仕事熱心な童話の俯瞰者
「バカ」
──いつもより早足で。
「バカ、バカ、バカ」
──いつもよりヒールを鳴らして。
「バカバカバカバカ、バカ! あんな男のことを好きだったなんて、私が一番のバカみたいじゃない……!」
──いつもより乱暴に、私は歩く。
今日はホワイトデーだった。そして、私の誕生日だった。
自覚はあるわよ、ロマンチストかもしれないって。
でも、ホワイトデーにプレゼントを贈られたいって、ロマンスなの?
恋人に誕生日を覚えてもらいたいって、ロマンスなの?
これは、ついさっきのこと。「今まで大好きだった彼氏だった誰か」との会話。
忘れられたのならまだしも、「俺はホワイトデーにお返しはしない」なんていう、下らない主義のせいで、私のロマンスとやらが一つ、無視された。
しかも、
「いまどき期待する君が図々しいんだろう。それともなんだ、君は見返り込みでしか人を愛せないのか?」
何よ、その上から目線の言い草。その横柄な態度。
私は、いいえ、木の股から生まれてきた男だって、あなたよりはマシよ。
そして、
「今日が私の誕生日ってことは?」
「……ああ、忘れていた」
私のもう一つの「ロマンス」は、ゴミみたいな扱いを受けた。
気づけば私は、合鍵を叩きつけ、怒鳴っていた。
「あなたみたいな男は、ホワイトデーに気を遣ってもらえなくても、誕生日を大切に思ってもらえなくても、全然気にならないっていう、安上がりな女を一生探してなさいよ! 無神経なあなたでいいっていう、おんなじくらい想像力のない相手をね!」
私は大切にしているのよ、私のロマンスを。
願い下げだわ、あなたみたいな男なんて。
もう三月なのに、風がコートの隙間を探していて、すうすうと寒い夜。
イルミネーションが施され、スノードームを引っくり返したような街。
こんなふうに冷える日って、なんだかドキドキするの。何か少し変わった、いつもとちょっと違うことが起こりそうな、そんな予感が、どこかに隠れている気がして。
キラキラする光たちは、何度見てもときめくの。小さくて、綺麗で、またたいていて。何も聴こえないのに、つい耳を傾けたくなってしまう。
内緒話があるなら、私もまぜて。みんなの知らない素敵な秘密に、こっそり驚かされたいの。
……私はこういうふうに生きていくことが好きなのに……。
ずっと、運命の出会いに憧れていた。
恋のはじまりの一目惚れだとか、お互いしか見えないほど夢中になっちゃう相手だとか。
子供の頃は、大人になったら、私にもいつかそういう出会いがあるものだと、夢見ていた。
そして、そんなことは物語の中だけの話とわかるくらい大人になった──はずだった。
でも、もしかしたら今の彼と結婚かも、もしかしてプロポーズがすぐそこかも──なんて、夢見がちなところは相変わらずだった、今日までの私。
──もっと知的な女性かと思っていた。
どういうことよ。
パリ出張って聞いたときに、「行った気になりたいから、ディズニーランド・パリの入場券をお願い」って、おねだりしたのがダメだった?
じゃあなんて言えばいいの?
「本初子午線が真ん中になっている世界地図をよろしく」って、頼むとか?
……そんな女、どこにいるのよ!
だいたい私は、あの「伝説の十七連勤」明けに、フレンチレストランのディナーよりアメリカンダイナーのスペアリブとビールを選んで、そのままスポーツジムにまであなたを連れ込んだ──っていう、あなたの元カノより全然マシじゃない!
体育会系は苦手なんだ、君みたいに可愛らしい女性がいいな、って口説いてきたのは誰よ? 違うでしょ、知的な女が好みなんじゃない!
「思ってたような人じゃなかった」、ですって?
勝手に決めつけちゃって。自分の優先ばっかりで、私のことなんて全然考えてないじゃない。本当、図々しいのはそっちだわ!
それに、ホワイトデーに彼女をフるって、どういうことかしら。バカじゃない?
そして、彼女の誕生日に彼女をフる、っていうのもどういうことよ。本当にバカなんじゃないの?
仮に、「その日」が彼女の誕生日じゃなかったとしても、万が一、「その日」がホワイトデーじゃなかったとしても、空気読めなさすぎだわ。一日ずらしてくれたっていいじゃない。なんでこんなに大きなパンチを残すのよ?
