第九章 恩寵
「文句は言わさん」
(I'm going to make him an offer he can't refuse.)
─映画『ゴッドファーザー(The Godfather)』より
葬儀の日から数日後の話になる。
走行中の一台の車にスポットを当てよう。この車というのが、赤く塗装されたメルセデス・ベンツ・W220。運転席にはショートヘアーの女性。そして後部座席には友井がいた。このときの彼は、格好は以前と同じ、口には葉巻─キューバ産のモンテクリスト‘A’─をくわえ、右手はそちらを押さえており、左手でケータイを耳にあて、
「ヤロウも傍迷惑なこった……てめぇの性処理ぐれぇ、てめぇでやれってんだ。人ん家でタマぶちまけやがってよぉ……近隣住民への被害を考えろって。ペナルティーが怖くないのかねぇ、あーのバカは……まあ、ヤツが備えをしてこなかったのが救いだな」
などと漏らすのである。
『……備え?』
電話口でそう応じた相手。
「ああ、もし……まあ、ショットガンとかならまだしも……どっかの誰かさんみてぇにアサルトライフルでも持ち込まれた日にゃ……今頃、俺たち仲良く仏様だったよ……ああ、それを俺が言っちゃダメか」
笑う友井。
『その点ですが、望月は何故……拳銃だったんでしょうか?』
「……現実的に考えれば、拷問を見越して威力は抑えつつ、手数の多いものって発想だろうな。ヤロウは二十発以上も用意してやがったんだからな」
『……なるほど』
「要するに、水島様のおかげだよ。ヤツと俺たちの勝敗を分けたもんは……情報量の違いだ。んまあ……アイツに引き上げて装備を整えるって発想がなくてよかったぜ。今思えば、だけどな。案外、俺たちも危ない橋を渡っているわけだわ」
『そこまで見越して、アナタは……殺されてもいいメンツしか、そろえていなかったのでは?』
友井はフッと鼻を鳴らすだけで、何も答えなかった。顔は笑っていたが。
葉巻を口から離し、フゥッと息を吐く友井。
『……もうひとつ、質問しても?』
「なんだ?」
『銃弾を受けたときのことで……』
「ああ……あんときか。ヤツが帽子を撃ち落としたときに思い付いた策でな。次にどこを狙って撃ってくるか想像がついたから、わざと手の甲を撃たせて、その血で一芝居打たせてもらった……」
友井の言葉に、相手は少しの間黙っていた。それから、
『……どちらの手でした?』
と問うた。すると友井は、
「……てのはウソだ。お察しのことと思うがね」
そう笑って答えるのである。続けて、
「ヤツの使った拳銃は自衛隊で使ってるP9って型だ。で、弾はパラベラム弾つー速度が出るが軽いヤツ……三メートルそこいらの距離から撃ち込んだとして、はたして人間の頭かどうなるかと言われりゃ……そりゃ、どうだろうな?」
と話した。それから、葉巻を加え直して、
「まあ……それが人の頭の形をした水風船とかなら……話は別だが」
とも言う。
「どうしてわかったか、聞いてみたいもんだね」
『いえ……』
相手が少し黙った。次に口を開いたときの返答というのが、これである。
『テーブルに垂れた血の色がヘンでした。少なくとも、動脈から出た血ではない。酸素が足りないんです……少々、黒いというのか……』
対して友井は、
「……流石だな」
と返した。間もなく車はある店の前で停車した。そこで友井は、こう言い残し、通話を終えた。
「……そのうち、俺が地獄へと導いてやるからよ。それまで元気しとけな……殺人鬼」
同じ頃、通話相手も静かにスマホをテーブルに置いた。夜だというに電気をつけないその部屋には、他にはイスぐらいしか見えない。
やがて月明かりが入り、壁にかけられていた絵画『サバトに赴く魔女たち』が浮かび上がる。そして、絵画の足元には、一人の女性が倒れているのも見えた。若干手を広げた男の影もまた現れ、女の体に被さるように伸びていた。
彼が奥都城倫敦だったことは、ご承知の通りである。
