第13話 通り魔VS狐
――同時刻の某所。
こつり、こつり。
硬いアスファルトをハイヒールが蹴る。
目的なく、ふらふらとさ迷う。その姿はまるで行き場のない幽鬼の如く。
否、目的はあった。
昨日に引き続き、自身の欲望を解放する対象物を探しているのだ。
時折、通過する車はある。しかし、見えていないのか素通りして行ってしまう。
道端に居る小さな妖は、恐れるかのように逃げ隠れる。
風で靡く黒い髪。異常なくらい白く、透き通った素肌。長い手足。すらりとした身長に、細く薄い肉付き。俯いているため顔は分からない。そして、右手に持つ刃物――鉈が鈍く輝く。
それを、電信柱の上から眺める人物がいた。
中折れ帽子を眼深く被る、全身黒ずくめの女――玉藻だ。
花の貌には表情はなく、冷たい視線を向けていた。
「どんなに妬み、嫉み、怨み辛みがあったとしても、人間堕ちてしまってはただの化け物。意味もなく、ただひたすら破滅という享楽に進むだけなのに」
理解できない、といった口振りで玉藻は呟く。
帽子を直すなり、ふわり、と降り立つ。
そして、腰辺りから白銀の尾がひとつ。
「本当に人間って、なんて愚かで醜く、強欲な生き物なんでしょうね」
穏やかに揺れていた尾が、玉藻の意思によって目の前を行く人物へと襲う。
が。
金属同士がぶつかる音が響き渡る。
どうやら寸前の所で、鉈で弾き返されたようだ。
「な……っ!」
玉藻は驚きのあまり目が大きくなる。けれど、次の瞬間には元へと戻っていた。
軌道が反れた尾を、そのまま横へ薙ぎ払う動作へと変える。
しかし、これも鉈で防いだ。足と腰で踏ん張ってはいたが、身体は歩道から出て車道まで押される。
その際、歩道と車道の境に作られた、煉瓦で囲われていた植え込みを破壊。粉々となり辺りを散らかした。
黒い線を地面へ刻み。煙が宙を舞う。
「なかなかやりますね。酒呑さん程ではありませんが、この私の一撃を一度ならず二度も耐えるとは。褒めてさしあげます――――ですが」
ざわり。ざわり。
尾が生えている所から、ひとつ、ふたつと同じ物が伸びる。
「もうふたつ追加しても、凌げれますかね!」
天高く上げられたふたつの尾。
それを叩きつける勢いで振り下ろす。
だが、標的に掠りもせずアスファルトを砕くだけ。
避けた所へ目をやると、迫りくる刃先――鉈だ。
帽子を支え上体を反らし回避するも、すぐ左側腹部に蹴りがめり込む。
筋肉が悲鳴をあげ、骨の軋む音がした。
「か……っ!」
横隔膜にも響き、一時的に呼吸が停まる。
よろめきながら痛みを堪えるが、視界に入ってくる脚。
かわすにも間に合わず、側頭部に直撃する。
が、帽子に添えていた左腕で衝撃を受け止めた。
「っ、とに……どっかの戦闘馬鹿と違って荒事は苦手なんですよ、っと!」
お返し、といわんばかりの反撃をする。尻尾で相手の左側腹部への打撃だ。
くの字に体が曲がり、再び車道へとふっ飛ぶ。
のだけども。
タイミングが良いのか悪いのか。運送の大型トラックの登場により轢かれた。
飛ばした本人も「あ」と、思わず声をこぼすほどに。
高く跳ね上がり、ぐしゃりと落ちた。夜間帯なこともあり、スピードはかなり出ていたようだ。
トラックを路肩に停止させて、運転席のドアが開く。降りてきた運転手は、やはり青ざめていた。
見た目三十後半から四十手前くらいの男性だ。身長は玉藻より低く、一六◯センチ代であろう。腹部にやや肉が付いている。
ぽかん、としていた玉藻も正気に戻る。
そのまま走り去ってくれていたら良かった。常識的には運転手が正しい。だが、相手が悪い。なんせ相手は、車に轢かれてたくらいでは死なないのだから。
「あー……そこの運転手さん」
辺りを見回している男に声をかける。ここから立ち去ることを伝える為にだ。
玉藻へ振り返ろうとした運転手。だが、彼の鳩尾から赤い突起物が生えた。いや、違う。轢かれたアレの腕だ。
男は患部を見るが、何もない。自身の身体に突然穴が開いた、としか認識ができないのだ。
「……え? なん」
で、と続けられる筈の言葉が途中で途切れた。
鋭く伸びた爪で、男の首を斬ったのだ。
首から先が無くなった胴体越しに、アレは伏せていた顔を玉藻へと向ける。
切れ長な目に、少し開いた口。白い小面がある筈だった。しかし、玉藻の視界に入ったのは、角を少し生やして髪を乱した女面であった。
「……生成り、ですか」
面を見るなり、玉藻は顔をしかめた。
【生成り】
なまなり、と読む。能面のひとつ。角が生えかけた女面。女性の怨霊に用いる。般若を中成、蛇を本成とも呼ぶことに由来する名称。生成は般若になる前段階。女性の中の魔性がまだ十分に熟さない状態を表す。
蛇よりもさらに憤怒の相が極まった面は真蛇と呼ばれる。嫉妬の憤怒度は生成→般若→蛇→真蛇の順に強い。
男だった肉塊から腕を外し雑に捨てるなり、髪と背中の間へと両手を差し込む。すると、玉藻に投げた鉈と同じのを二挺取り出した。
「殺る気満々ですね。例え非戦闘要員でも、そう簡単にはやられませんよ。なんせ年季では私が上ですので」
ああ、それと。と、玉藻はさらに言葉を加える。
「貴女、とても醜いですわよ」
生成りの説明文は調べて、それを引用させていただきました。