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アヴェンジャー:世界が俺を拒絶するなら:現世編  作者: 藤谷和美
サイドストーリー第二話:ミリアムの場合
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ミリアムの場合:見つけた路

 スマートフォンに設定してある1回目の目覚まし音を寝ぼけまなこで止めて、2回目の目覚まし音でようやく全てを諦め、思い切り薄手の掛け布団を蹴飛ばして起きる。


 こうでもしないと、また二度寝どころか三度寝をしてしまって慌てる羽目になるのは自分なのだから、ここは思い切り掛け布団を気合いで蹴り飛ばして起きるのがベストな選択なのだ。

 

 衣装ケースの引き出しを開けて、綺麗に折り畳んで並べてある下着を無造作に掴むと、バタバタと慌ただしく階段を降りてバスルームへと飛び込む。

 これからは1分1秒たりとも無駄にできない朝のルーティン作業ワークが始まるのだ。

 

 シャワーを浴びて、夏の寝汗を流すのもそこそこに髪の毛を急いで洗い、バスタオルでショートボブの髪の毛を拭うように乾かして洗濯機の横に置いてある大き目の姿見に向かってポーズを取ってみるのも毎日の日課だ。


 セクシーとは言いがたい貧弱な我がボディの薄さには、何度見直して見ても泣けてくる。

 それでも贔屓目に見れば細いウエストから連なる少し大きめの腰にかけてのラインは女性っぽいと自己評価は高いのだが、如何せん鏡に映る胸の双丘が貧しすぎた。

 

 友人たちの中にはDやEの子も多く居るというのに自称Bカップのブラは、いつも少しだけ中身とカップとの間に隙間が出来てしまうのが残念でならない。

 

 元々背が伸び始めたのも中学校に入ってからで、小学校から胸が大きくなり始めた大半の子達に比べると自分などはようやく大きくなり始めた処だと言うのも、誰にも言えない身体的コンプレックスの一つなのだ。


 公称157cmの身長だって、身体検査の度に背伸びをこっそりとやっているなんて誰にも言えない……


 どうせ体育の授業中やクラブ活動で体を動かせば、元に戻ってしまうのは判っていても、少し前屈みの姿勢で脇と胸の下から僅かな皮下脂肪を集めて、カップの両サイドに僅かにパットの入っているBのブラに出来た隙間を更に埋めるという屈辱的な行為も、一度やってしまうと止めることが出来ない小さな見栄のようなものだ。


 制服の白いブラウスに細い緋色のリボンを着け、濃い緑のチェック柄のプリーツスカートを身につけて着替えを済ませると朝食を摂るのもそこそこに家を出るけれど、同級生達に比べて長めのスカート丈が我ながらダサいと思う。


 両親が五月蠅いので長めのスカート丈で家を出てからウェストを巻き上げて膝上丈にするのも、しつこいけど毎日の日課、な・の・だ!


 短くすると言っても、一部の派手な子達のように下着が見えそうなくらいに短くすることは出来ないし、かと言って校則を律儀に守っている子達のように何かしらのポリシーがある訳でも無い自分は、どっちつかずだと思うけれど、これも一度やってしまうと簡単には止められない。

 

 自由奔放で言いたいことは溜めこまずに素直に何でも言う、でもちょっと素直になりきれないツンデレなミリアムと言うゲームキャラクターの姿は、今の自分の何処にも無い理想の姿に過ぎないのだ。


 両親は二人とも教師で、剣道を通じて知り合ったらしい。

 だからなのか、自分も子供の頃から半ば強制的に剣道を習わされている。


 でも、今の中学校でやっている剣道と言うものは、いつまで経っても自分の力を思い通りに発揮できないから、正直言って好きでは無いかもしれない。


 おまけに教育という物に一家言を持っている人達だから、始末が悪い事に彼らには勉強が好きでは無いと言う事が理解できないのだ。


 出来ないのは勉強をしないから、いつもそんな一言で片づけられてしまい、反論を試みようとしても、正論には理屈では勝てない。

 だから、言葉にできない反抗心というものが心の底に澱のように溜まって行るのは、自分でも気づいていた。

 

 それでもクラスで上位の成績でいられるのが、英語教師である母親と数学教師である父親のお陰であることは、自分でも判っている。


 勉強勉強と口うるさい両親の居ない学校に行く事と、放課後にクラブ活動をサボってネットゲームに没頭する事が、今までは唯一の自分の救いでもあった。

 でも、ゲームに捕らわれた約半年の期間で、それも大きく変わってしまっていた。

 

