086:そして10年後
俺が異世界へ来てから9度目の秋が征き、厳しい冬はやがて通り過ぎる。
そして、心ざわつく春もいつの間にか終わりを告げて、またいつものように眩しい夏がやって来た。
異世界でも、この季節は草木が青々と力強く茂り、人々が苦労の末に切り開いた土地を再び魔物の生息する森に戻すかのように、その境界線を静かに押し返してくる。
異世界の命運を分けるとも言えるような激しい戦いを勝利で終えた俺は、生まれた土地に戻ると言うイオナたちと別れ、取り戻した自分の国に戻るメルや居場所を見つけたアーニャたちとも別れて、このまま旅を続ける事にした。
神人と呼ばれていた者たちがリーフと呼んでいた大きな大陸を一周して、その間に様々な国を巡り幾多の人々と出会い、そして別れて今俺はここにいる。
異世界へ来て10年目を迎える今年は、旅立ちの原点とも言える異世界での物語が始まった国に、俺は再び戻ってきていた。
この地で唯一変わらぬ俺の相棒は、昔から変わらず器用に俺の肩に乗っている、金色の子猫バルだけだ。
メルの事、イオナとレイナの事、アーニャとヴォルコフやティグレノフの事、そしてエクソーダスの仲間の事は、いずれ語る機会を待ちたいと思っている。
大陸を1周してから、イオナとレイナが住む大陸西側の国でしばらく時を過ごした俺は、10度目の夏を迎えたのを機に、メルが治めている国へと再び向かっていた。
10年の月日が経過したというのに、まだ俺の姿は転移して来る前の18歳の頃の容貌に、ようやく近くなった程度にしか変化をしていない。
しかし見た目の若さとは裏腹に、俺の実年齢はもう28歳になっている。
そんな俺にとって、この10年は様々な経験を積むのに、余りある年月だった。
俺が今歩いているこの場所は、イオナとレイナが住む国とメルが居る国の間――俺が元居た世界の地図で言えば、富士山の麓あたりだ。
イオナ達が住む街は旧世界では岡山県か広島県辺りに相当するけれど、メルが住む国は東京にほど近い位置関係となっている。
二つの国は、右下に向かって倒れている二等辺三角形に似た形の、広大な大陸のちょうど左辺の中央付近に相当する位置にある。
そして二つの大国の間には大小様々な国がいくかあって、その二つは直接境界を接していない。
それらの国々は特に関係が悪いわけではなく、人々の往来を制限するものは周辺の森や隣接する草原に生息する魔物や魔獣と呼ばれる異形の生き物くらいなものだ。
あの戦いの後で、人々の暮らしぶりは大きく変わり始めている。
この世界を旅するのに当たって、俺は特にお金に困っている訳では無い。
俺がこんな森の奥深くまで立ち入っているのは、近くの村で聞きつけた森の奥深くで発見されたという新しい遺跡の噂に心を惹かれ、いつものように調査をしに来ているだけだ。
偶然迷い込んだ旅人に発見されたという古代の遺跡は、入り組んだ地下深い構造から別名を地下迷宮と呼ばれている。
その森に住む数多くの魔獣や魔物に邪魔されて、その存在は噂の域を出ない程度に、行き着くのが難しい森の奥地にあった。
しかしそんなものは、俺にとってさほど苦にはならない。
反重力魔法と風魔法を組み合わせて、地上より遙か上空から遺跡らしき場所を探せば良いのだから……
そのダンジョンの深層部へ足を踏み入れてから、まだ然程時は経っていなかった。
この場所に至るまで、ここに住み着いた魔物は片っ端から排除して、今ここに俺は居る。
俺の歩いている辺りは、周囲の壁や天井が酷く崩れていた。
ドシャッ! 激しく何かが壁に叩きつけられるような音が、光魔法に照らし出された通路の中に響き渡る。
今もまた、物陰から急に飛び出してきた魔物に風属性の小さな魔力玉をぶち込んで、内部から破裂するように吹っ飛ばしたところだ。
俺は、魔物が跋扈する地下迷宮を、何かに例えるならまるで無人の野を行くが如くと言うのだろうけれど、何者にも邪魔をされずに奥へそして下へと進んで行く。
ここまで今のところ、特に何か古代の技術で作られたような遺物は見つかっていない。
この10年で判った事は色々とあるけれど、地下迷宮と呼ばれる物のいくつかが、実は古代の遺跡である事を俺とイオナたちで突き止めていた。
運が良ければ、原型をとどめている古代の遺物を見つけることが出来るかもしれない、その好奇心が俺を動かしていた。
ふと、その崩れ落ちた柱や壁の一角に何処か見覚えがある気がして、照明代わりの光魔法の明かりに照らされた室内に目をこらす。
俺は見覚えのあるそれを見つけて、その場に立ち止まってしまった。
そして、思わず上ずった声を出してしまう。
「まさか……」
その、半ば崩れ落ちた石造りの部屋の片隅に、ひとつの石像が奇跡的に壊れず、崩れかけた部屋の隅で壁と壁の接合点に立て掛けたような姿で残っていた。
あれから訪れた破局の時代を、それが無傷に近い状態で壊れずに残っていたのは、奇跡と呼んでも間違いでは無いだろう。
当時の姿そのままの、可憐な少女の石像に見える僅かな欠けやひび割れは、その力が世界のバランスを崩すとまで言われた俺の魔力の前では、破損と呼ぶには値しない。
俺は、その石像に顔が触れるほどに近づき、そして彼女自身が喉元に向けた形の石の両手に自分の両手を添える。
そして、かつて俺が彼女の自殺を止めるために掛けた石化の魔法を、その場で解除した。
同時に、俺は高位治癒魔法を、全力で彼女――かつての恋人だった紫織に掛ける。
様々な感情が入り交じった万感の想いが、俺の中に自然と溢れていた。
俺は、ゆっくりと開かれる彼女の長い睫毛と瞳を見つめながら、こう思っていた。
さて、何から紫織に話そうか……
2013年12月
この後にサイドストーリーを追加しました。
異世界編は、別話で連載中です。
サイドストーリーは、異世界で金髪ロリ幼女と化したバルの後日談や、エクソーダスのメンバーそれぞれに、デスゲームからの開放後に何があったのかと言う話となっています。
そして人類世界が滅亡して、異世界が生まれる前の話を皮切りに続き物として「異世界の機神」を、サイドストーリーからスピンアウトさせました。
バルとは何者なのか、バルが和也達の世界へ来る前に何があったのか、バルと幾嶋という軍人が出会い、そして別れて異世界でまた擦れ違う話になっています。
異世界へ行った和也たちも、少し出てきます。
それは、同じ世界の同じ時代の別の物語だからです。
違う場所で、それぞれが色々な経験をして、そして世界の謎が判るような話になってゆきます。
この後のサイドストーリー共々、読んで頂ければ幸いです。
2014年10月25日
和也が、異世界へ来てからの話の投稿を開始しました。
題名は、バランスブレイカー:世界の調和を乱す者【世界が俺を拒絶するなら:異世界編】です。




