そして狼煙は上がった
「……介入する」
「……好きにしろ」
そう言葉を叩きつけたメルクーアに対してマスクマンの答えは端的だった。
その答えと同時にマスクマンは姿を霞ませる勢いで踏み込む。大地が揺れる。そんな錯覚を起こすほどの激しい踏み込み。引き絞られた拳はメルクーアを粉砕せしめんとぎりりと引き絞られた弓のようであった。
「シッ!」
破壊のこもった拳が目にも止まらぬ速さで打ち抜かれる。しかしその時すでにメルクーアの方は回避行動に移っていた。後方への跳躍。拳の射程距離を的確に見極めたギリギリの位置をもってメルクーアはそれを躱す。瞬間に傾げた首の横を衝撃波が駆け抜けた。
「……【鍛造】」
その刹那、響く銀鈴の音。メルクーアが銀球を弾いた音だった。弾かれた銀球はその身を溶かし、どろりとマスクマンの腕へと絡みつく。そして次の瞬間に形成されたのは冷たい光を放つ銀鎖。浮かび上がる銀球から伸びた銀鎖は四方八方からその腕を絡めとり、マスクマンの自由を奪おうと鎌首をもたげる。
「ハッ!」
しかしマスクマンの気合いと共にその拳が、腕が燃え上がる。拳を中心に燃え上がった炎は銀鎖を灼き、焦がし、或いは白熱させて腕から払い落としていく。拘束を行っていた銀鎖は悉くその炎に侵され、燃え墜ちた。
マスクマンは両方の腕に炎を纏わせ、構えをとる。メルクーアも一瞬の拘束の間にすでに空に銀剣の群れを形成していた。
ここまで数瞬。
瞬きを行えば見失ってしまうであろう程の息をもつかせぬ目まぐるしい展開。
しかしこの数瞬の内にマスクマンとメルクーアはお互いの実力を理解した。
「……【全属性付与】」
チリンとメルクーアが手元の剣を打ち鳴らせば、その音に呼応したように空に浮かび上がる銀剣の群れが打ち震え、次々に虹色の輝きを灯す。
【全属性付与】――これはメルクーアにとって切り札の一つであった。
人々はメルクーアを万能という。全ての属性を操るからだ。メルクーアは彼女の操る『水銀の杖』同様千変万化の戦い方を旨とする。相手の戦い方に合わせ、対応し、弱点を突く。それがメルクーアの真骨頂であった。しかしこれはその中においても異質なものだった。
繰り返すようだがメルクーアは相手に対応した武器を使い、弱点となる属性を操る。徒手には剣で持って、剣には槍で、槍には弓で。そんな相手の苦手とするところを突き、それでもって相手を打ち倒す。
だが【全属性付与】はそれとは異なる。全ての属性を得手も不得手も関係なく上乗せする。
詰まるところが全部乗せ。全賭けである。
その威力は凄まじく、全ての属性を内包する一撃は個別に放つそのどれより強力で、疾く、ひとつひとつが個を補い、連環のように繋がりを構成する。破壊にのみ焦点を置いた万能の汎用性を捨てた極化。
それがこの【全属性付与】であった。
「……天より墜ちよ」
その言葉が起動の鍵となった。天から虹色の銀閃が墜ちる。輝く刀身に膨大な破壊力を秘めた一撃は爆撃のようにマスクマンの立っている場所に殺到する。流星の様な軌道をもって突き刺さった銀剣は周りを大きく巻き込みながら大きなクレーターを作っていく。
メルクーアは周りに誰もいないのは確認していた。それだけは幸いであった。もし誰かいたとしてもきっとメルクーアはこの攻撃を行っていたであろうから。
メルクーアが攻撃を行った爆心地は混沌と破壊の只中にある。まともな生物なら生きてなどいられないだろう。
しかしメルクーアはその破壊の結末を見ることなく、身を翻す。固まっているロロとマッキーを引っ掴んで飛び上がり、屋根を伝って駆ける。
常人の膂力を遥かに凌駕するその肉体でもって駆ける、駆ける、駆ける。
「シッ!」
「ッ!【鍛造】!」
だがその逃走劇はあっけなく終わった。打ち下ろされた踵での一撃がメルクーアが生成した水銀の盾を砕きながら衝撃を伝える。メルクーアはロロとマッキーをかき抱いて、その衝撃のまま建物の屋根を抜き、幾つかの階をもぶち抜いて、地面へと叩き伏せられた。
「――がッ!」
一人と一匹を庇ったせいで背中から思い切り地面に落ちたメルクーアはその衝撃に思わず息を吐き出す。
吹き抜けと化した建物の穴から見えるのは淡く冷たい光を放つ銀月。そして影を落とすように見下ろす覆面の男。男は体中に傷を負いながらも、しかし泰然としてそこにあった。影になってその表情は見えない。