「杏奈、お前はクラブ活動をサボってゲームなんかやっていたのか?」

「杏奈、どうして答えられないの?」


 病院で目覚めた時には涙を流して喜んでくれた両親だったが、体に異常が無い事が判り、退院の日程が決まってからは、いつもの厳しい両親に戻ってしまっていた。


「だって、尾野崎先生が強い子を贔屓するから…… 」


 この尾野崎と言う理科の先生は剣道部の顧問をしているんだけれど、物事を強い弱い、出来る出来ないだけでドライに扱うので、多くの出来ない生徒に嫌われているし、あたしも当然大嫌いだ。

 

 小学校の時からやっているから嫌いではなかったはずの剣道が嫌いになったのは、この尾野崎先生の影響が大きいと自分では思っている。

 そりゃあ中々練習でも結果を出せないんだから、当然試合なんて出してもらえないし、そんな自分にもイライラしてしまう。

 

「秋吉、お前はメンタルが弱すぎる、技術は悪くないのに気合い負けしてどうするんだ、馬鹿たれ」


 顧問の尾野崎先生は剣道の事になると、そりゃあもう授業以上に勝ち負けに凄い拘る変態だから、勝てないあたしのような子には竹刀で床を激しく叩いて叱ってくる。


 バチーン!と武道場の床に叩きつけられた竹刀の音には、いつも部員のみんながビクッと反応するのが傍目にも判るから凄く嫌だ。


 そりゃあ自分のメンタルが強くないのは昔から判っている。


 だけど、子供の頃から厳しく言われ続けてきた「他人を傷つけてはいけない」だとか、「どんな理由があっても暴力は絶対に駄目」だとかの押しつけられた価値観と、試合で「相手に何としても勝ってやろう」だとか「何処をどうやって攻め落としてやろうか」なんて、教えられてきた価値観と相反する行為にみんなは矛盾を感じないのだろうか?


 なんて事を、ゲームの中に囚われる前はずっと考えていた気がする。

 

 確かに、自分が練習して身につけた技が相手に決まると凄く気持ちが良いんだけれど、その反面では相手に思い切り竹刀を叩きつけて技が決まると、凄く「気持ち良い」と感じてしまう自分は、果たして人として正常なんだろうかとか言う不安な気持ちと折り合いがつかなかったのだ。

 

 友達は、「そんなの気持ちよいのが当たり前じゃん、そのために厳しい練習をしてるんだもん」と、あっさりと割り切っているけれど、なんか自分の中で理解は出来ても納得が出来ないというか、他人を傷つけることは悪い事だと教えてこられて、それを消化できずにいたのだ。

 

 小学校の時はまだ、そんな事も考えずに純粋に強くなるためというより、上達すると喜んでくれる両親のために余計なことを考えないで練習を積み重ねてきたんだけど、中学校になって何の疑問も無く剣道部に入部して尾野崎先生に出会ってから、なんか勝つことだけに必死になることへの疑問というか余計なことを考えるようになってしまった気がする。

 

 少なくとも小学校の時に剣道を教えてくれた師範は凜とした立派な人で、勝ち負けよりも礼儀作法とか相手を尊重する事に厳しくて、小学生相手の稽古でも終わりにはちきんと礼をして「ありがとうございました」と自分から言うような人だっただけに、余計に勝ち負けに凄く拘って、強くなれないあたしたちには礼儀とか稽古後の挨拶すら疎かにする尾野崎先生に、最初から違和感を感じてしまったのかもしれない。

 

 練習の地稽古、所謂いわゆる乱取りでも、竹刀を合わせた時にヒシヒシと感じるあたしに勝ってやろうと言う仲間のギラギラした目とか、負けたときの悔しそうな顔を見てしまうと、なんだか勝ちたいという気持ちが萎えてしまっていたのだ。

 

 いつの間にかあたしはメンタルの弱い駄目な奴と尾野崎先生に評されてしまい、剣道と言うより「お前は格技には向いていない」と面と向かって言われてから、雑用を言いつけられる事も同級生の部員に比べて増えてしまい、いつの間にか練習に行きたくなくなってしまったのだ。


 そんなあたしだけど、ゲームの中に閉じ込められてエクソーダスの仲間と共に過ごした濃密なゲーム内時間で約2年間(実時間で約半年)の日々は、あたしの心を大きく変えてくれた気がする。


