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冷笑(旧)  作者: 仁科学
ヴィクトリア朝の亡霊
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第三章 斉唱

「人のこと嫌いになるってのは、それなりの覚悟しろってことだぞ」

─映画『バトル・ロワイヤル』より

傷を庇い、ジャングルジムへと背を預ける千秋。そんな彼の周囲を数人の男女が取り囲んでいる。

「……何してんだろ、シナさん」

そんな呟きを漏らした。

「……仕事かねぇ……ああ、ついてねぇなぁ」

彼が言っている最中だったが、相手にとっては無関係なことで、全員が一斉にジャングルジムへと押し寄せた。

「イチかバチか…………やってみるか」

何か合図が欲しかったのだろう。千秋はパチンと指を鳴らした。すると、迫り来ていた人々は皆誰かに突き飛ばされたようにその身をはぜさせ、特にサバイバルナイフを握った男は端の方にいたのだが、隣にいた別の男の右肩を跳ねた拍子に刺してしまった。無論抜き取るまでに何秒とかからなかったが、それでも結果を知るより先に動いた千秋が、逃げ出すには十分なブランクとなった……

公園を通り抜けた先で、千秋はもう自分が追いかけられていないことに気付いた。

「……何だったんだよ、アイツら」

気にはなったようだが、引き返す気にはとてもなれなかったようだ。


奥都城が目を覚ましたのは、そんなことがあった数分後というところだった。

起き上がったあと、倒れていたときに床へ面していた体の右側を軽く払うと、くだんの黒猫を一瞥した。当の黒猫はというと、背中の毛を逆立てて彼の方を睨み付けている。

そして奥都城は、一度黒猫から目を離すと、窓を閉めに行った。部屋のドアは最初から閉まっている。奥都城は尻ポケットからジャックナイフを抜いた。

……そこから先は語るまでもない。


もっとも奥都城は、彼の家の側、しかも彼から見えない位置に車を止め、静かに舌打ちする生天目・兄の姿にまでは気付いていなかったようだが。


その後千秋は病院に行き、刺された原因を暴漢に遭ったと説明したが、犯人が特定されることはなかった……


ここいらで、今の話をさせてもらう。

「……考えさせてくれ」

と俺は応じた。

『構わないけれど……時間が立てば不利になるのは君らの方だからね』

時任は穏やかかつゆっくりとした物言いでそう言うのである。

「まあ、負け惜しみのひとつとでも思ってくれていいが……」

自嘲気味に鼻で笑う俺。続けて、

「……オマエは血脇ちわきさんにはなれない」

抑揚などつけず、一息でこう言った。この時の俺の感情を加味するなら、言ってやった、というところか。

とはいえ、時任の反応は極めて冷静なもので、微笑みを浮かべる様が目に浮かぶような小さな鼻息を聞いたかと思うと、

『……肝に、命じておくよ』

と変わらぬ口調で返すのである。

電話が切れたのは、それから何秒と経たぬうちだった……


そういえば時任という男の風貌について触れていなかったので、ここで触れることとする。俳優のオーランド・ブルームを彷彿とさせる端正な顔立ちで、細身で手足が長く、長身に見えるが、背格好自体は日本人の平均身長に等しいか、それより幾らかは高いかという程度。嫌味を込めて言うなら、クモのような体型をした男である。このときは、ダークグレーのシャツに、白っぽいグレーにネイビーでカタカナのノを思わせる右肩上がりのストライプが入ったネクタイを締め、黒いベストを着ている。

この日の時任は家にいた。家から電話をかけていた。そうして今、彼は一人掛けのソファーチェアに腰を据え、背もたれの頂点に自らの首を乗せ、側にあった黒いCDラジオの再生ボタンを押した。

ラジオから流れる一曲の歌。目を閉じた時任。

なおこのとき、彼の部屋の中を一匹の触覚と片翼のないメンガタスズメ─ガの一種─らしきものが飛んでいた。

『……I think I'm drowning』

前奏が終わった頃になって、ドアの開く音がした。時任が振り返ると、ドアの前には一人の女性。

くせ毛のロングヘアーで、目は小さくて鼻は丸く、アゴのラインは俗な言い方になるがエラが張っている。彼女の体型は痩せぎすで、特に両手の指などはボールペンのようだが、顔だけは太っていた。お世辞にも美人とはいえない風貌である。

肩の少し下辺りに紺色でほつれた糸のような装飾があり半袖で淡黄色のボタンシャツには、金色と紺の横縞が入っていて、下に着ている白シャツの長袖が両手の手首までを覆っている。履いているスキニーの色は黄土色。それと、赤いフチの眼鏡をしていた。

