選ばれた娘
「いいですか?貴方は選ばれたのですよ」
「はあ・・・」
「・・・あの、本当に分かっています?」
反応の薄い娘に、困ったように彼は眉を寄せた。
「選ばれたんですよね」
「そうです、選ばれたのですよ!」
そしてまた、沈黙がある。
普通ならばここは、きゃあとか、ええ!?だとか、そういう明るい声が上がるところなのだ。喜びでなくとも、少なくとも驚きがあって然るべきではないか。
おかしい。召還者教本に書いてあった流れとは違う娘の反応に、彼は戸惑いながらも、強引に教本通りの言葉を口にしてみた。
「貴方はこれからこの素晴らしい力と、惜しみない賛辞と数限りない応援を背に旅立つのです!」
もう一押しか。
「そう、勇者として!」
「・・・嫌です」
「なぜですか!?」
教本通りどころか娘が拒否の言葉を口にしたので、彼も思わず自分の言葉でしゃべってしまった。
これはまずいことだ。召還された勇者に、勇者として快く旅立ってもらうためには、雰囲気作りというものがとても重要だと聞くのに。
教本からずれ始めた会話は、そのまま娘の順番となり、さらにずれ幅を広げた。
「だって、勇者って戦うんですよね」
「それはまあ、勇者ですから」
「何と戦うんですか」
ちっと彼は内心で舌打ちした。最近の異世界人は知恵をつけているから面倒だとは聞いていたが。選ばれた存在というその響きに酔っていればよいものを。
「それで、何と戦うんですか」
「それは、悪とです。貴方は選ばれた勇者ですから、正義の代弁者として悪と戦うのですよ」
「悪って、具体的には」
これだからゲームだとかいうものに毒された最近の異世界人は。召還する側の身にもなって欲しいものである。
「悪は悪です。この世界を苦しめるものです」
「・・・濁すということは、何か言いたくない理由があるんですね」
「・・・魔物です。我々の世界を苦しめているのは魔物と呼ばれる者たちです」
ため息をついて説明した彼に、娘は眉を八の字に下げた。
「魔物は具体的に何をするのですか?」
「我々人間を殺します」
「それは、食べるためですか?それとも、領土を広げるためですか?」
この娘、質問が細かい。内心の苛々を必死で取り繕い、平静を装う。
「魔物と人間には長年に渡る領土争いがあるのです」
「つまり、一方的に攻めてくるという意味ではないのですね」
「まあ、それは。しかし、人間が殺されているのは紛れもない事実です」
「長い間、殺し合っているのですね・・・」
やりにくい。
彼は表情を作るのに疲れてきた。彼の仕事は本来魔術師であって、説得など本職ではない。こんな事ならば口の達者な文官にでも同席してもらえばよかった、と彼は本気で後悔していた。
この召還に、召還者である彼の意思など関係ないのだ。同様に、この魔物と人間との長きにわたる戦いにも、一国民である彼の意思など何ら反映されてはいない。
面倒だ、さっさと終わらせよう。彼はとっておきの笑顔でラストスパートをかけることにした。
「ともかく、この戦いを終わらせるためにも貴方の力が必要なのです。貴方には選ばれた勇者として特別な力があります。貴方ならば、魔物にも打ち勝つことができるのです」
自分の笑顔が異性に効果的だということは、経験上知っている。この顔が召還者に抜擢されてしまった理由でもあるし、そもそも城下の一庶民から下っ端とはいえ王宮お抱えの魔術師になることが出来たのも、人好きのする美貌も一因だったろう。そのため彼は惜しみなく微笑み、安心感を与えるべくそっと娘の手をとった。まるで酒場で男の機嫌をとる女のようだと自分を蔑みながらも、これが自分の仕事なのだと自嘲して。
だから、娘が口を開いてこう言ったとき、彼の笑顔は凍り付いた。
「・・・貴方もそう思っていますか?」
娘は言った。貧相な身体の上の淡泊な顔を、斜めに傾けて。