 ゲームの中に閉じ込められて居た時は、「勝つ」と言うことがストレートに「生き残る」ということだった気がする。


 途中から過保護な措置が付加されて本当の意味でゲーム世界で死ぬ恐れは無くなったけれど、それでも攻撃を受ければ痛いし、やられて復活地点に戻る時はその虚無な感覚のリアルさにしばらく立ち直れなかったりもした。


 自分が弱いせいで仲間に痛い思いをさせてしまう事はもっと辛かったから、頑張って強くなるために戦い続けたんだと思う。

 少なくない人が安全な街に引きこもっていたけど、体は死ななくても心を病んだ人も多かったように思えた。


 今では、戦うことに躊躇をしていた頃の自分というのは、結局誰よりも安全な場所にいるからこそ戦うことを避けても生きて行けたのだと思うようになっている。


 自分にとって、エクソーダスの仲間との出会いは運が良かったと今でも思っているけど、パンギャさんとの出会いが無かったら、今頃どうしていたのか想像もつかない。



「剣道って強いだけで良いの? 小学校のときの師範はそんな事なかったよ、強い子だけが偉いの? 尾野崎先生は何か間違ってると思う」

 あたしは、思い切って両親にそう言った。


 一度口から出してしまうと、今まで受けてきた理不尽な扱いが涙と共に次々と溢れ出してきた。

 親に言いつけるなんて、格好悪いことは絶対にしたくなかったのに言葉が止まらなかった。


「どんなに強いと言っても、それは剣道の狭い世界の中だけの事だからなぁ…… 」

 自分でも長年剣道をやっているお父さんの口からは、意外な言葉が返ってきた。


「今の時代に、剣が生かせる場所なんて確かに無いわねぇ…… 」

「むしろ銃を持ってる相手が離れていたら、剣で勝てるとは思えないからな」

 若い頃は全国大会で優勝したこともあるお母さんの言葉に、お父さんが同意した言葉も意外だった。


「その銃だって、空から爆弾を落とされたら勝てないわよね」

「まあ、なんだ… 強いとか弱いとかってのは、その程度の事でしかないんだよ」


 まさか、お父さんとお母さんの口から剣道そのものを否定するような言葉が出てくるなんて思わなかったから、ついその先に生まれた疑問を口に出して聞いてしまった。


「だったら、何で私に剣道をやらせたの?」


「今の時代、誰よりも強くなることなんてのは結果として付いてくる副次的なことで、武道を経験して身につける礼儀作法だったり考え方だったり、勝てる自分になるために努力する精神的な強さだったり、困難に尻尾を巻いて逃げずに戦える人になる事だったり、そういう事をお前に身につけて欲しかったんだよ」


「そうよ、物理的に強くなるだけを私たちが望んでいたのなら、杏奈には近代的な格闘技でもやらせてたわね」

「まあ、剣道だって物理的に強くなれるけどな」


 結局最後は、お父さんも剣道を否定して言った訳ではないことが判って、あたしは少し安心をした。


「じゃあ、尾野崎先生は間違ってるって事だよね?」

 あたしの出した結論に対して、意外なことにお父さんは首を振った。


我武者羅がむしゃらに自分の強さを求める時期ってのは誰にでもある事だし、中学生とか高校生くらいの伸び盛りの時には経験しておく事も必要だと思うよ、経験して通り過ぎて初めて見える事もあるし、勿論相手への尊重とか礼儀とかを忘れないことが前提だけどね」


「尾野崎先生って言う人は、少し強いとか弱いって二元論に拘りすぎている面はあるわね」

「そうだな… そういう人は、どうやっても勝てない相手ってのに直面すると自信喪失して折れちゃう可能性があるな」


「お父さんの言う事は少し難しすぎて良く判らないけど、強くなることに疑問を持つ私の考え方も間違ってるけど、尾野崎先生だって必ずしも正しいわけでは無いって事なのかな? 」

 私の出した結論に、お父さんもお母さんも笑顔で頷いてくれた。


「強くなることは修練の結果であって、それに溺れちゃうと目的と手段が逆になっちゃうよって事なんじゃないかな」


「そういう事に悩むって事は、悪い事じゃないわね。 いつも剥き出しの真剣を構えて生きる必要なんか無いのよ、必要なときに大切な物を守る為に躊躇無く抜ける真剣を持っている事が大事なの、判る?」


 お父さんの言う事も、お母さんの言う事もまだ良く判らないけど、大事なのは辛いことに負けない心を持つことで、強くなることも無駄じゃないって事なんだと思うことが出来た。