確かにメルクーアの【全属性付与】の攻撃はまともな生物では生き残ることは出来ないだろう。そう、まともな生物では。
つまり男はまともではなかった。
メルクーアと覆面の男の数瞬の邂逅。メルクーアは敏感にそのことに勘付いた。
故の【全属性付与】。
結局のところ切り札などと称しておきながら【全属性付与】の攻撃は窮鼠の一撃であった。
通常のメルクーアが得意とするところの相手に対応した変幻自在の戦術が通じないと悟った故の攻撃。
ひとつの属性付与では足りない。重ねて重ねてそれでもまだ足りぬ。
自分の限界の一撃。届くか否かは分からなかった。いやきっと届かないだろうと勘付いてはいた。だから逃げたのだ。
それは窮鼠の一撃であるが故に猫が油断さえしていなければ届くことはない。当然だ。地力が違う。
しかもこの場合相手は猫ではなく、虎や獅子の類であった。
メルクーアは天へと手を伸ばす。
上では男が構えを取り、すぅっと息を吸い込んで拳を引き絞ったのが分かった。
来る。メルクーアは察した。
「破ァアア!」
その瞬間、辺りが昼間のように明るくなる。太陽のような灼熱をともなって一本の火柱がアルカヴィルシオの夜に突き刺さった。
轟音と共に火柱は地面へと達し、業火をもってそこに地獄を顕現させる。
この惨事に裏町の住人は騒然となった。弾かれたように住人は逃げ惑い、マフィアは慣れない消火活動に追われることとなる。幸いにもその火災の延焼は少なく中心の建物を含めた数軒だけが燃えただけで済み、怪我人も出なかった。
しかし翌日、その場に辿り着いた憲兵達は慄然とすることとなる。さすがのマフィアもここまで派手な事件では隠しきることが出来ず、憲兵の介入を許したのだ。
そして憲兵達がマフィアに威圧されながらも現場に至った時、見つけたのは穴だった。
深い深い。それは都市の基盤を貫通し、水中にまで至っていることが後日の調査で判明した。
それを事の起こりからずっと眺めていた一羽のカラスが何処かへ向かって飛び立つ。
それはまるで何かの不吉な予兆のようだった。
この事件は期せずして狼煙となった。これからアルカヴィルシオ全体を巻き込む大きな動乱の。
後に人々はこれから起こる一連の事件を合わせて「アルカヴィルシオの災禍」と呼んだ――。
――憲兵隊が裏町に開く大きな穴を見つけたのとほぼ同刻。夜もまだ明け切らぬ頃。
アルカヴィルシオの南に位置する外縁部の一画で大きな銀球がその岸に当たって澄んだ音を立てた。銀球はそのままどろりと形を歪め、石畳へと這い上がる。その姿はまるで銀色の体をした巨大なスライムのようだった。もしこれを誰かが目撃していれば大騒ぎとなっただろう。しかし幸いなことにそれを目にしたものはいなかった。
石畳の上にあがったそれはぶるりと震え、その身を溶かし、どういう訳か質量を無視したように小さくなり、宙へと浮かぶ。そしてその中からは三つの影が現れていた。
一つはその銀の球体を懐に仕舞ったメイド服の少女。眼帯に覆われていない方の緑翠の瞳が注意深く辺りを見回す。
一つは気を失った子供。地面にべたりと寝そべりすうすうと穏やかな寝息を立てる。
一つは宙に浮かぶくまのぬいぐるみ。困ったように頭を掻く仕草をしている。
それは何とも奇妙な集団であった。
「助かったということでいいのかい?」
「……見逃、された。いえ、逃がされた」
遠慮がちに聞くマッキーにメルクーアは神妙な面持ちで言葉を返した。そして考えるように視線を宙に彷徨わせたメルクーアは思案の末に再びマッキーへと視線を戻し、意を決したように言葉を紡ぐ。
「……貴方達には、所長に、会ってもらう」
「所長?」
「……そう、所長」
マッキーはその言葉にどこか聞き覚えがあったがメルクーアはそれ以上何も語らず、眠っているロロの頬をぺしぺしと叩き始めた。マッキーもそれ以上は何も聞かない。
「……あの吸血鬼も、一緒に」
中々起きないロロの鼻を摘まみながら強制的に起床を促しているところでメルクーアはふと思い出したように顔を上げる。緑翠に光る瞳が明らむ街の中できらりと揺れた。
こうして話はクロノとの再開まで遡る――。