その黒々とした目は彼の貼り付けた笑顔の奥をのぞき込むように底知れず、彼は即座に返事を返すことが出来なかった。
「・・・」
生まれてしまった沈黙は誤魔化しようもなく、広い儀式の間がそれをさらに際だたせる。まるで沈黙にエコーがかかっているようだ、と不思議に思ったのは、彼の現実逃避だったのだろう。
その沈黙を破ったのは娘の方だった。
「あのう・・・」
「・・・はい」
「とりあえず、手を放していただいて・・・」
「あ・・・すみません」
握ったままだった娘の手を慌てて放しながら、彼は自分の人生は終わった、と思っていた。
もはや、彼女が勇者になると了承することはないだろう。
召還の成功に関する一切の望みは絶たれた。
勇者の召還という大事業に失敗した者の末路は知れている。
ようやくここまで上り詰めたのに、と彼は深いため息をついた。王の機嫌を損ねた自分は城を追われ、下手をすると国も追われるのだろう。城を追われただけならば何とか家に戻って魔法を生業に生きていけるだろうか。いや、勇者を召還し損ねたと知れれば、下手をすれば国賊扱いで石を投げられるのだろうか。そうなれば家族に迷惑はかけられない。
「あのう・・・」
黄昏れていた彼の意識は、娘に声を賭けられたことでなんとか現実に戻った。
「大丈夫ですか?」
気遣うように下からのぞき込まれ、その瞬間ぶわりといろんなものがはじけた。
「大丈夫じゃ、ないですよ」
一言言ってしまえば、あとは堰を切ったように言葉が流れ出してくる。
「もともとこんな仕事、したくてやってるわけじゃないんですよ。誰が好きこのんで、よその世界の娘を魔法で攫って魔物討伐なんて過酷な旅に送り出したいと思いますか?しかも討伐といってもこちらが領土を侵略しようとしなければ襲ってこない相手なんですよ?大体、そんな割に合わない役割を『勇者だ』『選ばれた存在だ』なんて言葉だけで引き受けてしまうようなノリの人間が、本当に過酷な使命を果たせると思います?実際、私の前の召還者と勇者は3組とも行方知れずなんですよ?」
「じゃあ、なんでそんな仕事をしているんですか?」
不思議そうに首を傾げた娘に、彼はいらっとした。
「王命だからに決まっているじゃないですか。一魔術師には逆らえないんですよ」
のんきなことを尋ねた娘は、目をつり上げた彼を見てすみません、と一言謝った。
謝られてしまうと、八つ当たりした自覚があるだけに彼のテンションはぐっと下がった。むしろ自分は彼女を攫った側の人間であることを思い出し、ずんと落ち込む。
「いえ・・・こちらこそ、すみません。こうなった以上送り返してさし上げるべきところなのですが、残念ながら今のところ、召還は出来ても送り返す術は存在しないのです」
「帰れない、ってことですか・・・」
明らかに少女はショックを受けた様子で、肩を落とした。それはそうだ、もう二度と戻れない、家族にも知り合いにも会えないだろうと告げたのだから。ここまでどこかのんきだった少女が口を引き結んで震えだしたので、彼は焦った。
彼はこれ以上ないほど下がった娘の眉に、泣かれては困ると慌てて言った。
「貴方が困らないよう、逃げる手筈を整えて、なんとか知り合いに渡りをつけます。いや、困ることはあると思うんですが、なるべく生きていけるよう、身の振り方が決まるまで世話をしてくれるように頼みますので」
少女の肩の震えが止まった。
「・・・知り合い?」
妙なところにひっかかった娘を不思議に思いながらも、彼は少しでも気がそれた今がチャンスとばかり続けた。
「そうです、私の兄のような人間なので、私の手紙を持っていけば絶対大丈夫です。彼、見た目は多少いかついですが情に厚い信用の出来る男ですし、ああ、男所帯ではないので大丈夫ですよ。私の姉弟のようなのが他に10人くらいいますから、騒がしいですが女手もありますし・・・」