 そう考えて見ると、あたしは目の前の辛いことから逃げていたんだと思えるようになった。


 尾野崎先生が礼儀を疎かにしてまであたし達に強さを求めるのなら、あたしは小学校の時の師範に教わったように礼儀を忘れず相手を尊重する事も忘れずに強くなってやると密かに誓ったのだ。


 そして、最後にお父さんから嬉しい知らせを聞いてあたしは再び眠りについた。




 退院して復学した初日、私は学校へと続く緩い坂の途中で2年の時のクラスメートで友人でもある千尋ちひろに追いついた。


「おっはよ~ん千尋!、久しぶり~ん」

「あ、杏奈ぁ~、今日からなんだ、良かったね戻って来られて」


 振り向いて私だと判ると途端に笑顔になった千尋は、同い年なのに何だか半年前より少し背が伸びていて、子供っぽかった顔つきも少し丸みが取れて何処か大人っぽくなっていた。

 そして、当時から大きかった胸も……


「ちょっと、暫く見ない間に制服がキツそうですね、千尋さん」

 顔を千尋の胸に近づけて、ツンツンと人差し指で突いてみるとブラの堅さを通してもその柔らかさと弾力があたしの指を跳ね返してくる。


「ふふ… 杏奈は相変わらず貧ny…… 」

「言うなあぁぁ~、それを言うなあ!」


 思わず地面に膝をついて泣き崩れる真似をするショートボブなあたしと、胸を張って巨乳を見せつけながら腕を組んで見下すような目をして見せるポニーテールの千尋。

 ここまでの流れが、中二の2学期まで毎朝彼女とあたしが続けてきた小芝居なのだ。


 言うまでも無いけど、千尋に手を引かれて鳴き真似をしながら立ち上がる処までが一連のお約束になっている。


 ギャグにでもして笑い飛ばさないとやってられないんだけど、自虐ネタってのは密かに自分の胸が痛かったりもする(誰なの? 貧乳とか突っ込む奴は! 痛いのはあたしの心の事だからねっ!)。

 この気持ちは豊乳な方々には一生判らないだろうね(ふっ…… )。


「どうしたの杏奈? 達観したような顔して誰と話してるのよ」

 ヤバイ、つい妄想の世界に入ってしまったあたしに、千尋が不思議そうな顔をして問いかけてきた。


「いや、ちょっと誰かにわらわれたような気がして、つい…… 」

 あたしは、ちょっと秘密の行為を見られてしまったかのように、かなり気不味そうにそう応える。


 千尋はそんなあたしの気持ちなんか想像も出来ないらしく、少しだけ首を傾げていたけど、まだまだ童顔でロリ巨乳な千尋には貧乳のあたしの気持ちなんて判らないよねー。


 千尋は事も無げに「巨乳なんて動いて運動やりにくいし、重くて肩が凝るだけ」だって言うけど、復学初日からあたしHPヒットポイントは大ダメージの直撃を受けて削られまくりかもしれない。


 ゲームの中のミリアムは、Dカップなんだけどなぁ……

 オフ会が決まったらどうしよう…


 和兄ぃはゲームキャラのミリアムと違いすぎる貧乳なあたしを見たら、どう思うんだろう?


 顔だけは、まだ少し子供っぽいだけでゲームキャラのミリアムには少ししか負けてないと思うんだけど、そんな事を考え始めると一斉解放ログアウトの日にみんなで約束した、あんなに楽しみだったはずのオフ会の日程が決まる日が来る事が、途端に憂鬱なイベントに思えてしまったりもするのだ…


 それにしても、和兄ぃはどんな顔をしているんだろう… 


 自分の事はゴリラみたいだって言ってたけど、レンタルで見た昔の洋画「ヘルボーイ」の俳優ロン・パールマンみたいな顔なんだろうか、それともお母さんがゴリラ顔で連想したブラッド・ピットとか言う昔の俳優みたいなイケメンなんだろうか、ゲームの中で聞いた限りでは長身で痩せ形みたいだけど、早く逢ってみたいなぁ……