話を戻すとして、友井の車が停まった場所というのが、あるレストランだった。看板には『レストランLutetia』とあるが、薄暗い店内の様子を見るに、バーと呼んだ方が近そうだ。ドアを押し開け、少し歩き、一つのテーブルの前へ。友井はそのイスの前で帽子を取って一礼し、
「……いやぁ、待たせてしまったようで」
と告げた。目前には、時任がいた……
ここに至るまでの時任の話を少し。葬儀の翌日のこと。
時任宅にはこの日、来客があった。というのは、一人の男性で、小柄で顔は両目の間隔が広く、しかもその両眼にはどこか生気に欠け、有り体に言えば死んだ魚の目をしていた。そんな男がこのときは書斎にいて、前に難波が座っていたソファーに腰を下ろしていた。
「それって……大丈夫なのか、時任」
とは、その彼の言葉である。向かいに座る時任は何も答えない。対して相手の方が続けて、
「友井さんから御誘い頂いた以上、断れないのはわかるが……」
とも言った。時任は尚も答えない。それどころか、その顔は下がっており、相手の顔を見ようともしない。そんな中でその相手が、
「たとえば……」
と言いかけた。顔は下がったままの時任であったが、その一言に視線は相手の方へと向けた。それに驚いたのか、相手は一度黙ってしまう。
「……たとえば、なに?」
時任が口を開く。
「ああ……」
逆に相手の方が伏し目がちになる。
「……ボクが一緒に行くとか」
「それはベストじゃない」
時任は断言する。
「後々のことを考えても……もう疑われているかもしれないとはいえ、まだ関係性を明らかにするのは、リスクが高い。友井さんとの面会は一人で行く。現時点で、友井さんから疑われているかはわからないが、誠意を見せておいて損はないだろう」
「だが、仮に……友井さんが君を殺す気だったら?」
時任は、
「今日……呼んだのは、その話をする為なんだよ……寄神くん」
と言った。机上に両肘をつき、両手の指を互い違いに絡ませて。
奇しくも時任は、レストランでも同じポーズを取っていた。だが、目前で頭を下げる友井を見て、
「いいえ……」
手を下ろして頭を下げ返す時任。そのあとで、イスを引き、腰を下ろした友井。友井の背後には、先程まで運転席にいたあの女性がいたが、
「悪いが、外してくれ」
と友井に言われ、店を出ていった。もっとも、時任は彼女の首に残った縦一本線の傷を見逃しはしなかったが。
首にスカーフを巻いた店員が盆に乗せて運んできたのは、ボルドーワイン─銘柄はシャトー・ラフィット・ロートシルト─のボトルと、二杯のワイングラス、それからソムリエナイフ。無言でテーブルに置いた店員の後ろ姿を目で追う時任に、
「……申し訳ない」
とまた頭を下げた友井。
「いえ……友井さんが謝ることでは……」
そんなやり取りの後で、友井はボトルの首へナイフを当てた。左手で押さえて、右手でナイフを右から左からそれぞれ半周ずつ回し、最後は上へと持ち上げる。これで上部を切り外すと、見えたコルクの中央にスクリューを差し込む。それからコルクを抜くまで、然程時間はかからなかった。
「……お見事です」
時任が言えば、友井は、
「これぐらいしか、取り柄のないもので……」
と返した。
「ささ……どうぞ」
ボトルを持ち上げ、時任の前に置かれたグラスへと傾けた。
「接客はああでしたが……もの自体はそれなりのものを用意しましたので……」
「それは、それは……ありがたいことで」
そう言い、時任は会釈した。
「こうして会うのは……先日のパーティ以来ですかね?」
とは友井の弁。
「……そうですね」
同意する時任。
「ひとまずは、元気そうで何よりですよ」
「……友井さんこそ」
「いや、いや……私などは……」
友井の会釈。それから、ワインに口をつけてからボソリと呟いた。
「ここ何日など……どうにも気が休まらなくて……ですねぇ」
それを聞いた時任の表情が曇る。
