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冷笑(旧)  作者: 仁科学
ヴィクトリア朝の亡霊
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第十章 進むべき道

「人生は機会によって決まる。それがただひとつ逃してしまった機会であってさえも」

(Our lives are defined by opportunities, even the ones we miss.)

─映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生(The Curious Case of Benjamin Button)』より

「………オマエはどうなりたいんだ?」


彼はそんな問いをした。快晴の空の下、ボクたちは車で海岸線を走っていた。ボクは助手席にいて、彼が運転席にいた。

ボクは答えられなくて、ただ相手の顔を伺った。自分がどんな表情をしていたか、おおよそ見当はついている。

彼の方も、何か言う様子はなくて、そうするとボクの方も何も言えなくなって、しばらく互いに口を開かぬままになった。


そんな時に正面に目を向ければ、先の方に一台のトラックが見えた。進行方向はこちらとは真逆で、明確に何キロと分かる訳ではないけれど、少し遠目に見ても中々出ているらしかった。

彼にもそれが見えていたのだろう。急に、

「今……俺が何を考えているか、わかるか?」

と言った。ボクは何も答えられなかった。ただ、彼の方を向いただけ。

そしたら、彼は笑った。笑って、ハンドルをやや右に切った。車体は中央の白線を跨いで、逆側についた。

それから、

「ハァァァ」

とでも言うのだろうか、彼は深く息を吐き、グッと唾を飲んだ。そして、

……ハンドルから手を離した。足はアクセルを押している。

「何か……言い残しとくか?」

と言ってきた。その声は、無理に明るいテンションを作り出したいらしいが、恐怖からくる震えを抑えてはおけないようだった。その身を震わせながら、アクセルを踏む足の膝を両手で強く押している。押さえている。

ボクは何をすればいいのかわからないで、ただただその様子を見ていることしか出来ずにいた。


トラックが走ってくる。近付く程にわかる、その速さ。そしてボクは思った。この分だと、トラックとはあの角で鉢合わせすると。彼は分かっているのだろうか。ついにはボクもハンドルの方へ手を伸ばそうとした。

すると彼は、ボクの手を掴んで、

「……それじゃあ、意味がねぇんだよ」

と怒鳴った。うまく言えないが、凄い顔だった。

ボクの方は、とても情けない話だが、萎縮してそれ以上何もできなかった。


走ってくるトラック。予想からは少しだけ外れていて、向こうが角を曲がった先での衝突となった。その一瞬は、一瞬であっても一瞬ではなく、時間は止まったも同然にゆっくり流れ、頬を伝う汗がくすぐったい程にゆっくりと落ちていった。

ボクは否応なしに「死」を連想した……



「ボクは、何も……望んではいなかったんですがね」


それが、寄神の応答であった。あのレストランでの話の続きになる。

「ただ……何もないで終わって欲しかったかもしれませんが」

「……それは、残念だったな」

友井は向かいの椅子へと腰を下ろした。それから、その身を傾け、

「誰か……持ってこい」

と声を上げた。そうすると、倒れていた死体のうちの一体がムクッと起き上がり、先程まで時任と共に友井が座っていたあのテーブルの上より、ワインボトルを取り上げて、グラスを逆の手に抱えて、フラフラとした足取りで今友井の座るテーブルの方へと歩いてくる。寄神は振り返らないが、目線は後ろの方へ近かった。

そんな中で、友井が、

「……可哀想になぁ……ご主人様に見棄てられちまったか」

とボソリ。寄神の視線が友井へと移る。

「時任も薄情だよなぁ……自分が不利になると見た途端、早々にオマエを切りやがった訳で、よぉ……」

喋る友井の横で、テーブルまでたどり着いた件のゾンビが、ワインボトル、二つのワイングラスという順でテーブルに置いた。

友井はボトルへと手をかけると、グラスの片方を寄神の側に寄せて、そこにワインを注いでいく。その片手間に、

「大方、交渉が上手くいかなかったときに俺を二人がかりで殺すとか、そんなとこだろうが」

と告げた友井。言い終わる頃には、ワインもグラスを満たしていた。対して、友井のワインを注ぐ動きに合わせるように、寄神の視線が若干下がる。

「まあ……飲めや」

視線を上げた寄神。何も言わず、ワインにも口をつけない。友井はダラリと椅子に身を預けてしまってから、こう言った。

「時任も口つけたろう?……毒は入ってねぇよ」

「それよりも……」

寄神は深く息を吐くと、グッと唾を飲んだ。

「……ボクはどうなる?」

友井は笑って、こう尋ね返した。


「………オマエはどうなりたいんだ?」



─少し脱線するが、これはある日ある家庭での夜のひとこま。

紺のジャケット、グレーのスラックス、Yシャツは格子柄に水色と紫の二本の線が流れていて。そんな格好で帰ってきた夫は、あの葬儀場にもいた佐野史郎似の男。余談だが、フルネームを所有己ところ ゆうきという。