「杏奈、また変な妄想に入ってるでしょ、急がないと朝のホームルームに遅れるわよ」

「ヤバっ、少し走るわよ!」


 千尋にポンと肩を叩かれて現実に戻ってきたあたしは、時計を見て大慌てで千尋と一緒に駆けだした。

 暴れる大きな胸を片手で押さえて走りにくそうな千尋を横目に見て、ちょっとだけあたしの中で溜飲が下がったのは内緒だ。



 下駄箱で千尋と別れて職員室に駆け込んで自分の新しいクラスを確認すると、尾野崎先生の処へ行ってお父さんに言われたように頭を深く下げてクラブをサボった事を詫びる。


「今まで勝手に休んで申し訳ありませんでした。 今日は授業が終わったら武道場へご挨拶に伺います」

 頑張ってそう告げたら、やっぱり尾野崎は嫌な奴だった。


「なんだ、練習に着いて来られないから尻尾を巻いて逃げ出したのかと思ってたぞ」

 椅子に座ったままで開口一番、あたしの顔をジロジロとわざとらしく見て、あたしの顔を今思い出したかのように大げさなリアクションで、そう言いやがった…

 あっ… じゃなくて、言いましたでございますですわ。


 もし、それが本当なら教師として正式な部員の無断欠席を引き止める気も、来なくなった理由を尋ねる気も、自分の指導する部員に対して興味も無いという事になりますわよ、尾野崎先生。

 もちろん、口にだしてそんな事を言ったりしないけど、やっぱムカつくわ此奴こいつ


「弱い奴は要らんから何時でも辞めて良いぞ、お前に強くなる気があるなら今日から出て来い」


 黙って口答えしないあたしに何か勘違いをしている尾野崎は、そう言うと不機嫌そうに椅子を回して自分のデスクに向かったまま無視を決め込んでいるようだった。

 だからあたしは形通りに「失礼します」とだけ頭を下げて、新しい担任の若い芝先生と新しいクラスに向かう事になった。


 まあ、判っていたけど彼奴あいつは強い子にしか興味が無いって事なのよね。


「お父さんとの約束は、これで果たしたって事で良いよね」

 あたしは、そう小声で自分に向かって呟いた。


 授業が終わって教室の掃除も終わり、クラブに顔を出すと尾野崎先生が仁王立ちで偉そうに待っていて、すぐに道着へと着替えさせられた。


 寝たきりの生活から退院して2週間しか経っていないので、練習をするつもりなんか無くって挨拶だけのつもりだったけど、もうどうでも良いかって気分だったので素直に久しぶりの道着へと着替える事にした。


 そう、あたしを待っていたのは、練習という名の制裁だったのだ。


 多少の体力が回復したとは言え、まだ本調子では無いあたしに、10人の強者とそれぞれ3本勝負をさせようなんて……

 体力的にも精神的にも休みなしでの30本の連続勝負は普通の指導者なら考えないはずだけど、やっぱりこいつは屑教師よね。



 10人目に当たった、レギュラーで大将をやっている子の竹刀を弾いて横面を決めた時には、尾野崎は口をアングリと開いて終了の合図を告げる事も忘れているようだった。


 個人戦では全国大会の常連で、いつも上位に入る事が当たり前の子をサボり魔のあたしが子供扱いしたんだから、それは当然の反応でしょうね。

 ちょっと後ろめたいけど、スキルが現実世界でも使える事に目覚めたあたしは、10人を短時間で倒したって息も切れていない。

 まあ、チートだから当然なんだけどね。


「尾野崎先生、次は先生がサボり魔の私を鍛え直す為に練習をつけてください」

「お、おう、覚悟しろよ俺は手加減せんぞ!」 


 普段から尾野崎に目を掛けられて強いことを鼻に掛けていて、あたしや他の強くなれない子達の事を無視したり見下していたいた10人は、アッサリと負けたことがショックだったのか全員が項垂れて立ち上がれないでいる。


 あたしはゆっくりと尾野崎に向き直って最後の相手をお願いしてみた、それを断れる訳が無い状況だと知った上で。


 相手が引くに引けない立場なのも判っているし、スキルがあれば負けはしない事も判った上での我ながら狡い要求だったけど、そんな事を知らない尾野崎は部員達の見ている前で逃げることも出来ずに、要求を呑んで防具を着け始めた。


 あたしは、念のために身体能力向上と加速のスキルをレベル3迄上げてから、先生と向かい合った。


「お父さん、ごめんなさい。 あたしは今日だけ狡くて卑怯な子になります」

 面に隠れた口でそう小さく呟いて、尾野崎と剣先を交差させた。


 身長が157cmのあたしにとって、180cm近くある男の人が相手だと見上げるような大きさに見えるけど、精神的な威圧感と言うものはまったく感じなかった。


 剣先が触れた瞬間に尾野崎は奇襲攻撃を仕掛けてきたけど、どうやったって「見切り」スキルでスローモーションに見えてしまう相手の動きに、今のチートなあたしが着いていけない訳が無い。


