々をこねる子どもを諭す母親みたいに念押しされたあたしは、苦笑しながら「はいはい、いってらっしゃい」と返事して玄関先で見送る。ドアが閉まると部屋の中が一気に静かになった。

リビングに戻って、ユリさんが空けてくれたスペースに、選りすぐりのアリステニアグッズを飾り付ける。こういうのはちょっと凝る方で、二時間弱経った頃には完璧なレイアウトが完成した。余は大変満足じゃ。

空になったキャリーを片付けて掃除機をかける。よく乾いた洗濯物も取り込んでおいた。

そうだ、カレーでも作ってみよう。そしたら帰ってきたユリさんも夜食に食べれるし。材料を買いに行かなくちゃね。

そう思い立って着替えると、お財布とスマホをバッグに入れようとした。

飾り付けに夢中で気づかなかったけど、たくさん通知が出てる。全部ユリさんからだ。


『会場ついたよ。今ならまだ間に合うよ』


『ミサちゃんが最前のいい場所確保してくれるって。もったいないよ?』


『びっくりした!前の前に並んでる人、カメリヤの椿さんだった』


『行列すごくなってきた』


『入場始まったよ』


ユリさんに「たのしんできてね」と返事を打つと、玄関を出た。


歩きながらふと、こんな時間だったなと思う。Dannyとお互いのことを話したのは。


『じゃあ曲を書いてよ、あたしのために』


『けーこちゃんの曲は・・・実はもう書き出してて』


『じゃあそれをちゃんと完成させて、ライブで聴かせてよ。』


ワンマンでどーんとやりたくて書いてるって言ってたっけ。鉛色に汚れた手を思い出す。

きっと昨日の朝まで書いてたのは、歌詞なんだと思う。今日までに、ううん、昨日のリハまでに間に合わせるために、きっと一生懸命書いたんだ。


『いい演奏してね。スポンサーをちゃんと満足させてくれなくちゃ』


『約束する』


逆に、聴きに行かなかったことは、約束を破ったことになるだろうか。

立ち止まってバッグから手帳を取り出すと、7月24日の欄を見る。

17:30開場、18:00開演。今の時間は・・・もう18:00回ったところだ。

――ひらり。

手帳から何か滑り落ちる。あちらへ、こちらへと揺れるように降下しながら地面に着地したそれを拾うと、光沢のある紙の中ではあたしとDannyが笑ってた。

汚い字でこっそり落書きした、『好き』の2文字が胸に刺さる。

ユリさんが急いで打ったであろう『はじまった』の通知と同時に、弾かれるようにあたしは駅へ走った。


息を切らして改札を通ると来た電車に滑り込む。手摺に捕まって息を整えながらお財布の中のチケットを取り出して眺める。これだけあれば最悪なんとかなる・・・!じっとしてると汗がどんどん吹き出してきて、なんで付いてるのか良くわかんないドア横の小さな鏡に映ったあたしは、首筋からデコルテにかけてぬらりと汗ばんでいた。

今何曲目だろう?

窓の外を流れる景色が遅く見えて焦れる。もっとスピード出ないの?

ターミナル駅について電車を駆け下り、ZOPPの最寄り駅へ向かう路線に乗り換えようとホームへの階段を駆け下りたら、信号トラブルで遅延してるらしい。あたしは回れ右をすると来た道を戻り改札を抜けた。タクシー・・・は、遅延の影響か長蛇の列。

バッグを肩に掛け直すと、意を決して走り出した。


今朝アリステニアのブログをチェックしたユリさんが、チケットがソールドアウトしたらしいって喜んでた。きっとアリステニアの良さに気づいた人たちが、たくさん来てる。いつものライブの100倍盛り上がってるに違いない。

――はしゃぐユリさんが目に浮かぶようだった。


信号を渡ってまた走り出す。


――嵐サンの機関銃みたいなリズムが聴こえる気がした。


脱げたクロックスを履き直してまた走り出す。


――ALの伸びのあるベースラインがお腹の底に響いた気がした。


汗でおでこに張り付いた前髪を拭う。


――莱くんの軽やかなギターが唸った気がした。


膝に手をついて息を整えるとまた走り出す。


――Dannyは、


角を曲がって坂道を上る。


――隼人は、今どんな景色を見てる?


破裂しそうな心臓と肺に鞭打って上りきる。

お願い、間に合って!