「あの!」
娘が声を張り上げたので、彼は驚いて口を閉じた。
「お話中すみません。あの、そういうことではなくて、貴方はどうするのですか?」
ああ、そういうことか、と彼は娘の黒い瞳を見つめ返した。彼女はこの状況でも、気付いてしまったらしい。
「・・・私は、そうですね。すみませんが、多分一緒には行けませんので」
「なぜですか?」
予想通り、娘は退けばいいのに退かなかった。それで、彼は諦めて正直に言うことにした。
「・・・お咎め無しとはいかないでしょうから」
娘は一瞬眉を下げたかと思いきや、きゅっと唇を横に引いて眉根を寄せた。
しばらく考え込むように床を見つめたあと、彼女は顔を上げた。
「召還は王様の命令で、魔物退治を断ると私も貴方も咎められるし、どちらにしろ私は帰れない、ということであっていますか?」
「はい」
「魔物退治はこの世界の貴方から見ても、妥当ではなく、困難な命令なのですよね?」
「・・・はい」
「もう一つ、聞いてもいいですか?」
「はい」
「私には選ばれた者として特別な力があるというお話でしたけど、具体的には何ができるのですか?」
「この国を救うために必要な力をもっているらしいです」
「・・・」
娘がうろんな目をしたので、彼は慌てて言った。
「嘘ではありません。私はそういう条件で召還したのですから。自分で言うのもなんですが私の力は本物ですからね、貴方がこの国を救える力をもっているのは確かです」
「・・・そうなんですか」
娘は再び考え込むように口を閉じた。
それからしばらく、彼は娘の黒い髪に光る輪を眺めていた。興奮しすぎたあとの放心状態というのか、はたまた死を覚悟してしまったためなのか、彼はやけにぼんやりとしていた。
「あの」
娘が再び顔を上げたとき、彼は彼女の髪がさらりと揺れたことでそれを知った。
「なんでしょう」
「決めました」
「はい。それじゃあ、手紙を書きますね」
「いいえ、手紙はいりません」
「はい?」
娘は黒髪の下の白い顔を強ばらせていた。緊張しているようだ、と彼は思った。
「とりあえず、王命に背いていないことにして、旅に出ましょう」
「は?」
「だから、私が魔物退治に出たことにすれば、貴方も私もとりあえずお咎めを受けずに時間を稼げるのでしょう?」
「え・・・」
「それで、その間に魔物退治をするのか、王様を説得するのか、そのまま逃げるのか、何をするにしても準備をしましょう」
「ええ・・・」
あまりに前向きで、彼の常識からするとかなりあざとい提案に、彼は驚いて口が閉じられなかった。
異世界人とは、こんなにあざとい考え方をするものなのか。こんな虫も殺さぬような大人しげな少女が。
「それでいいですか?というか、帰れなくされた以上、当面貴方に責任もって付き合ってもらおうと思っているんですけど」
責任、と強調するように言われ、彼は姿勢を正して頷いてしまった。
しかし、よく考えなくても、この時間稼ぎに少女自身の利益は少ない。これはむしろ、彼を救うための決断と言えるのではないか。
「あの・・・」
「なんでしょう」
立場を入れ替えたように質問の声を上げた彼を、少女は見上げた。
「こうなった以上、できるだけ貴方の望みにそうように取りはからうつもりです。私の義兄弟は各地にいますから、職種は各種選んでもらえますし、結婚がお望みなら相手も選べるようにします。・・・だから無理矢理召還した私のことまで、考えてくれなくてもいいんですよ」
すると少女は初めてほんの少しだけ笑みを見せた。
「私、あちらに家族はいないんです。だから、帰って会いたい相手がいるわけではないんです。一番ショックなのは知り合い一人いない世界に放り出されたことなんですけど・・・貴方が有能な魔術師だっていうのなら、責任もって面倒を見てくれますか?」
彼は、こくりと頷いた。