こんなに憂鬱にさせるなんて、なんてデリカシーのない人なのかしら。
そして何より、この世で一番「ロマンス」を解さない人間が自分の彼氏だった──ってだけでも「ヘソで茶が沸かせる」くらいだっていうのに、どうして私はそんな男に惚れてたのかしら?
ポンポン出てくる悪口を、放っては踏み、放っては踏むように、私は帰り道を歩いていた。
「はぁぁ……、──きゃあっ」
ため息をついたら、バランスが崩れた。
何?
見下ろすと、パンプスのヒールが折れている。
なに? なんで急に壊れたの? なんで今?
思わず、そのままその場にしゃがんでしまいたくなるのを堪えて、どこか座れるところはないか、通りを見回した。
──すぐ横を見上げると、靴の形の看板。
もしかして私、靴屋さんの目の前でこうなったのね?
これはラッキーなのかしら、アンラッキーなのかしら?
でも、とりあえず嬉しい。
えっと、お店の名前は……「妖精の名付け親」? あら、結構素敵じゃない。
ほんのすぐそこだから、パンプスがこれ以上壊れないように気をつけながら、カックンカックン、近寄っていく。
ショーウィンドー越しの店内はちょっと暗いけど、下がっている札は、「OPEN」。扉も、そっと押したらちゃんと開いた。
よかった、まだやってるわ。
「ごめんくださーい……」
お店の中は、暖かかったけれど、ほとんど電気がついていなかった。
……あら。誰かはいると思ったけど、静か? これじゃまるで、「美女と野獣」のワンシーンね。この場合、私は、一晩の宿を求めて野獣のお屋敷に入り込んじゃった、美女のお父さん。
「──ああ、いらっしゃいませ」
なんて考えていたら、すう……っと、お店の、特別暗い奥のほうから、人が出てきた。
よかった、本当にやってたわ。
「遅くにすみませんが、今日はもうおしまいですか……?」
慌てた様子もなくこっちへ歩いてきたその人は、お店の薄暗がりに溶けていってしまうんじゃないのっていうくらい、線の細い男性──顔はよく見えない。
「いいえ。当店は、お客様が必要なときに、いつでもお越しいただけます」
レジのカウンターの真上には、ぼんやりと灯るオレンジ色の電灯。
その向こうに立った男性は、前髪が少し長め──顔はやっぱりよく見えない。
「本日はどうされましたか?」
「ヒールが折れてしまって。修理をお願いしたいんです」
私は自分の足元を指差す。
男性は、壁際に寄せてあった椅子を抱え、カウンターのこっち側へやって来た。そのまま私のすぐ後ろに置いてくれる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
私が座ると、膝に毛布までかけてくれた。この毛布、一体どこから出したのかしら。
「失礼しますね」
男性は私の前に屈んで、使い物にならなくなったパンプスを手に取る。
「直ります……?」
「──ええ、これでしたら、すぐに」
男性は私にスリッパを差し出すと、両足から、パンプスを持っていってしまった。
トン、トン、トン──。コン、コン、コン──。
男性が、カウンターの向こうにあるテーブルで、私のパンプスを直している。
彼の手元を照らす明かりも、オレンジ色。
私は暇だし、珍しいし、そっちを眺めていた。
ヒールが新しくなっていく──よかった、あれ実はお気に入りだったから。
職人さんの作業風景って、なんだかずっと見ていられるのよね。無駄のない動きで、見ていてとっても気持ちがいい。パンプスも、綺麗に直りそう。
磨く作業に入った男性の、すいー、すいーっていう腕の動きを見ながら、私は膝に乗った毛布をポンポンと撫でた。腰かけている椅子はクッションが厚くて、履いているスリッパも中がふわふわしている。
このお店、いい感じね。
少しして、さっき男性が言った通り、待ったなぁなんて思わないくらいの時間で、パンプスは返ってきた。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
目の前に、パンプスの乗ったお盆が差し出される。
私は履き心地を確かめるため、両足とも手に取った。
──キラリ。
「……え?」
夢でも見ているのかしら?