「あぁ、いや……こちらの話なんですが、ね」
「いえ、いえ……どうぞ。続けていただいて……」
「……よろしいので?」
「自分でよければ……」
友井は再び頭を下げると、
「では……お言葉に甘えて」
と、ぽつりぽつりと話を始めた……
……先日の葬儀のことになるのですが。
うちの生天目がひと悶着あったようで。
「……はぁ」
と笑いかける時任だったが、その表情はどこか固かった。
再度ワインに口をつけた友井。それから若干頭を下げると、時任に見えない位置でもって少し笑った……
「……先日の葬儀にご出席されていた、と伺っておりますが……何か、ご存じないでしょうか?」
そう友井が言った。対する時任の反応はワンテンポ遅れて、
「あぁ……私が、ですか?」
というものだった。
「えぇ」
友井が笑顔で応じる。
「そう……ですねぇ……」
時任は目を伏せて言った。それから次は顔を上げ、
「正直……思い当たることは……」
と苦笑がちに返した。
「……本当に、そうですか?」
ボソリとそう呟いたのは友井である。ただしその表情は、ワイングラスが邪魔で時任の方からは見えない。
それから互いに言葉を交わすことなく数秒が流れて、そのあとで、
「……こういうのは、どうでしょうか?」
と口を開いた。時任が、である。
「というと?」
「いえ……友井さんが持っている情報を開示していただければ、その……分かることがあるのではないか、と……思いまして」
「……あぁ」
顔を上げた友井。
「……わかりました。では……」
そう言って話は始まった。
─暗がりはその場所の表情を容易に変質させる。
ここは夕刻に千秋らのいた葬儀場であるが、このときともなれば灯りが消えて、月明かりさえ届いていない。
足音が聞こえる。それも靴から出るような乾いた音ではなく、なめらかな床に吸いつくような音なのだ。察するにその人は裸足らしい。もっともそれ以前に音の出所に人の姿は見えず、時たまポキッ、ポキッと首でも回しているのか骨の音がする他は、よくよく耳を立てれば息遣いが聞こえる程度のもの。それがイスの並ぶ方の部屋でのこと。
それよりも、その部屋と棺の置かれた部屋とを分ける垂れ幕の陰に立ち、息を殺して様子見する生天目・兄の姿へと目を当てたい。
生天目・兄の右腕は壁に向かって伸びているが、手首より先がない。見えないのではなく、ない。丁度、彼のジャケットの袖口が壁に触れている。
対して、向こうの部屋に並べられたイスのうち、─棺の置かれた部屋の方を正面と見たときに─前から二列目の、右から三つ目にあたるものへ目を向ければ、そこには手首より先だけがあった。それも、イスの上に置かれているのではなくて、イスの裏側より生えているという有り様である。何よりその手は動いていた。
やがてその手は、その場に一本のボールペンを落とした。無音にも等しい部屋に、ペンの転がる乾いた音が反響するのは必然であり、わずかに聞こえていたあの足音さえも遮った程である。いやあるいは突然のことにそれが足を止めたのかもしれぬが。
足音の方はといえば、ペン落下による中断を経て再開され、そのうちに、ペンを拾い上げるまでに至った。ペンは明らかに数十センチといった高さで浮いていた。
イスの下から伸びた手は、今は拳銃が握られている。それも、火縄銃を小さくしたような古式な銃だ。
銃弾が放たれたのは、それからまもなくのことになる。ペンを落す音がしたところからして、見えはしないが命中したらしい。しかも、人間のものと呼ぶにはいささか野性的な呻き声も付随している。
かといって喜ぶでもなく、生天目・兄は背後にあったドアから外に出た。それから何歩か踏み出したタイミングでもって、彼の耳に滴る水の音が届いた。見れば、先程までそこになかったように見えた右手が、今は確かに彼の右腕の先にあり、そこが血を流しているのである。甲にあった大型の獣が爪で引っ掻いたような傷より。