 そもそも指導する立場の人間が格下の生徒に奇襲攻撃を掛けるなんて、指導者としてのプライドとかそういう物よりも勝つ事が全てな人らしいなと、変なところで感心してしまった。


 まあ、今のあたしは、見かけ通りの格下の実力じゃ無いんだけどね。


 ズルをしている事に少しだけ良心が痛むけど、今日は気にしない事にして目標を見失って右往左往して、ようやく後ろにいるあたしを見つけた尾野崎の面に攻撃を仕掛ける。


 裂帛の気合いと共に打ち込んだあたしの小細工をしない単純な面への攻撃は、剣速が速過ぎて尾野崎の反射神経と筋力では対処できなかったらしく、スパーンと小気味よい音を立てて決まった。


 竹刀が折れちゃうんじゃ無いかと思うくらいの深い角度で曲がったあたしの竹刀をまともに喰らった尾野崎は、軽い脳震盪を起こしたのかガックリと片膝を床に突いた。

 それはそうだ、なにしろ今のあたしは大型ゴリラ以上の筋力なのだから…


 二本目は卑怯にも、開始早々に中学校では禁じられている突きを放ってきた尾野崎。


 あたしが、じっくりと剣筋を確認してから自分の竹刀の腹で相手の竹刀を擦って軌道を変えて体をかわしてやると、目標を見失った全力で放った突きの体重移動に軽い脳震盪を起こしたばかりの足がついて行かず、体勢を崩した尾野崎が面白いようにバランスを崩して、無様に武道場の床に防具の面から突っ込んだのが見えた。


「貴様ぁ、ちょこまかと動きやがって!」

 そう言いながら、立ち上がった尾野崎は竹刀を振り上げて突っ込んで来た。


 なんだか、尾野崎は怒りと恥ずかしさに我を忘れて動きが素人のようになっているようだった。

 あたしは、これ以上続けるのも面倒になったので引導を渡して終わることにした。


 突っ込んでくる尾野崎の面を左に躱して相手の右側面に入ると、思い切り小手を切り落とすイメージで痛打してから、その竹刀の反動も利用して思い切り全力で面に竹刀を上から叩きつけてやった。


 尾野崎はそのまま崩れ落ちると、失神してしまったのか起き上がる事ができなかった。


「ねぇ、なんだかちょっと臭くない?」

 そんな声が聞こえる。


 見れば、尾野崎の袴に黒い滲みが広がっている。

 ちょっとやり過ぎたかなと反省したけど、まっ、これは仕方ないわよね。



 暫くしてから目を覚ました尾野崎は、心配そうに覗き込むポーズをするあたしを見つけると、さっきの醜態を取り繕うように早口で話し始めた。


「秋吉!お前の才能を俺は見抜いていたんだ、だから厳しく当たったんだぞ、お前は今日からレギュラーだ、みんなも異論は無いな」

 そう言って見回した部員達は、顔を見合わせて気まずそうな顔をしている。


「秋吉、なんでお前は制服に着替えているんだ?」

 ようやく、あたしが道着から制服に着替え終わっていることに気付いた尾野崎が、いや尾野崎先生が尋ねてきた。


「先生、私は剣道部に復帰するなんて一言も言ってませんよ」


「しかしお前、今まで勝手に休んで申し訳ありませんでしたって言ったろ、それに授業が終わったら挨拶に伺います…… って、挨拶う? 」


「私、本日をもって剣道部を退部いたします。今までありがとうございました」

 そう言って深く頭を下げるあたしに向かって、小野寺が叫ぶように言った。


「まて秋吉、お前、剣道を辞めるなんて早まるな! お前なら全国大会優勝も夢じゃ無いんだぞ!」


 尾野崎先生が必死で引き止めるのを無視して、その場から立ち上がったあたしは去り際にこう告げた。


「すみません、剣道は辞めません。 以前お世話になっていた師範が道場に復帰されたので、そちらでお世話になることにしたんです」


 そう、お父さんがあたしに告げてくれた嬉しい事というのは、師範が退院して再び剣道場を再開したという話だったのだ。


 既に先生が気絶している間に、他の部員達には挨拶を済ませてあったから、みんな微妙な顔をしていたのだけれど、気絶して失禁までしていた尾野崎先生がそれを知る筈も無かった。


「まて! 秋吉、待ってくれ!」


 呼び止める先生の声を後ろに聞きながら、道場に礼をしてあたしは帰る事にした。

 今日これからでも師範の処へ顔を出さなくては、そう思ってあたしの心は弾んでいた。

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