──私の手の中で、パンプスがきらめいている。
いいえ、それだけじゃない、透明に透けているわ。さっきまで私のパンプスだったのに。
驚いて、どうしていいのかわからなくて、私はパンプスをお盆に戻す。
そうしたら、きらきらと輝いていたパンプスは、元のパンプスに戻っていた。
「……あら?」
「どうかなさいましたか?」
男性が聞いた。
「……あの、これ、私の靴ですよね? さっきお預けしたものですよね?」
「ええ」
お店の男性が頷いた。
……ちょっと待ってね。
私は慎重にパンプスを持ち上げた──そんな、嘘でしょう、本当に……?
私の手の中で、私のパンプスは、また、きらきらしていて透明なものに変わっている。
どうなってるの?
お盆の上では私のパンプス、私が持つと透明なきらきら?
ずっとお盆を持ってくれているお店の彼に、反応はない。
──私にだけこう見えてるってこと? なんで? ……とりあえず、履かなくちゃ。お店の人、待っているもの。
私の目が変なのか、今何が起こっているのか信じられないのだけれど、お店の人も待っているから、私はとりあえずパンプスを床に置いた。
スリッパから足を抜き、おそるおそる履いてみる。
……あら。
履いても違和感はなかった。
でも見下ろすと、確かにきらきら輝くパンプス……。一体どうなってるの……?
「いかがでしょう」
いつの間にか、鏡を持ってきてくれていた男性が言う。
覗いてみると、鏡の中に映っているのは、ちゃんと、元の私のパンプス。
そして、自分の足元を見下ろすと、きらきら透明なパンプス。
もう一度──鏡の中は、私のパンプス。私の足には、輝くパンプス……。
一体どうなってるの? 本当に不思議だわ。目と違って、鏡はさすがに嘘をつかないもの……じゃあこれは、私の「目の錯覚」なのかしら? なんだか、「不思議の国のアリス」みたいね。
「いかがですか?」
じいっと鏡を見ていたら、また、男性が聞いてきた。いつまでもこうしていても仕方ないわ。
「──あっ、ありがとうございます。えっと……修理代、おいくらですか?」
すると彼は、笑ったの。
「いいえ、結構でございます」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。
だって慈善事業じゃないのよ? それなのに、男性は続けて言う。
「運は気まぐれです。さ、逃げないうちにどうぞ」
「え、あの──え!? わぁっ──」
話が途中だっていうのに、なんと、足が勝手に踏み出した──違う、パンプスだわ。パンプスが勝手に歩き出したの。
何、どういうこと、ちょっと待って、きゃあ──。
透明で輝くパンプスは、私の意思なんてお構いなしに、扉に向かってずんずん歩き、私は慌てて扉を押し開けて、私が全部、お店から出てきてしまった。
コツコツ、コツコツ。
追いかけてくるような、少し先を行っているような、アスファルトに鳴る、小気味良い音。
止められないし、転びそうでもない。私はパンプスの向かうまま。
お店の人、止めてくれなかったわ。
それどころか、なんとなく、笑っている気がしたし、最後にちらりと見えた彼は、お辞儀をしていたような気がする。
どうなってるの? いつまでこうなの? これからどうなるの?
パンプスがどうなっているのかなんて全然わからないまま、私はしばらく歩いた。でも、思わず話しかける。
「ねぇ、あなた、一体どうなってるの? あなたは誰なの? 私のパンプスよね?」
もちろんパンプスは答えない。
これってあれだわ、まさに「赤い靴」。私のパンプスはベージュだったのだけど、なんなのかしら……?
それなのに……どうしましょう。こんなときだっていうのに、私はなんだかちょっと、わくわくしてきてしまったの。
だって、こんなにキラキラしているなんて。今、こんな素敵な靴を履いて歩いているなんて。
嘘でも本当でもどっちでもいい、「私には輝いて見えている」ということが、一番大事だと思ったの。
しばらく歩いて、そして私とパンプスは、いつものコンビニに来た。私はよく、仕事帰りにここへ立ち寄っている。もっと不思議な所へ連れていかれるのかと思ったけれど、現実世界じゃこれが限度なのかもしれない。
コンビニに入っても、パンプスはまだ勝手に歩いて、やがて、ひんやりした棚の前でピタリと止まった。
──あら。
目の前には、私の好きなプリン。ちょうど、最後の一つ。
ここに連れてきてくれたの?