水の音が聞こえた、というのはそれだけではない。更に数秒もすれば、同じ音、ただし別の場所より漏れる音が耳に入る。生天目・兄は振り返らなかったが、それが何かはわかっていた。恐らく血が滴っているのであろうが、やはり音だけで見ることはできない。透明な怪物は、その血にすら色がなかった……
「……と、いったところでしょうか」
とは、友井の弁。
「何か……わかりますか?」
そう続けたのも友井である。
「透明な姿……ですか……」
「ええ……誰の能力によるものか……それさえ分かれば……」
時任はそれから少しの間黙っていた。加えて時任はうつむきがちであるから、両者の目さえ合っていない状態である。ただ、そのうちには、
「いやぁ……無理をいって、すいませんね」
などと友井の方が言葉を返した。これに時任も顔を上げ、
「いいえ……そんな……」
と弁明のひとつもしようとするが、遮られて、
「交遊関係の広い時任さんなら、もしやと思ったんですが……すみませんねぇ。お忘れください」
と告げられた。なので時任も、
「あぁ……はい」
ぐらいな曖昧な応答を返す形となった。対して友井は、更にこう続ける。
「お噂はかねがね……最近は、千秋クンとも交遊があるそうですね?」
時任はワインを一口。それから、
「いえいえ、交遊なんて程のことは……先日の葬儀の一件で、彼にはお世話になりまして……きっと、その話ではないか、と」
と。微笑みかける時任。
「そうなんですか」
友井も笑ってこれに応じた。
「なかなか、難しいじゃないですか……人を信じるのも、信じてもらうのも」
とは、時任の弁。
「……そうですねぇ」
そうして同調した友井は、ワイングラスを軽く回すと、いつの間にかもう底から一センチばかりしか残っていなかったワインを、一度に飲み干した。
「もしかすると……」
と時任が口を開いたのは、その直後。若干下がっていた友井の顔が上がった。顔を合わせたタイミングでもって、
「あの、いえ……先程の透明人間のお話について、なのですが……」
そう言ったのは時任。
「ええ……何か?」
友井がこう聞き返せば、
「難波クンならば……あるいは、可能かもしれないと、思ったもので……いえ、あくまでも推測に過ぎないことなのですが……」
時任はこう答えた。
「……難波さん?……確か、先日のパーティにいらしていた方ですよね?」
「はい」
「お顔とお名前ぐらいは……わかりますが」
友井は多少顔をひきつらせたままで笑いかけた。
「あくまで可能性の範囲ということで……正直に申し上げて、自分が把握している能力自体がそう多くないもので……同期でも、先日に亡くなった仁科クンなどは結局、どういう能力を持っていたのか、わからないままで……」
「……そうでしたか」
「他にも、寄神クンとか……が」
苦笑する時任。
「本日はお招きいただき……有り難うございました」
立ち上がり、一礼する時任の姿。友井も立ち、
「いやいや……頭をお上げください」
と告げる。
「また……機会がありましたら」
「えぇ……」
両者の笑い声は店の外まで聞こえていた……
時任が帰ったあとで、友井が一言、
「そろそろ……潮時かねぇ」
と呟いた。それは、その直後のことだった。
突然、店内にいた人という人が倒れたのである。歩き回っていたウェイトレスも、イスに座っていた客たちも、みなが。友井が立ち上がり、厨房入り口まで歩み寄り、その右横に配置されたスイッチへと手をかけた。天井のライトというライト全てが点灯する中で、それらの明かりは先程からそこに倒れているものが、人間の遺体であることを示してみせた。ただの一人を除いて。
その男のテーブルは、厨房の入り口からすれば、一番遠い場所にあった。もっといえば、少し前まで友井はその男に背を向けて座っていた。ゆっくりと歩き、男の側に立つと、友井は一言、
「ご苦労様ですよ……寄神さん」
と笑って言った……