この日、仕事を終えて帰宅した所に、その妻はリビングにいて、ジャージ姿でソファーに横になりながら、右手はテーブルに置かれたポテトチップスの袋の方へと伸びていて、対して左手は頬杖をついているという様子。テーブルにはビールの空き缶も二つばかり。夫が部屋に足を踏み入れると、見もせずにただ、

「ああ……おかえり」

とだけ。夫も夫で、

「……おう」

などと背中で返事した。ネクタイを外し、ジャケットをハンガーにかける。

そのうち、

「……聞いたよ」

という妻の言葉に、夫は振り返った。

「流れ星のこと……宇宙のゴミだって教えたんでしょ?」

そう言われて夫は、

「ああ」

とぶっきらぼうに応じた。

「……もっと言い方あるでしょ」

妻の言葉。対して、

「……ウソは言ってない」

というのが夫の言い分。妻は、

「フゥンッ」

と不満げな表情で鼻を鳴らすと、それ以上は問わなかった。

ただ、夫が部屋を出るタイミングでもって、

「あの子がどんな大人になるか……」

と呟いた妻。対して夫は、一度は立ち止まったものの、何も言い返さなかった。

ただ、浴室の前に立ったタイミングでもって、


「……なりたくてなった訳じゃないんだがな」


と呟いた夫。当然ながら、妻に聞こえるハズもなかった……



─本題に戻るとして、場面は葬儀の夜のホテルへ。

腰にタオルを巻いただけの格好で立つ難波が、浴室のドアを開け出てきた。これから彼は裸の足音を響かせながら女のいるベッドへと歩いて行くことになるのだが、その前に一度、振り返る拍子に自身の脇の辺りに鼻を向けた。それから、

「まあ……大丈夫だろ」

と呟いた。


そうして何歩と踏み出していけば、横にあった壁は途切れ、代わりにベッドの上でうつ伏せた女の後頭部が現れた。目にしてから一秒ばかりは見下ろすようにして見た難波だったが、すぐにベッドの壁に面した固い板の部分に左肘を置いて前屈み、ゆっくりとその髪を撫でた。そうしていくらか揺れた髪の合間に難波は、乾きかけた涙のあとを見た。

そのとき、女は何か話していた。といっても、それは独り言のように小さな声で、また寝言のように不明瞭で。ただし、少なくとも難波は、

「……お嬢さん」

という一言だけは確かに聞き逃さなかった。


難波は、ただ、

「今に俺が……なんて言うのは、野暮ってぇよなぁ」

と一言。


難波がベッドの側から離れたのは、そう言ってまもなくのこと。また、女がゆっくりと瞼を上げたのも、それからまもなくのことだった。更に言うなら、難波の携帯が鳴り始めたのも、これまたまもなくのことになる。

「……もしもし」

『もしもし……いつもお世話になっています』

電話から聞こえてきたのは、落ち着いた男性の声だった。対して難波は、女の背中を一瞥してから、

「どうも、皆原さん……ご無沙汰してます」

と。

『今……お時間は?』

「大丈夫ですよ。それに……」

電話口だというのに、作り笑いを浮かべた難波。それから話は、こう続けられた。

「……今、俺……一人なんで」



─時任との会談を終えた友井のその後について。前後関係が曖昧になるが、無理にでも関連性を持たせるとすれば、友井も電話中だった、と。場所は、先程彼がいた店の外で、

「……えぇ、時任はシロでした」

とは友井の弁。対して、

『言った通りだろうが?……あんな小心者にそんなマネができる訳がない。友井ィ、オマエの勘も今度ばかりはハズレたな』

冗談っぽく笑う電話の相手。

「いやぁ……平生さんには敵いませんなぁ」

『しかし、まあ、それで……』

相手の声のトーンが変わる。

『……ホシは割れてるのか?』

「まだ確信は持てませんが……おそらくは」

『……誰だ?』


「……難波配流なんば はいるがボクを殺そうとしている」

と時任は言った。場所は彼の自宅で、友井が電話しているのと同じ頃だったろう。その部屋というのが、今まで触れていなかったが、例の遺体が置かれていた部屋の奥にあり、座っている彼の目前にあったのは、仏壇だった。

「何を大袈裟な……」

とは、後ろに控えていた生嶋の弁。

「棚の中身を盗んだのは、恐らく彼だ」

そう話す時任の視線は仏壇の方にあり、後ろに立つ生嶋の方へは向けられていない。

「だとしても……何の目的で」

「そんなものは保身に決まっているよ……あとは、証拠を揃えられた時点で、ボクはおしまいだ。彼にはウソの情報を掴ませているが、そんなものは気休めにもならないだろうね……」

「……どうするんですか?」

深く息を吐いた時任。正座していた足を動かしてゆっくりと振り返ると、こう言ったのだ。

「友井さんはきっと……こちらの目的を理解しているでしょう……話していてわかりましたよ。彼はボクと『ある人』との交遊関係を指摘してきた。平生一派にとって『その人』の仲間といえば、そのまま敵という意味だと取っていいものでしょう。それをあえて言うのは……何でだと思いますか?」