御法みのりか……」

と彼女に笑いかけた時任は、ラジオの停止ボタンを押す為に一度向き直ったのち、改めて彼女の方を向くと、

「……どうかしたの?」

と話しかけた。

「いえ、その…………そろそろお電話をされた頃かと、思いまして……」

伏し目がちに話しかける女性。

「……よかったんですか?これで」

「そうだねぇ……」

時任は立ち上がると、彼女に向けて、

「……心配しなくていい。ボクらは悪いことをしてる訳じゃないんだから」

そう告げ、そして微笑みかけた。

「……ですが」

依然彼女の視線は下がったまま。

「……時には、後ろめたい思いをすることもある……後ろめたいと思うのは君が優しいからだ。その気持ちは大事にすればいい……ただ、人は時に人を傷つける決断もしなくちゃいけない」

時任という男は、実に感情豊かである。この話の中でも、最初はゆったりとした口調だったものが、「ただ」と言って以降は、その言葉こそ優しいが強い語調へと変わっている。表情にしてもそう。微笑んでいた優しげな顔は、例の文句を境に真剣な顔付きへと変わる。たとえそれが、彼の芝居だったとしても……

それから彼女の側まで歩み寄り、

「……大丈夫だよ。一人じゃないから」

そう言いながら、彼女の手を握るのである。

「そうです……」

と女は呟いた。

「そうですよね」

そう言った彼女は口角を上げて笑顔を演出するが、その身はごく小さくながら震えているのである。

「……今日はもう遅いし、先に寝てて。まだすることがある」

「……はい」

作り笑いを浮かべたまま、部屋を後にする女性。残された時任は、またラジオの再生ボタンへと手をかけた。

『I wanna play the game……』


俺はゆっくりと受話器を置いた。

「……だっせぇな、俺」

そんな呟きを聞いてか聞かずか、誰かが俺の肩に手をかけるのである。誰かと言ったが、勿論この部屋には俺の他には一人しかいない。彼女の左手だった。咄嗟に振り返ろうとすると、その手を俺の頬に当てて、

「……振り向かないで」

と言った。とても小さい声だった。おそらくは俺の呟きよりも。俺が捻りかけた首を元に戻すと、

「サイゴに……聞いておきたいんだけど……」

と言うのである。思わず、

「……最後?」

と聞き返してしまった。

「なんか、こういうの……誰かさんみたいで、なんかキザっていうか……嫌なんだけどさ……まあ、答えてよ」

俺は静かに、ただ首を縦に動かした。直後後悔したが、彼女はそれで分かってくれたらしい。

「……好きだったことある?……私を」

僅かにだが、その声は震えていた。俺には、ほんの数センチ後ろに立つ彼女の表情が想像できなかった。だからだろうか、

「……ああ」

と曖昧な返事をした。彼女に引きずられてか、俺の声も多少震えている。

「……誰よりも?」

唾を飲んだ。比喩でも何でもなく本当に。それから数秒、いやもっと長く、俺は黙っていた。心臓の音すら大きく聞こえる静寂の訪れの中、顔に出来うる限りの作り笑いを浮かべつつ俺は、

「なあ、さっきから何の話を……」

と言いかけて振り返り、彼女の意図するところを知った。

「私はね……」

震える彼女の右手には包丁が握られていた。この包丁、我が家に置いてあったものではない。彼女が持ってきたものらしかった。

「……違うから」

左手を添え、彼女はその刃を俺の背中へと突き立てた。避けようとしたが、両足が石を乗せたかのように重くて駄目だった。やはり比喩でも何でもなく、実感として。刺さった位置は、前面でいうところの左胸の辺りである。

彼女は一度包丁から手を離し、数歩ばかり後退りした。やっと動けるようになったのがその時。ただし、俺の体は脆くも床へと倒れた。


……時任の元にはまもなく一報が届いた。

「……緑川さん、お疲れ様……迎えの者をよこすから、悪いがしばらくその場で待機していてもらえるかな?」

『いや……でも……』

緑川は吃りがちにそう答える。

「気持ちは分かる……死体の側にいろというのは、酷な話だとは思う……でも、君の為でもあって、ね……少しの時間だから、待ってもらえないかな?」

彼は変わらず優しい口調で語りかけるのである。

『わかり……ました……』

「……恩に着る。では」

時任はゆっくりと受話器を置いた。


時任が書斎を出ると、そこは玄関に面してソファーが置かれた廊下で、そのソファーには例の赤い眼鏡の女性が腰を下ろしていた。部屋を出た瞬間、二人が目を合わせるのは必然だった。