見下ろすと、えっ……。ほんのさっきまであんなに輝いていたのに、パンプスは、元の私の、いつものパンプスに戻っていた。
魔法が終わってしまったのね。残念。とても、短い出来事だったわ。
私はプリンを見た。
黄色くて、滑らかそうで。丸いカップに入っている。とてもシンプルだけど、生クリームだとか別添えのカラメルソースだとか、ゴテゴテしていないから、飽きなくていいし、ほっとするの。疲れている夜も、夜更かししたい夜も、このプリンを買って帰るのが楽しみだった。何度も同じことをしたものだから、パンプスも覚えていたのかしら。
……ひょっとして、元気を出せってことなのかな。これ好きでしょうって? こんなときこそ、甘いものを食べたら、きっと気分がよくなるよって? それともこれは、私が無意識に求めていたの?
私、さっきまで怒っていた。けど、本当は落ち込んでいるのね?
……だって。
素敵なことが待ってるって、期待するじゃない。
ホワイトデーだもの、誕生日だもの。
彼氏がいるのに。今日は二人とも出勤日なのに。
……私が何を大切に思うのか、何を特別に感じるのか、そういうのを一番わかってほしい人に、わかってもらえなかった。
何もしてもらえなくて、悲しかったわ。
あんなふうに言われて、びっくりしたわ。
最後までわかり合えなくて、虚しかったわ。
私は一人になったんだって、今、寂しいわ。
……そうよね。こんな気持ちは、甘いプリンに癒してもらおう。そして、綺麗さっぱり忘れてしまおう──。
気持ちが固まって、私はプリンに手を伸ばした。
トン──と軽やかな音を立てて、私の手は阻まれた。
「──あら?」
「あっ、すみませ──」
そこには、プリンが見えなくなるくらい、大きな手。隣を見ると、人が立っていた。
さっきまで私しかいなかったのに、いろいろ考えている間に誰かが来ていたのね。
私は伸ばしていた手を戻す。私のほうが遅かったみたいだから。
肩をすくめたい気持ちで、私は隣を向いた。大きな手の誰かさんは、よく見ると制服だった。そして、見上げてしまうくらい背が高い、男の子だった。
「こっちこそごめんなさいね。爪、ぶつかったと思うんだけど、大丈夫?」
「──あっ、大丈夫です、俺こそ、払いのけたみたいになっちゃって、すいません……!」
大きな男の子は申し訳なさそうに言うと、ガバッと頭を下げた。
年下なのに礼儀正しい。きっと、どこかの無神経人間なら、ここで小言を言ってきていたわね。本当に、他人の素直な気持ちをなんだと思っていたのかしら……。
「あの、ホントにすいません……これ、どうぞ」
また落ち込みかけていたら、男の子がプリンを差し出してくれた。
すまなそうな表情。私さえその気になれば、簡単に持ち上げてしまえるように、ただプリンを乗せているだけの、大きな手。
こんなに年下の子から、お菓子を取り上げるなんて、出来るわけないじゃない。それに……。
「──いいえ。きっとあなたは笑顔になるから、そのプリンはあなたが食べて」
……私が食べたら、癒されて忘れてしまう途中で、きっと、泣いてしまうもの。
もともと、今夜はまっすぐ帰ってしまうつもりだった。ぷんすか怒ったまま、悪口に忙しいまま、きっと心が悲しんでいることにも気づけないままで、眠ってしまうところだった。
こんなに短い時間で色々と考えられて、こんなに早く、少しでも忘れてしまおうと思えたなんて、上出来だと思うの。
それに、あのプリンは売り切れていたわけじゃなかったし、取られたわけでもない。私のパンプスが、せっかくキラキラになって連れてきてくれたのだけれど、買いもせず、それどころか、なんだかいいことをしたような気分で、私はコンビニを出た。
これでよかったんだと思う。なんとなく、踏ん切りがついた感じ。
さて、帰ろう──と、歩き出したら。
「──あのっ、これ……! ホワイトデーのお返しです!」
さっきの声が、追いかけてきた。
全然覚えていないのだけれど、バレンタインの夜も、私はこのコンビニで買い物をしたみたいだった。
本当に覚えていないのだけれど、その日、このコンビニは、バレンタインフェアで福引きをしていたみたいだった。
私は福引きをして、当たりを引いて、小さなチョコレートのお菓子を貰ったらしくて。