声が出せなかったのは、不満だったからなどではない。少女の可憐な笑顔に、衝撃を受けていたからだ。
一見地味な黒髪と白い肌の小柄な少女だが、彼女が微笑むと、荒れ地に小さな花を見つけたような、稚い子どもを抱き上げたような、そんな守ってやりたいという思いがわき上がってきた。
この少女には、今頼れる人間が自分しかいないのだ、と彼は思った。
彼は物心ついたときには親兄弟なく、城下で孤児として育った。その後運良くいい魔法使いに弟子入りし、今では義理の兄弟達に援助することすらできるようになったが、ずっと寄る辺のない生活を送ってきたのだ。
この可憐な少女を、自分の手で守りたい、と彼は強く思った。
義兄弟たちはきっと彼女を匿い、独り立ちできるよう手助けしてくれるだろう。しかし、自分の手で守っていけないという理由はない。彼女が今、その道筋を描いて見せてくれた。
「・・・行きましょう」
彼は手を差し伸べた。
少女が、そっとそこに指先を載せた。
その手の小さく温かいことに、震えるほどの感動を覚える。
なんとしてでも、この手を守り続けるのだ。そのためには、魔物だろうが国王だろうが、退治してみせよう。
彼は生まれてから二十数年で、最も強く固く、決意した。
それから三年。
紆余曲折を経て、選ばれた勇者は予定通り国を救った。
ただし、国王の望み通りに魔物を退治することはなかった。
それ故、セオリー通りに国王に褒美をもらうこともなかった。
選ばれた勇者の娘は、召還者である魔術師と共に魔物の国の王と協定を結び、それを国王の鼻先に突きつけて退任を迫った。
そうして、魔物の領土に侵攻し国をいたずらに疲弊させていた国王は蟄居させられ、代わりに冷遇されていたものの人格者と名高かった王子が政権を握った。王子は稀代の魔術師と呼ばれるまでになった件の召還者とともに疲弊した国土を立て直し、わずか三年のうちに国を安定させた。
勇者はといえば。
三年の間にほんの少し髪が伸び、女性らしくなっただろうか。
結局、選ばれた娘には自分が何をしたという実感もなかった。ただ、彼女は自分を召還した魔術師と一緒にいただけだ。
もしも自分が何かをしたというのなら、と彼女は思った。あのとき、彼の手をとったことくらいだろうと。あの日、召還が失敗したと思って死を覚悟したという彼に責任をとれと求めたこと。あれで責任感の強い彼が奮起して、稀代の魔術師といわれるほどの才能を開花させるに至ったのなら、自分にもほんの少しは意味があったのかもしれないと。
彼女は知らない。愛しい彼女を守りたいがために彼が王子と共闘したことも、彼女にいいところを見せたいがために彼が奮起して魔術を極めたことも。
「こんなところにいたの」
彼女は聞き慣れた声に振り返った。
綺麗な金の髪に、紫の瞳の美しい男が隣に並ぶ。
「街を見ていたの」
彼女は豊かになった国を眺めて微笑んだ。
「危ないから、外に出るときは声をかけてっていったよね?」
「だって、ただの屋上だよ?」
召還以来かなりの心配性ぶりを発揮し続けている彼は、片時でも目を離せば迷子になるとでもいうように首を振る。
「全く、信用ないなあ」
ため息をついて見せれば、彼はすぐに否定した。
「違うよ、君のことは信用してる。でも、自分の奥さんを心配するのは当たり前でしょ」
特にどこに攫われて隠されるか分からないような人なら、と付け足されたので彼女はむっと頬をふくらませた。この世界の標準よりかなり小柄なことを、この勇者は気にしているのだ。
それを知っていてわざとからかった彼は、背後から彼女を抱きしめて言った。
「ねえ、機嫌直してよ。僕の勇者さん」
「嫌です」
「ねえったら、こっち向いてよ」
「嫌です」
「なぜですか?!」
魔術師の、若干嬉しそうなこんな声が響く、そんな平和な国。選ばれた娘は、異世界で家族を手に入れた。