「……時任さん」

女が立ち上がる。

「起きてたんだ…………ギリギリまで寝ていてくれてもよかったんだよ?」

といつもの優しげな口調と微笑みで返した。

「……えっと」

彼女はまるで神に祈るかという風に、左右の指を交差させ、両腕を胸の前に突き出している。それも伏し目がちに。

時任はその側まで来ると、

「何をするか…………わかってるね?」

と言った。女は何度も首を縦に振った。

「……言ってみて」

「……難波なんばさんの運転する車で仁科さんの家の前まで行って、後部座席に隠れておいて……それから……」

彼女の視線はどこか下の方にあり、時任の顔を見ようとはしない。次に出てくる言葉を想い、彼女は震えた。

そんな彼女の肩を撫でながら、

「……仁科クンの遺体を確認したら、彼のケータイを持って返ってくることを忘れないでね……千秋クンへの連絡はボクからするから。ロープは助手席のイスの下に置いてある……出来るね?」

と時任が言う。

「……はい」

震える口でそう答えた。

時任はそんな彼女をその両腕で抱き留めると、

「……ありがとう」

と彼女の耳元でささやくのである。

「……いってらっしゃい」

「はい……」

そうして彼女は玄関へと歩いて行くのだが、その彼女が靴に足を伸ばしたところで、

「……いい忘れていたことがあったな」

と呼び止めた。振り返る彼女に時任は、

「……もしも仁科クンにまだ息があった場合は、助かりそうなら、ここまで連れてきてくれ。もし……」

と言いかけたタイミングで、

「……助かりそうになかったら?」

と問うた女性。時任は少し微笑んでから一言、

「……殺せ」

と答えた……


同じ頃、生天目・兄の姿は彼の愛車の中にあった。今彼は電話をかけている。その相手は、

「……平生さん?私です……生天目です」

『……連絡を待っていた。それで?』

彼は車の外の様子を確認しつつ、

「奥都城倫敦についてですが…………信頼に足る人物と判断してよろしいかと」

と答える。

『そうか……』

「彼の残虐性については否定できませんが、こちらのオーダーを忠実に守っていましたし、ここ数日の行動を観察した限りでは……」

『それなら……ここは友井と君の判断を尊重しよう』

「……有り難うございます」

と彼は電話口ながら頭を下げた。

『ところで生天目クン……夕食は食べたか?』

「……いえ、まだですが」

『……一緒にどうだ?』

彼の目線が一ヶ所に固定され、そこからは規則的に動いていく。

「お気持ちは有り難いですが……これから妹と食事する予定でして……」

丁度、噂の妹が助手席のドアを開けたところだった。

『そうか。では、また次の機会に、な……』

「……はい。失礼します」

口ではそう言ったものの、電話を切るのは平生氏の方からだった。そののち、妹の方を向いて一言。

「……行くぞ」

と言った兄。

「どうぞ」

と妹は応じた。


では、当の平生氏はというと、この時の彼はある店にいた。

細かいストライプの入ったシルバーのネクタイを締め、黒のYシャツに、白いジャケットを羽織っていた。

「……残念だが、生天目クンは来ないらしいぞ」

そう言いながら、平生氏は

「……そうすか」

平生氏の目前には一人の男性。

胸に赤いハート型のペイントがされた白のTシャツを着た青年である。

「……まあ、楽しんで行けよ。是近これちかァ」

お冷やの入ったグラスを三本指で引き上げるように持ち、平生氏は笑っていた……


─俺のその後について。

彼女が震える手で包丁を抜き取る。見てはいなかったが、きっと血が飛び散ったのだろう。俺は全くもって奇妙なことだが、痛いという感覚はなかった。体の方はもうダメだと判断したのか、セックスの比ではないような快感を俺に押し付ける。痛みは感じていなかった。

次に俺が見たものは、緑川の顔だった。あれはどんな表情だったろうか。意識が薄れ始める。そんな俺の頭上にそれは降り下ろされた。木製らしい。ただ、落ちた瞬間に別に割れる音が然程大きくはないが聞こえて、俺の頭の側にはガラスの破片が散らかっていた。

頬の上に乗ったものが皮膚をつたって床へ。割れた破片が目へ入った。やはり痛みは感じない。

霞む眼で見つめて分かったことは、それが写真たてで、今、目前にはある女の写真があったということだ。もう顔を識別できない。しかし、それが長い髪の女であることは確かだった。茶髪にも、金髪にも見える色の……

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