でも、偶然自分でもそのチョコレート菓子を買っていた私は──その日、彼氏に素敵なチョコレートをあげて、ご機嫌だった私でもあって──当たったお菓子を受け取ると、レジの店員さんに、私が買ったほうのお菓子をあげたらしいの。
そして、その店員さんはバイトの子で、そのバイトの子は、今目の前にいる男の子だったんですって。
……小さなチョコレートのお菓子のことだけは、なんとなく覚えている……。
「俺、あの日、彼女にフラれたんです」
男の子が頬をカリカリと掻きながら話している。
「チョコも貰えなくて……あ、物が欲しかったとかじゃないんですけど、好きな子からチョコ貰えるっていうの、超楽しみにしてて──」
わかるわ、その気持ち。
「すっげー凹んで、マジ泣きそうでバイトしてたんですけど、そしたらお姉さんが、チョコをくれて……。ただのお客さんとバイトで、全然なんでもなくても、俺嬉しかったんです。お姉さん綺麗だったし、笑った顔とか超可愛くて」
そして男の子は、さっきのプリンの入ったコンビニの袋を差し出して、さっきみたいに勢いよく、頭を下げた。
「チョコレート、ありがとうございました! あなたのこと、ずっと気になってました! 彼氏……候補でもいいんで、なりたいです! そういうの前提に、マジで友達から始めさせてください! てか、その前に俺と知り合いになってください!」
頭を下げたままの男の子と、びっくりして何も言えない私と、宙ぶらりんで待っているプリン。
そんな私たちの上に、冷えに冷えた空から、白くて小さなものが降ってきた。
──雪。道理で寒いわけよね。
「──ホワイト・ホワイトデーね……」
「──あ、ホワイト・ホワイトデーじゃん」
空を見上げた私と、雪に気づいて頭を上げた男の子は、二人とも同じことを呟いた。誰かとハモるなんて、どのくらいぶりかしら。
「えっ、なになに? 何が面白いの?」
くすっと笑った私に、男の子は、好奇心旺盛といった感じに首をかしげる。
こんな子に、私はなんて答えてあげたらいいのかしら。
「そうね……私、あなたが思ってるようなお姉さんじゃないと思うの。夢見るのはいいことだけど、お互いが傷つく前に、いい思い出だけで終わりにしましょ?」
少し私情をはさんでしまって……私は憂鬱そうに見えないよう、なるべくにこりと笑った。
「お姉さんはどんな人?」
男の子はすぐに聞いてくる。ええと、なんて言ったらいいのかしら──。
「──毎晩、ぬいぐるみと一緒にご飯を食べる人間よ。ワインより苺オレが好きで、お肉は一口サイズが好き。あとは……ホットケーキとピンクの口紅、それからプレゼント交換。──私はそういう人」
男の子はぽかんとしている。ちょっと言い過ぎたかしら……。
雪がちらりちらりと降っている。
まばたきしている男の子に、私が「だから、それはあなたが食べてね」と言おうとしたとき、プリンの入った袋が急に近づいてきて、私はコートの袖を握られていた。
「俺、そういうお姉さんがいい! 俺も一緒にそういうのしたい! ……色々聞いたから、ちょっと忘れたけど……」
あら、可愛い。スマートなスパダリに憧れてきたけど、ちょっと抜けた元気系もありかしら。
それに、誰かと話すのって、確かに気分転換になるわね。
私はまたくすっと笑って、男の子に聞いた。
「これからどうするの?」
「えっと、一応帰ります」
男の子が駅へ続く通りを指差した。
私は、そうなったらいいな……なんて思いながら、誘ってみる。
「駅まで一緒に行く?」
「マジで? 行く!」
返事はすぐに返ってきた。ほぼ同時に、男の子が私のほうへ来ようとする。若いって元気ね──と思ったら、雪が薄く積もったアスファルトで、男の子はずっこけた。
「う、わっ──」
「大丈夫? きゃっ──」
「わー! お姉さん!」
間抜けなことに、心配になって駆け寄ろうとした私まで、バランスを崩す。こんなときに、また、パンプスが脱げてしまった──でも、どうにかなる前に、男の子に抱きとめられた。
あの状態から立て直して、しかも一瞬でここまで来ちゃうなんて、若いって本当に元気がいいのね。それに、抱きとめてくれた腕は、なかなかたくましい。
「あー、ビックリしたー。お姉さん大丈夫? でもシンデレラみたいじゃん。今、雪だし」
うん?
