窮地
「アルレシャ!下がって自分に【回復】を!」
アルレシャが淡い光に包まれ、体に付けられた傷が徐々に回復していくのが分かる。
そんなアルレシャを庇いながらクロノは敵を切り付け、後退する。
あれからずっと戦い通しだ。
延々と敵を屠り続け、最早何体倒したのか数えるのも面倒である。
服はとうに返り血で色を変え、体中の乾ききらないどろりとした生々しい感触が嫌悪を掻き立てる。
死臭のせいで鼻は麻痺し、ただただ生き残らなければいう意志だけが足を動かす。
空を覆う木々のせいでどれくらい時間が経ったのかも分からない。
寝ることも出来ず、ろくに食事も食べていない。回復のためにアイテム袋に入っていた薬草を食べたりやポーションを飲んだりしただけだ。食事というにはあんまりな内容だろう。
相変わらず敵にこの筋力極振りの一撃は通用しているがそんな状態で集中力が続くはずもない。
緊張感で何とか保っているが精神的にも肉体的にも疲労は限界を超えている。
そんなクロノを助けるようにアルレシャは【水弾】で援護をしたり、時には身を挺して庇ってくれたりしている。
アルレシャがいなければここまで耐えることは出来なかった。
戦っているうちに分かったことがある。
ここが何処か、だ。
それに気づいたのは襲ってくるモンスターの種類が変化したからである。
ここは『裁きの大森林』だ。
『裁きの大森林』は『ワールドクロニクル』の舞台となるファンタジア大陸の西端に位置するフィールドで転生後、百レベルまでのレベルアップに効率的といわれる狩場だ。
この大森林は一回転生を行うと入れるようになるエリアでレベルに対応したモンスターが決まった順で出現する。五十までフォレストウルフ、五十~六十までハイオーク、といった具合だ。
そしてレベルが百を超えると出現するのがレベル五百のオーガキングとオーガの群れである。正直こいつは倒せない。レベル差があり過ぎるのだ。つまりこのフィールドではオーガキングが出現した瞬間に離脱するか、やられてデスペナルティを受けながら街に戻るしかないのだ。
そして現在そのオーガキングとその取り巻き達とクロノたちは戦っている。
このレベルまで来ると筋力極振りの攻撃でも一撃では倒せない。
しかもこちらは一撃食らうごとに一気に体力を削られる。
ここまでの間にある程度痛みには慣れたが痛いものは痛い。しかも後ろにはオーガキングが控えているのだ。詰んでいるとしか思えない。
「うおおおおおお!!」
必死に逃げ回り森の出口を見つけようとするもののオーガの群れがそれを許さない。
全力で後退しては回り込まれ、戦っているうちに仲間が増える、といった具合だ。
オーガキングが群れの最後方をゆっくりと進んでおり、仕掛けてこないのだけが唯一の救いと言える。
最早クロノは気合いだけで杖を振っている。
戦っている途中でアルレシャが習得した【高位回復】や【水壁】がなければ既に死んでいただろう。
「おらあッ!!」
追い縋って来たオーガの一体を杖で殴り倒した瞬間、後ろに控えていたオーガキングの目がギラリと光った。
――まずっ!!!!!