「……何故?」

生嶋は二、三秒ばかりの沈黙を経て、

「……警告、ですか?」

と応じた。それに時任がうなづくと、生嶋は更に、

「それって、かなりヤバいんじゃ……」

と漏らした。

「……もちろん、単に情報不足であるから揺さぶりをかけに来た可能性もあります。ありますが……おそらくは警告でしょう。同時に、ひどく非効率な判断だ」

「……はい?」

「何故……敵だと見なすなら、あの場でボクを始末しなかったのか。寄神クンが控えていたことは悟っていた、としても不自然です」

時任は再び深い息を吐いたかと思えば、

「あの場には……誰もいなかったのに……」

と呟くように言った。続けて、

「いえ、ね……根拠のないことですが、おそらくは……私は友井さんには『直接』は会っていない。あの場で戦いになったところで、こちらには何のメリットもなかったわけで……むしろ、ボク……時任達也ときとう たつやを悪役に仕立てる口実としてはこれ以上ないものだった、といえるでしょう……友井さんからすれば」

と。このとき、時任の視線は生嶋の方へと向いていた、というよりは、もっと下の方に向いていた。目を伏せていた、とでも言うべきか。

「……つまり」

と言い出したのは生嶋。目線を上げる時任。

「あえて……泳がせている、と?」

生嶋がそう言えば、時任はまた頷いた。

「……何のために?」

「わかりません……わかりませんが、これだけは言えます。ボクが『その人』の名前を教えた人物は……一人しかいない」

対して生嶋が答えた。

「それが……難波配流だと」

時任はゆっくりと瞼を下ろして、ゆっくりと首を縦に振った。


─時任の話が一段落する頃には、友井の電話も終わっていた。今、目の前には彼をここまで送ったあの赤いベンツがあった。自分でドアを開けて、後部座席に腰を下ろす友井。彼が座るとすぐに車は発進した。

車が出てすぐ、彼は自前のバックに手を伸ばした。最初に掴んだものは葉巻の入った箱だったが、箱に描かれた三角形の端が見えたかという辺りで何も思ってかバックの中へ戻し、代わりに引っ張り出したのは、水色のボイスレコーダー。


再生ボタンに手をかければ、流れてきたのは、以下の内容だった。


『裏切れないんですよ……ボクたちは。協力を願い出た時点で、音川さんにはこちらの足下が見えている。平生さんの勢力に対抗するのに、ボクたちだけでは到底無理である以上、音川さんの協力を仰ぐ必要があると…現時点で平生さんと一定の地位協定が出来上がっている音川さんには、無意味に彼を敵に回す必要性がない。余程……例えばボクたちが平生さんを倒す秘策でもない限りは……』

『……千秋はその為か?』

『ええ……』

『申し訳ないが……今、最も不利な立場にあるのはボクたちです……ただ、音川さんの下に千秋クンの能力または千秋クンと仁科クンの関係は知られていないようだったのが幸いで、こうして彼とコンタクトが取れた』

『千秋が……オマエを信用すると思うか?……友人を見殺しにした男だぞ?』

『……努力はしますよ』


そこまで聞き終えて、友井は停止ボタンを押した。それがボソリと、

「どう努力するのか……見物だねぇ」

と呟く友井であった……


─もう少しあとの時任についても触れておこう。この頃ともなれば、部屋には生嶋の姿はなく、彼一人となっていた。仏壇に向かい、合掌し一礼。頭を上げると、ついで正座のままで少し尻を上げて一歩、二歩と引き下がる。右、左と膝を立て、立ち上がるのはそれから。続いて向き直り、部屋の外へと歩き出すのであるが、ドアノブに手をかけたところでうつ向いて……



─あの日のこと。

ボクたちの乗る車とトラックとは、結局衝突はしなかった。トラックの運転手がギリギリでどうにかハンドルを切ってくれたおかげで、あるいは運転席の彼がギリギリになってやっとブレーキーを踏んでくれたおかげで。トラックはガードレールに突っ込んで車体の左側に傷が出来ていた。ボクらの車が止まっていたのは、トラックのほんの四、五〇センチ手前というところで、ことの恐ろしさを物語っていた。

「……命拾いしたな」

彼は笑っていた。こめかみの下辺りから汗が流れ、息も荒くなっていたけれど。

「当分、必要ねぇわ……こんなん」

そんな一言と共に、背もたれに向かって一気に倒れた彼。首は横を向いていて、頬を背もたれに擦り付けている。

数秒ぐらいしたろうか。トラックの運転手が降りてくると、彼は、

「ヨォォシィ……逃げるか」

と言い始めた。そして、急に車をバックさせ始めたかと思えば、アクセルを踏んで一気に走り出した。向こうの運転手は突然のことに何歩か後退りしたのが見えた。

「あんな狭い道じゃ、あんなデカいトラックはUターンできねぇだろうな」

と彼が言うものだから、ボクは彼の方に向き直った。

「……そろそろ、答えが出たか?」

ボクは何のことだかわからなくて、つい黙ってしまった。だから、彼は改めてこう尋ねた。


「オマエはどうなりたいって……その話だよ」



「血脇さん……ボクは、アナタのようになりたかった……」


とそう言った時任。震える唇で深く息を吐きながら、男はゆっくりドアを開けた……

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