第3話 帰宅する者、会いに来た者
眠い。
現在、午前四時過ぎ。
なぜ私がこんな時間に起きているか、って?
そんなの決まっている。仕事だ、仕事。
店の片付けが終わり、あとはタイムカードを押して帰宅するのみ。
今日早めに出勤していた店長は、お酒を飲んで寝ているだろう。お疲れさまです。
んで。
「しゅーりょ」
轟くんの方も閉め作業が完了したようだ。
「買い足しする物は……」
お菓子や食材の在庫をチェックする。少なかったり、在庫がなかっりしたら明日の営業に支障をきたす。ので、冷蔵庫にあるホワイトボードに書き込む。それを見て、朝の清掃と準備担当の人が用意するのだ。
一度経験したが、あれは大変である。使用した部屋の清掃だけでも疲れるのに、トイレも勿論。通路、カウンター周り、厨房の床磨き。さらに、銀行へ売上げの振り込みに買い出し……あー、思い出すだけでもげんなりする。それを開店までに頑張ってする担当――由良さんのパワフルさを改めて尊敬。そして感謝する。
「なし、と。よーし、帰りますか」
とくに買い物はない。
ので、二人分のタイムカードを手に取り、器械へセットする。
ジー……カション。
ジー……カション。
と、音をたて二枚のカードに退勤時間が刻まれる。
轟くんは、荷物を持って支度はできているようだ。
私も私物を持ち、最終チェックをする。
火元、よし。
炭酸ガスのバルブ、よし。
フライヤー、よし。
うん。問題なし。
電気と換気扇のスイッチをオフにする。
轟くんも通路、カウンターなど店全体の電気を消した。
そして、出入り口をくぐるり戸締まりをする。
最後にセコムをセットして、本日の営業終了。
「お疲れさまでーす」
「お疲れっした。また月曜日に」
挨拶をし、お互いに車へ向かおうと踏み出す。
数歩だけ進んだ時。
ふと、物陰から黒い物体が視界に入った。
そちらへ目をやると。
「ハニー」
一週間前に来店した黒ずくめの女が、そこに立っていた。
小さく手を振って。
「うおっ!?」
ビックリして大きな声が出る。そこに人ーーしかもあの女がいるとは、想像していなかったからつい。
私の声を聞いた轟くんが「どうしたんですか?」と、駆けつけて来てくれた。ごめんね。せっかく、車の近くまで行ったのに。
轟くんも彼女の存在に気づき「あ」と、声を漏らした。
「ハニーったらヒドーイ。でも、驚いた顔のハニーもか・わ・い・い」
と、ハートを散らす。
あっちこっち、に。
「……はは。さようなら」
「はーい。私の存在を無視しなーい」
車を停めている方向とは逆だが、逃げようとするも。
にこにこ、と私の肩を彼女は掴んだ。
……嫌だな。
振り向くのが、非常に嫌だ。
だって。
「なあに? 私の顔になにか付いてるかしら? あ、それとも私の美貌に釘付けとか? いやん、ハニーったら! もう!」
これだ。この恋する乙女脳。
彼女と同じ女だけど、ついていけそうにない。そう感じるのは、私が女らしくないからだろうか? それとも、異性を好きになったことがないからだろか?
一方、轟くんは。
こちらを心配そうに眺めていた。彼のことだ、なにかあってはいけない、と待機しているのだろう。しかし、だからといって彼をこのままにしておくのは可哀想だ。彼だって仕事で疲れているだろうし。それに、もう眠たいだろう。
だから。
「あー……轟くん。帰って大丈夫だよ」
と、促す。
「いんっすか?」
「大丈夫じゃないけど、どうにかするよ。ありがとう」
そう言うと、彼は愛車へと歩いていった。
エンジンがかかり、音が響く。
駐車場から車道へと出ていく車内から、彼は会釈をしてくれた。
私もそれに応え、彼を見送る。
――さて、と。
渋々、女性へ身体を向ける。
私より高い背丈。余裕で一七〇センチはあるな、クソ羨ましい。
「……で、ご用件は?」
なるべく優しく問う。
「約束通り、ハニーに会いにきたのよ。本当は、もう少し早く会いに行くつもりだったけど、仕事が忙しくて……遅くなってごめんネ。あ、ハニーに会えないからって、浮気なんてしてないからね。私はハニー至上主義なんだから。でもでも、嫉妬してくれても良いかなあ、なんて……きゃー! ハニーったら!」
勝手に話して勝手に照れだした。
……これ、放置してもいいかな?
よし、帰ろ。
自分の世界にトリップしてる間に、横を通り過ぎて車へ。
ドアを開けて、キーを挿す。
エンジンを回転させ、ハンドルを動かした。
車道に出る直前で、女の意識は戻ったようだ。慌てて「ハニー!」と、接近して来るが残念。
アクセルを踏んで、おさらば。
サイドミラーに映る女が、段々と小さくなる。
そして。
姿が見えなくなったくらいで、スピードを緩めた。
ほっ、と息を吐く。
これでやっと気分良くハンドルを握れる。
好きな曲を流し、私は家路を辿った。
なにも知らずに。