そんな焦りをよそにオーガキングはその巨体からは考えられない程の速度で迫り、振り下ろしの拳を見舞った。先程まで大人しくしていたのが嘘の様な一撃。
まさに青天の霹靂ともいうべき奇襲だ。
普通ならこの凶悪な攻撃に肉片となって飛び散っていただろう。そう普通なら。
この攻撃が来ることが分かっていたクロノはオーガキングが動いた瞬間全身全霊をもって横に飛んでいた。
かろうじて避けられたもののその衝撃により吹っ飛ばされる。
当たってもいないのに体がミシミシと音を立てるほどだ。
クロノは地面を数回バウンドして体のあちこちを地面へと打ち付けることとなった。
しかしそれでもクロノは転がりながらも体勢を整え、オーガキングが攻撃を放った方向を向く。
いままでクロノの立っていた地面は大きなクレーターができていた。
全身の骨が軋むような痛みを感じながらクロノは苦しげにその惨状を確認した。
オーガキングはプレイヤーが百レベルを超えると出現するが、その状態なら自分から攻撃をしてくることはない。
本当の恐怖はレベルが百十を上回ってからだ。その瞬間オーガキングが攻撃に参加してくるのである。
レベル百を超えて離脱せずにもたもたしているとこの仕様にかかって即死することとなる。この状態になるとオーガキングはHP・攻撃力・防御・魔防が通常の5倍になる。さらに時間が経つと防御無視の十万固定ダメージの特殊技を放ってくる。
これが絶対に倒せないという理由であり、百レベルを超えたプレイヤーがここを狩場としない理由でもある。
「……無理だ。」
諦念の篭った呟きがクロノの口から洩れる。
すでに逆転の一手などない。オーガキングが動き出す前に森から出られなかった時点で望みは絶たれた。
そんなこちらの思いを知ってか知らずかオーガキングはにやりと下卑た嗤いをこちらに向けた。オーガキングの足に力が込められるのが分かる。
再びあの暴虐の一撃が襲い来るのだ。
――死ぬ。次の一撃で自分は死ぬ。
そう思うと何だか体から力が抜けていく。
死ねばログアウト出来るだろうか?あの拳で殴られるなら即死だろう。痛くないのだけは救いだろうか。そんなことが頭に浮かぶ。
オーガキングが地面を飛び、拳を振り上げている。
世界がスローモーションになり、ゆっくりと死の一撃が迫ってくるのが分かる。
――――あぁ、死んだ。
その瞬間、何かによって体が弾き飛ばされた。
――!!!!!!
驚愕に目を開き、その何かを見る。
アルレシャだ!アルレシャの放った【水弾】が俺を吹き飛ばしたのだ。
そしてアルレシャ自身はオーガキングと自分の間にその透き通った美しい体を滑り込ませると魔法を使った。
【水壁】【高位防御】【高位障壁】による三重結界。
今できうる限り最大の防御手段である。
しかしそんなもので強化状態のオーガキングの拳は止められない。
ミシミシと嫌な音がすると硝子の割れるような甲高い音と共に三重結界が砕け散った。
その衝撃でアルレシャもクロノもきりもみになって吹き飛ばされる。
結界のおかげで僅かに攻撃が逸れ、直撃は免れたようだった。
「アルレシャ!!」
勢いよく大樹にぶつかって止まったクロノはふらつきながらもすぐさま横に転がったアルレシャを抱き上げる。
アルレシャは体中に傷を受け、息も絶え絶えな様子で、透き通っていた体も今はどこか黒ずんだように濁っている。
「……なんでだよ!」
NPCであると分かっているはずなのにどうしても涙が出るのを止められなかった。
フォレストウルフに襲われてから今まで死の恐怖の中、一緒に戦ってくれたのがアルレシャだった。短い時間であったものの確かにクロノの心を支えてくれたのはアルレシャだった。それがこんなにも傷つき倒れているのを見て何も感じないはずがない。
俺はオーガキングを憎しみを込めた目で睨み付ける。オーガキングはそんなことを気にした風もなく、にやにや嗤っている。
――くそ!俺はこのまま何も出来ず死ぬのか!?アルレシャがこんなになりながら助けてもらったのに!!
悔し涙が頬を伝う。再び下卑た嗤いを浮かべるオーガキングの腕が振り上げられる。
――くそ!くそくそ!!
――こんなところで!くそが!
「――騒がしい。」
アルレシャを腕に抱き、血が滲みそうなほど唇を噛みしめ、射殺さんばかりにオーガキングを見つめていた俺に上空からそんな凛とした声と共に黒髪の少女が降って来た。