「……白雪姫のことかしら」
ちょっと混乱しながら、私は体を起こそうとする。
「え? 魔法で寝てて、王子様にキスされて起きるやつでしょ?」
男の子がゆっくり、支えてくれる。
「それは眠れる森の美女ね」
「あれっ、じゃあ毒リンゴは?」
「それも白雪姫よ」
男の子ってこんなものなのかしら。ごっちゃなのね。
「……ガラスの靴は?」
「シンデレラよ」
男の子がにーっと笑った。
「じゃあ、さっきのお姉さん、やっぱシンデレラだね。それ、形、ガラスの靴っぽいし。はい、掴まって」
私の後ろに転がっていたパンプスを、長い腕を伸ばしてひょいと拾う。私の手を自分の肩にぽんと乗せ、自分はしゃがんだ。そして、本当にシンデレラにガラスの靴を履かせるみたいに、私の足にパンプスを差し出してくれる。
──キュン。
今、どこかで何かが鳴った。
「へへ、俺、背でかいから掴まりやすいっしょ。バスケ部なんだ。──よし、オッケ」
私、今、胸キュンした……?
「……プリン、半分こしよっか」
「えっ、いいの? よっしゃ!」
気づけば私は言っていた。男の子はまた即答で、小さくガッツポーズをしている。
君も、このプリンが好きなのね。言ってよかった。じゃあ、どこで食べよう……?
……駅前の広場に、噴水がある。あそこ、前から恋人と座りたかったのよね……。
「あっ、お姉さん。駅んとこに噴水あるの知ってる? 座れるから、そこ行こうよ」
私の返事なんか待たないで、彼は笑顔で私の手を取り、そのまま歩き出す。
手を引かれて歩く私には、もう、彼しか見えない──。
雪の降る中をしばらく進んで、私は大切なことを思い出した。
「……私ね、今日、誕生日なの」
「マジで!? え、おめでとう!」
振り返った男の子の目が、まん丸。
「じゃあお祝いしなきゃ! ホワイトデーが誕生日とか、一年で一番忙しい日じゃん!」
一年で一番……? そんなことを言ってくれるの……?
「ケーキ何にする? あっ……」
それまで楽しそうに、忙しそうだった彼が、静かになった。そして、恐る恐るといったふうに聞いてくる。
「一緒に食べる人、いる……?」
さっきの私と同じ気持ちだと思った。彼も今、そうなったらいいなと、きっと思っている。
私はもう、悲しくない。悲しんでいる暇なんて、私にはもうない。
だから、にっこり笑って答えてあげたい。
「いないわ──私は苺のショートケーキが好きよ。君は?」
「俺なんでも好き! でも今から、お姉さんが好きなショートケーキが一番好き」
こんなふうに純粋な瞳を向けられるって、嬉しい。雪に、素直に「雪だ」と喜ぶ素直さが、嬉しい。ホワイトデーも誕生日も、特別に思ってくれる人と、出会えて嬉しい。
それは、私も同じように思っていいって、言ってくれているってことでしょう?
こんなことが起こるなんて、なんて素敵なのかしら。
ふと、彼が聞いてくれた。
「──あ、寒いけど、お姉さん平気?」
「ええ。雪は好きなの」
他人に気を遣えるって、本当に素敵ね。
見上げた彼は、本当に背が高い。
「……ねぇ、俺って、お姉さんにとって、どんな感じになれそう?」
視線が心の奥まで届きそうなくらい、まっすぐ見つめられる。この瞳に、私はどんなふうに答えてあげたらいいかしら。
「私にはロマンスがあって、それを大切にしてくれる人を探してるの。君が一緒にそうしてくれたら、嬉しいわ」
「マジ!? っわー、ありがとう!」
彼に、ぎゅーっと手を握られる。
「……行きましょ?」
私から一歩、歩き出す。
「うん。──ねぇ、それで、お姉さんのロマンスって、何?」
隣で一歩踏み出しながら、彼が聞く。
「……今日だけじゃ、教え切れないわね」
「えっ、ホント?」
「それに、君のことも知らないと。でしょう?」
「だね!」
彼は嬉しそうに笑った。
その笑顔はとてもきらきらしていて、私は、何よりも素敵な私のロマンスを、見つけてしまったことに気づいた。
<終>