---


息を切らしたまま、受付にチケットを渡す。スタはあたしが汗だくなのを見て少しビックリしてた。

渡されたフリーペーパーも受け取らず防音扉を開けると、爆音の波に押し戻されそうになった。

・・・ギリギリセーフ。

あたしは最後列にこっそり紛れた。

いつもライブでいちばん盛り上がるお決まりの曲。この曲がきたら大体次でラスト。みんないつもの振りつけで頭を振ってる。

4人ともステージの上で、いつもの100倍かっこよく輝いてた。全力を出し切った清々しい顔をしてる。

・・・新曲は・・・もう終わっちゃったのかな。


演奏が終わると、ペットボトルに口をつけるDannyに、莱くんが何か耳打ちした。Dannyは目を見開くと客席を見渡して、後ろに掛けてあったアコギを肩にかけて、マイクの前に立った。


「昨日できたばかりで荒削りだけど、今日はせっかくこんなに集まってくれたんで、新曲やります」


嵐さんが盛り上がるようにドラムを鳴らすと、わっと歓声が上がった。女の子達は口々に麺の名前を読んでる。


「いつも応援してくれる白兎と」


気のせいかもしれないけど、一瞬目が合ったと思った。


「女神に。―雨の弾に撃たれる僕に 傘を翳したのはあなたでした―」


静かなアルペジオの前奏から入ったその曲は、しとしと降る雨みたいに聴く人の心に染み込み、フロアはさっきまでの熱気が嘘みたいに静まり返った。


確かにあの日は雨だったけど。

隼人は雨ざらしだった訳じゃないし、もちろん撃たれてもなかったし、傘をかざした覚えもない。

・・・大袈裟なんだから。

でもその大袈裟に、いつも夢見させてもらってきた。

アリステニアの詞は、あたしの希望だった。

どんなに募る恋や愛の歌でも、“愛”って単語が登場しないところが好きだった。

他の言葉で丁寧に綴られる思いは真摯で、いつだって本物だから。まぁその分長いんだけど、詞が。タイトルも。


よく響く深みのある声が、あたしの胸にダイレクトに届く。


――満たされない君をどうしたら満たせるか

寝顔眺めて考える


涙雨の弾に撃たれる前に 傘を翳したのが

僕なら 女神は永遠に微笑んでくれるかな

現実が君を責め立てるなら

二人ステージから跳び降りたって構わない――


あの朝に見た紙の四文字を思い出す。眠そうな目。腕を掴まれた感触。それから・・・。

いろいろな温かさが蘇って油断すると涙が零れそうだったから、あたしはぐっとこらえて上を向いた。でもダメだ、ダムはすぐに決壊した。なんであたし、あの時隼人を振り払っちゃったんだろう。こんなに思ってくれてるのに。


ふと、あたしの隣、同じように壁際で静かに演奏を観ていた人が、めっちゃ男泣きしてるのが目に入る。なんなんだろうこの人。なんか迫力に負けて、涙も一気に引いた。

見なかったことにして、もう一度ステージの上のDannyを見つめる。

ステキな曲を書いてくれてありがとう。


---


「ユリさん!」


ライブが終わって、会場を出ようとする人波に逆らって最前にいたユリさんに抱きつく。


「けーこりん!来てたの!?」


「最後らへんだけ、ギリ間に合って・・・!」


「汗だくじゃん!!」


「ユリさんも汗だくじゃん!」


ユリさんはほっとため息をつくと、意地悪そうに笑ってあたしの頬をつねった。


「ハラハラさせやがってー!」


「ごめん、やめてやめて」


「あはは、変な顔!」


ユリさんはカバンから封筒を4つ取り出して見せてきた。


「記念の日だからねー、全員分ファンレ書いたんだ」


記念の日・・・そうだった。なのにあたしは買い出しに行くつもりで家を出て、そのまま衝動的にここへ来たから何も持ってない。


「あたし、用意してこなかった・・・伝えたいこと、あるのに」


ユリさんはもう一度カバンを探ると、余ってるレターセットを取り出してくれた。


「封筒は5枚入りだったからあと1枚しかないけど、よかったら何か書く?便箋はいっぱいあるよ」


「・・・!あ、ありがとう、じゃあ封筒だけもらっていい?」


「封筒だけでいいの?」


ユリさんから受け取った封筒に、あたしは手帳から抜き取った紙を一枚差し入れた。

出口では麺がお客さんのお見送りをしに出てきてる。あたし達も行列に並んで、順番を待った。

ロビーを出ると今まで全然物販にも立たなかったDannyも、3人と一緒に並んで一人一人に丁寧にお礼してる。珍しくて驚いたけど、本人がいると思うと緊張してきた。

ユリさんが嵐さん、莱くん、AL、Dannyと順にファンレを渡して外へ抜けるのに続いて、あたしもみんなに手を振りながら通路を通る。

Dannyの番だ。ドキドキと波打つ心音が届いてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしながら、あたしは封筒を差し出した。


「けーこちゃん、俺」


そんな切なそうな顔しないで。

あたしは精一杯の笑顔で頷く。


「あの、あのうへへこれデュフフヒヒッw」


緊張しすぎてうまく喋れなかった。封筒を押し付けてユリさんの元へ一目散に走って外へ出た。


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